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不安の伝言

 若いころ施主と設計の打ち合わせを行っていると、親からこんなことを言われた、親戚の人がこんなことを言っていた、以前家を建てた友人からアドバイスを受けた、ということが何度もあった。ところで○○さんは、どうしたいんですか、と聞き返すと返答が返ってこない。
 今日も震災で壊れた外構のアプローチの床を復旧するために業者さんと現場に行ったら、数人の人が集まりああだの、こうだのといっていたので何かあったんですか、と尋ねたら以前説明したことをぶり返し、現場がどのようになるのか最初に戻った話をしていたのである。説明をしたのをちゃんと聞いていない、理解しようとしていない、だから何度も不安になり、ほかの人にその不安を解消してもらうために聞きまわっているのである(たぶん)。
 今日××の工事じゃないの、と電話がかかってきた。いや今日はその工事ではなく別の場所の工事です、伝えていたはずですが…そうですよね、私もそう聞いていたのですが△△さんから今日××の工事じゃない、と言いて来たので電話しました。不安の連鎖の伝言ゲームである。一度立ち止まり、考えていただければよいのですが、思考を停止し不安だけは解消したく、自分をスルーして誰か解消してくれる人を目ざとく探しているのである。
 住宅メーカーや工務店を何社も呼びつけ、各社に相手の図面と見積書を見せ、最終的には良いところ取りをし請負金額が安い会社に、ということが当然のように横行している。恥ずかしいとは思わないのだろうか。
 そんな世知辛い世の中、かの国の人々のように不安が権力者を生み出しているとすれば、安易に批評することはできない。私たちの周りにもかの国と同じような不安が蔓延しているように感じているからである。

 余談になりますが、建築家でも強引で独裁的な人たちはいます。二十歳ころからたくさん見てきましたが、建築家とは、「最終的にモノを生み出す時に民主的なモノづくりを私は一切信じていない。それって、私が請け負います、という覚悟や責任のことだと思う。」(GA JAPAN134)人たちのことだと思います。


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