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時を超えた愛

薄暗い喫茶店の奥まった席で、流暢な日本語を話す年配の台湾人女性が、静かにコーヒーをすすっていた。彼女の瞳は物憂げで、遠い過去を思い起こしているかのようだった。

「お名前は?」

向かいに座った若い日本人の男性が、礼儀正しく尋ねた。

「リン・メイファです」と女性は答えた。「お名前は?」

「ハヤカワ・シュンと申します」

2人はぎこちなく微笑み合った。深い悲しみと後悔の影が、彼らの表情に漂っていた。

「今日は何のご用ですか?」とハヤカワが尋ねた。

「あなたに謝りたくて」とメイファは言った。「あの時、あなたを傷つけてしまって」

30年前、メイファは台湾から日本に留学してきた。東京の大学で日本語を学んでいたある日、彼女は日本語サークルでハヤカワに出会った。2人はすぐに惹かれ合い、情熱的な恋愛へと発展した。しかし、彼らの愛は、文化の違いや家族の反対という壁に阻まれた。周囲からの圧力に耐えきれなくなったメイファは、ある日突然、ハヤカワの元を去った。

「あの時、私は若くて愚かでした」とメイファは言った。「あなたのことを本当に愛していたのに、自分の不安と恐怖に負けてしまったのです」

ハヤカワは静かにうなずいた。「私も若かった。もっと強ければ、あなたを繋ぎ止めることができたかもしれません」

「でも、今さら後悔しても遅いでしょう」とメイファは言った。「あなたは新しい人生を歩み、私は台湾に戻って結婚しました。私たちはそれぞれの人生を生きてきたのです」

「それでも、あなたへの想いはずっと心に残っていました」とハヤカワは言った。「あなたのことを忘れることができませんでした」

メイファはハヤカワの瞳を見つめた。そこに、かつての愛がまだ輝いているのが見えた。涙が彼女の頬を伝った。

「私も」と彼女は囁いた。「私もずっとあなたのことを思っていました」

その日、2人は30年分の後悔と悲しみを吐き出した。彼らは互いに抱きしめ、失われた時間を嘆いた。そして、その抱擁の中で、かすかな希望の光が灯った。

それからというもの、2人は毎週のように喫茶店で会うようになった。彼らは過去の過ちを振り返り、共に痛みを癒した。愛は失われていなかった。それは単に、時が経つのを待っていただけだった。

しかし、彼らの再会は秘密にしておく必要があった。メイファは台湾で家族を持っていたし、ハヤカワも日本での生活を築いていた。彼らは社会の制約に縛られ、再び傷つくことを恐れていた。

それでも、彼らは逢瀬を重ねる度に、その愛が深まっていくのを感じていた。それは、失われた青春への償いでもあったし、未来への希望でもあった。

ある日、メイファが台湾に帰る日が迫った。2人は最後の別れに喫茶店で待ち合わせた。

「もう会えないかもしれないね」とメイファは言った。「でも、私はあなたを忘れません」

「私も」とハヤカワは言った。「あなたのことをずっと愛しています」

2人は最後の抱擁を交わした。しめやかな愛と、かすかな痛みを伴う別れだった。

「いつか、また会えるといいね」とメイファは言った。

「うん」とハヤカワはうなずいた。「いつか、きっと」

メイファは喫茶店を出て、台湾行きの飛行機に乗り込んだ。窓の外を流れる景色を眺めながら、彼女はハヤカワとの愛を胸に刻み込んだ。それは、失われた愛でも、叶わぬ夢でもなかった。それは、永遠に彼女の魂の中で生き続ける、愛の物語だった。

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