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ニューカムのパラドックス

ニューカムのパラドックスとはアメリカの理論物理学者ウィリアム・ニューカムが提唱したゲーム理論に関連する問題である。


ニューカムのパラドックス

それは次のような内容だ:

あなたの目の前にAと書かれた透明な箱とBと書かれた中身の見えない箱がある。
あなたは悪魔を名乗る人物からAには1000円Bには1億円が入っていることを知らされる。ここであなたには2つの選択肢が与えられる;

  • Bの箱だけを開ける

  • AとB両方の箱を開ける

悪魔によれば箱を開けて入っていたお金はあなたのものになるという。ただしここで悪魔は次の条件を加えてきた。

もしあなたがBの箱だけ開ける場合は1億円を手にすることができるが、もしあなたがAとBの箱を両方とも開けるつもりならBの箱には何も入れていないと。

悪魔は今までのあなたの行いなどからあなたの行動を予言しており、必要であればそれらの予言を披露することもできる(悪魔の予言能力は信頼に足るようだ)。

そして悪魔は今回あなたの行動をすでに予言しており、AとBの箱に必要な金額を入れ終わっていると言う。このときあなたはどちらの選択肢を取るべきだろうか?少し考えてみよう。

Bの箱だけ、つまり1つの箱だけ選ぶ人をOne-Boxerといい、AとBの箱を両方とも開ける人をTwo-Boxerということにしよう。


この選択はOne-Boxer‥つまりBだけを選ぶという人が比較的多数派になることで知られている。私が大学の頃に受けた講義でも大体One-b:Two-b=7:3くらいだった。しかし、面白いことに次で見るように数学的に厳密に見ても意見が分かれるのだ。

ニューカムのパラドックスは一方ではゲーム理論的ジレンマの問題だが、他方では哲学的な因果律や自由意志に関する問題だ。(実はどちらの場合でもほんとうの意味でのパラドックスではない)

ゲーム理論としてのニューカムのジレンマ

このゲームで金額が最大になるポイントは次の表を見れば簡単にわかる

$$
\begin{array}{|l|r|r|}\hline \raisebox{-1mm}{\tiny{選択者の選択}}\>\raisebox{1mm}{\tiny{予言者の予言}} & A+B&   B   \\ \hline
A+B & 1000円 & 1億1000円 \\ \hline  
B   &  0円 &   1億円 \\ \hline
\end{array}
$$

すなわち、予言者がOne-Boxerで選択者つまりあなたがTwo-Boxerだった場合だ。このとき、Bには一億円が入っており、Aには1000円が入っているのでA+B=1億1000円が最も金額が大きい。

逆に金額が最も小さいのは、予言者がA+BのTwo-Boxerであることを予言したにも関わらず、あなたがBだけを開けるOne-Boxerだった場合だ。そのとき悪魔はBの箱にはなにも入れてないので、あなたの得られる金額は0円になる。

ということはあなたはTwo-Boxerのほうが常に得をするはずだ。期待値を計算してみよう。予言がOne-BoxerかTwo-Boxerかは1/2ずつであると考えて; 

One-Boxerの期待値は$${(0×1/2)+(1億×1/2)=5000万(円)}$$
Two-Boxerの期待値は$${(1000×1/2)+(1億1000×1/2)=5000万1000(円)}$$

よってTwo-Boxerのほうが1000円だけ期待値が大きい

しかしOne-Boxer$${\tiny(ここではOne  Boxerの立場を取るものを便宜的にこう呼ぶ)}$$は次のように反論する;

もし予言者の予言が確実なら、One-Boxerの選択のほうが得をする確率が高くなる。なぜなら、予言が確実なら、予言者がBだけだと予言している場合、選択者はOne-Boxerとして1億円を受け取るほうが、Two-Boxerとして0円受け取るより良い。また予言者がA+Bの両方を開けると予言している場合、One-Boxerなら0円、Two-Boxerなら1000円しかもらえない。

この場合、One-Boxerならば<0 or 1億>、Two-Boxerならば<0 or 1000>で明らかにOne-Boxerのほうが得をする確率が高い。

よってOne-Boxerのほうが得である。

ゲーム理論はこのように別々の立場を取るために、見かけ上期待値が最大化されるにも関わらずそれが選択されないというジレンマについて扱う学問だ。しかし、ニューカムのパラドックスはここから更に哲学的な問題にまで踏み込める。

哲学的問題としてのニューカム問題

ここで期待値の話はすっかり忘れてもらって、次のように場合分けして考えてみよう:

悪魔がBだけ選ぶと予言していた場合、Bには1億円入っているはずだ。したがって、あなたがTwo-Boxerなら1億1000円手に入る。

悪魔がA+Bを選ぶと予言していた場合、Bには0円しか入っていないはずだ。したがって、あなたがTwo-Boxerなら1000円手に入る。

この事実はさきほども確認したが、ではここであなたがOne-Boxerだとして、A+Bではなく、Bだけを選ぶ理由について説明できるだろうか?

先程の言葉を借りるなら予言が確実ならばOne-Boxerでなければ確率的に損なのだった。しかし、本当に予言が確実ならTwo-Boxerは損するのだろうか?

