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誤差のない磁針

 内田樹を知ったのは、たしか朝日新聞の「期間限定の思想」という書評であった(たぶん)。評者は高橋源一郎である。面白そうなので、あまり時間をおかずに購入したと思う。いま「期間限定の思想」の奥付を見ると2002年になっているので、すでに20年は経過したことになる。先日来、世界の混迷が続いており、いまだに収束の兆しが見えない。多くの有識者や専門家などメディアで発言しているので、素人が、どうのこうのという次元ではなさそうなので差し控えるが、多分ツイターなどでは、結構騒がしい状況になっているのではと思われる。二週間ほど前、ちょっとした機会があり内田樹の資料の一部を整理し始めたら、再読しそうな文章が目に留まり、引用のだけにはなるが掲載することにした。 

 吉本隆明だったと思うが「小林秀雄や知識人が戦時下や戦争後の状況をどんなふうに考えているか(いたのか)、まだ若かったので機会があれば知りたく思い続けていた」と語っていたのを聞いたことがある。僕も二十歳頃でその言葉を聞き理解はしたようだが、吉本の切迫した思いを本当にわかっていたのかは疑わしい。その後吉本は、なぜか単独車として詩人であり、批評家であり、思想家としてそれこそ孤高の人として歩み続け、多くの著作などを僕たちに残してくれた。いまは、吉本隆明やその後遅れてやってきた僕たちの時代とは変わって、SNSなどで、なに不自由なく有識者や専門家を含め多くの人たちが発言をしている。何故かそんな状況を見ていると言葉が軽くなり浮ついているように見受けられることと、言葉を語る人たちの覚悟というか身銭を切った(大げさですね)言葉に感じられない。かつて「1937-1970 鮎川信夫自薦詩集を推す」で詩人鮎川信夫を吉本隆明は次のように書いている。 

戦後詩を厚い荒廃した大気のなかから発信させた詩の担い手たちは、
もうわたしの視野からは見えなくなってしまった。
方向舵を失ってしまったのか静かな憩いに慣れてしまったのか。
自分で詩と情況におさらばしたのか。さようなら先行者たち。
わたしは、ただひとりの詩人をもっているがために
たくさんの先行者たちに袂れることができる。
この詩人は、あるときはわたしのすぐ傍で
あるときは見知らぬ雑踏の街で、あるときはわたしの脳裏で
半透明の支柱であることを一刻もやめたことはない。
そのレンズはいつ磨かれるのか、その生涯にたいする放棄は
いつ研ぎすまされるのか、わたしは知らない。ただ、現在もなお
誤差のない磁針をもっていることに舌をまいて驚嘆する。

 詩人鮎川信夫について書いたものであるが、僕には、吉本隆明について書いたもののようにも思われて仕方がない。 

自然に近いところで働いてください 
 
僕たちが肝に銘じておくべきことは、労働は生物としての自然過程ではなく、倒錯だという原事実を見つめることです。
 僕たちがしている労働のほとんどは「生産」のためのものではなく、「制御」のためのものです。僕がこうして文章を書いてるのも、何か役に立つためのものを「生産」しているとは言えません。
 僕がしているのは、みなさんの手持ちの資源(身体や知性や想像力)をどうやって生物として最適なしかたで用いるか、「生きる知恵とカの使い方」についての情報の提供です。
 やはり一種の制御技術です。 

明けない夜はない
 
すばらしい人格者が業病に取り憑かれて苦しみ、生きていること自体はた迷惑であるような人物が無事息災で高笑いするというようなことはいくらでもあります。
 義人が報われ、悪人が罰されることを僕たちは心から頭っていますが、残念ながらこの願いが天に聞き届けられることはありません。不運が善人を襲うことがあり、幸運が悪人を潤すことがある。それなら、善人であるために努力したって無駄じゃないか、と思う人がいるかもしれません。
でも、そうじゃないんです。
 さきほど書いたとおり、「努力できる」というのはすでにかなり幸運な環境に置かれているということだからです。
 「努力ではどうにもならない」という現実認識は、場合によっては事実を適切に記述しているかもしれません。
 でも、事実を適切に記述したせいで、身動きがとれなくなるということが世の中にはあります。正しい現実認識が「自分に対する呪認」として機能してしまうのです。
 そういうことって、あるんです。
 そういう場合には「自分を祝福する」という手を使う。ぜんぜん自分の境涯は幸福じゃやないんだけれど、これを「なんてオレは運がいいんだろう」というふうに多幸症的に記述してしまう。
 これは弱者の生きる知恵です。
 「善人が報われる」チヤンスが到来するまで生き延びるための知恵です。
誰が報われ、誰が罰されるかはランダムなんですから、今現在「義人が苦しみ、悪人がのさばっている」としても、それが未来永劫続くということはありません。絶対にありません。必ず、ひっくり返るときがくる。
 そのときまで生き延びる。
 明けない夜はない。
 でも、夜明けを見るためには夜が明けるまで生き延びることが必要です。 

