見出し画像

インターネットの時代

 世界には、多種多様な人たちがいる。人間だけではなく動物も植物も細菌も同様である。インターネットネットなどで知れるのは、今まで見ることもなかった世界の風習や風景などいろんな分野で。数えきれないほど多種多様であるということである。中学生くらいのときは、中国の水墨画などをみて、こんな風景はデフォルメされたものだろうと勝手に思い込んでいたが、桂林などの風景であることを大きくなってから知ることになる。
 一方では、これほど多種多様であるのに、なぜか世界のそれぞれの社会が同質化、均質化していっているように感じられる。欲望の対象が違っても欲望することは変わらないということなのだろうか。
 多様性などとよく耳にするが、その多様性そのものが見境なく言いふらされていると、なぜかプロパガンダに近いように感じられ薄気味悪く違和感がある。
 
情報
 SNSが発達し情報量が増えた、と思い込んでいた。PCで用事があり立ち寄ってみたら、情報は沢山あるが、取り立てて立ち止まったりするほどのものが見当たらない。ちょっと一息入れて、SNSの発達とはもしかしたら、均質化しており、だいぶ狭い中での行動であるようだ。ようはタガに閉じ込められていることには変わりなく、タガの中でワイワイ騒いだり、誹謗中傷したり、排他したいしている、ということである。そのタガを幻想であっても「命がけの跳躍」をしようとしているものに出会うことはまれである。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?