先程の場合分けの前半部分の予言が確実だと考えてもなにも支障は無いはずだ。つまり、悪魔がA+Bだと確実視していればTwo-Boxerの得られる金額は1000円になり、悪魔がBだけだと確実視していればTwo-Boxerの得られる金額は1億1000円になる。

One-Boxerはこれに反対して、悪魔のBだけを選ぶという予言が確実なら、選択者はBだけしか開けられないはずだとする。もし、選択者がA+Bを開けようとしたならば、悪魔はA+Bを開けることを確実に予言していなければならないからだ。しかし、そのような場合でも次の逆向き因果の問題はOne-Boxerが解決しなければならないものだ。

逆向き因果

悪魔がBだけを開けると予言しあなたがその予言通りにBだけを開けたとする。眼の前には予言通りなら1億円があるはずだ。ところで、隣のAの箱には1000円が入ったままなので(Aの箱は透明なので自明だ)それを開けて1000円ももらう事ができたはずだ(実際にはAを開けなかったが)。

つまり、仮にBの箱を開ける直前にOne-BoxerからTwo-Boxerに鞍替えしたところでBに入っていた1億円が消えるわけではない。ということはこのAとBの箱はどちらも合わせて1億1000円最初から入っていたことになるだろう。

次に悪魔がAとB両方を開けると予言しあなたがその予言通りにAとBを開けたとする。すると、Bには最初から何も入っていなかったのだから、AとBの箱にはどちらも合わせて1000円しか入っていなかったことになるだろう。

したがって、このとき箱の中身は<1000円 or1億1000円>のどちらかしかありえない。これはあなたがOne-Boxerから急にTwo-Boxerに鞍替えしたところで箱Bの中身にはなんの影響も及ぼさないことを意味している。

しかし、One-Boxerの主張を鵜呑みにするなら、Bだけと予言したにも関わらず先にAを開けたならBの中身(1億円)がどこかへ消えてしまう。(たとえば予言がOne-Boxerで選択がTwo-BoxerならBには1億円が、予言がTwo-Boxerで選択がOne-BoxerならBには0円が入っていることになりあなたの選択によって箱の中身が変わっているとわかるからだ)

それは流石におかしいはずだ。なにせ選択者の未来の行動が過去の悪魔が入れた金額を変えてしまうという逆向き因果が発生してしまっているからだ。

Two-BoxerはここでOne-Boxerが逆向き因果を擁護していると非難する。

因果関係というのは時系列に沿って起こるはずだ。「手に持っている皿を落としたから皿は地面に当たって割れた」というのは皿を落としたのが原因、皿が割れたのが結果である。

もし、One-Boxerの主張が正しいなら、あなたがAとBを開けることを選択する(原因:現在の選択)→悪魔は箱Bに1億円を入れなかった(結果:過去の悪魔の行動)という逆向きの因果関係が成り立ってしまうことになる。

One-Boxerは決定論

これに対するOne-Boxerの反論は、実はすでに見ている。もし予言が確実ならば、それ以外の状況が成り立つことはありえないというものだ。
このとき予言でBだけを選ぶと言われた世界ではあなたはBを選ぶ以外の行動が取れなくなる。そしてその世界では必ず1億円が入っている。
この運命論的世界ではあなたは気の迷いでTwo-Boxerになることは不可能だ。したがって、逆向き因果はそもそも発生しようがない。

このように未来は決められているという世界観のことを運命論といったり決定論といったりする。しかし、この決定論には私たちの直観に反するような問題がいくつか出てくることが知られている。

ここでは詳しくは扱わないが、決定論を認めることで出てくる一番の問題は我々の自由意志というものがそもそも存在しないことを認めなければならなくなることだ。我々は自由意志があるので自分の行動は自分の意志で決定していると考えている。そしてそのような自由があるために行動には個人の責任があるように思われる。
しかし、決定論的世界では、例えば、私がコンビニで万引きをしたとしよう、だがその万引きは自由意志に基づいて行ったのではなく、もともと世界によって決められていた行動ということになる。このように犯罪に対して責任を問うことは誰にもできなくなってしまう。

今日では、決定論的世界は下火だ。というのも量子力学の発展により、物理的に世界が確率的なものだということがわかったためだ。*⁴そのため、やはりニューカム問題ではTwo-Boxerのほうが分がいいように感じる。

その一方で、この問題は未だに専門家の間でも意見が分かれる難問である、というのは重要だ。ニューカムのパラドックスにおいて世界は自由なのか?それとも決定論的なのか?という根源的な哲学的な話へと派生するということを考えれば。

思考実験の肝はこのように架空の想定から世界のあり方を問うことができるという部分だと私は思う。



脚注

*1;たった千円しか変わらないならBのほうが確実だから、とOne-Boxerになる人もいる。ではAの箱をもっと大きな金額にしたらどうか?Aには9999万9999円が入っているのが見えているとき、One-Boxerなら1億円だが、Two-Boxerならおよそ二倍の金額を得ることができる。さらに予言が外れてBに何も入っていなかった場合でも9999万9999円手に入れることができる。勿論ここまで来るとゲーム理論として成り立つのかは疑問である。

*2;悪魔なのでそんなふうな昔話のようなオチもあると思われては困るので、ここでの悪魔は単に予言をしてくるだけの存在としか考えなくて良い。あくまでなくとも予言能力を持っていることに信頼できるような人物なら誰でもいいのだ、例えば高度な予知プログラムを持った宇宙人とか。

*3;因果関係のなかでも次のようなものは時系列順とは言えない:「卵を机の角にぶつけたから卵が割れた」
この場合「卵を机の角にぶつけた」のが原因で、「卵が割れた」のが結果である。しかし、ぶつけたと同時に卵が割れている様子というのは想像できるだろう。このように因果関係がほとんど同時に起きる場合、結果が原因に随伴するなどという。ただしこの場合でも因果関係が逆転するわけではない。
卵が割れたのが原因で卵を机の角にぶつけたわけではないからだ。

*4;量子力学の諸々の定理が変わらないように拡張された決定論というものもある。量子力学はあくまで私たちの自由意志を保証するかもしれないものであって、決定論を完全に排除するための理論ではないことに注意したい。

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