越境・他者・言語
 
「原理主義とは純粋さへの脅迫観念である」というレヴィナスの定義を私は正しいと思う。「無垢にして純粋な起源への帰還」、「エスニックな本質の十全なる発見」という同一の話型をなぞった政治的神話が「他者アレルギー」に駆動されて、いま地球上に蔓延している。そのことの責任の一端は「他者」という思想的な難問を最低の鞍部で乗り越えた私たちの時代の知的な怠惰にあると思っている。
 「他者」は・・・私が絶対的な「単独者」として孤立するような経験である。・・・単独者とは「私の判断の<正しさ>を客観的に査定しうる者が誰一人いない局面において、なお<正しい>と信じた行動を実践する」者のことである。・・・他者とのコミュニケーションは不可能な夢に近い。しかし、それを激しく夢見ることのできないものは、ついにコミュニケーションの不在に耐えることはできないだろう。 

ためらいの倫理学
 
「暴力は不可避であるということと、暴力は正当化できるということは違う」という言い方で、「正義のためらい」を語ったにすぎない。
 そこには「殺すな」という訴えがあり、殺すことへの抑えがたい「ためらい」が生じる。
・・・もし暴力を効果的に制御しうる可能性があるとすれば、それは信仰の完成でも階級社会の廃絶でもなく、この「ためらい」を思想の準位へと繰り込む知性の努力ではないか、カミュはおそらくそう問うているのである。    「ペスト」とは、「私」が「私」として存在することを自明であるとする人間の本性的なエゴイズムの別名である。・・・「自分の外部にある悪と戦う」という話型によってしか正義を考想できない人間。 

生身の弱さについて
 
言語が違っても、宗教が違っても、生活習慣が違っても、政治イデオロギーが違っても、生身をベースにする限り、私たちは共通のプラットホームに立つことができる。
 というのは、生身は疲れ、飢え、傷つき、壊れるからである。
 可傷性、有限性、脆弱性が「生身の手柄」である。
 どれほど政治的に正しいプランであっても、一日八時間眠り、三度の飯を食い、風呂に入り、酒を飲み、生計を立て、家族を養い「ながら」できること以上のことは生身の人間にはできない。
 一時的にはできても、長くは続けられない。
 その生身の脆弱性がイデオロギーの暴走を抑止している。
 そう信じたからこそ、身体を社会関係の基盤にすえることを私たちは求めてきたのである。
 彼らは「プロレタリアの苦しみ」の代わりに「普通の人間である、オレの利己心と欲望」をベースに採用した。
 おい、かっこつけんじゃねえよ。
 お前だって金が欲しいんだろ?
 いい服着て、美味い飯を喰いたいんだろ?
 それでいいじゃねえか。
 隠すなよ。
 他人のことなんか構う暇ねえよ。
 自分さえよければそれでいいんだよ。
 そういう「リアルな実感」の上に「やられたらやり返せ」というショーヴィスムや市場原理主義や弱肉強食の能力主義の言説が載っている。
 私たちの言葉と彼らの言葉をわかつのは、そのような下品な言葉に生身の人間は長くは耐えられないという 、私たちの側の「弱さ」だけである。
 弱さは武器にはならない。
 けれども、最終的に人間性を基礎づけるのは、その脆弱性なのだと私は思う。

信仰
 
「すべての悪をマニピュレイトしているワルモノがいる」という信憑は、世界のすべての出来事は神の定めた摂理に基づいて整序されているという信仰と構造的には同一です(裏返しですけど)。僕はこれをひそかに「ワルモノ信仰」と呼んでいます。
 信仰を持っている人は自分が神を信じていることに自覚的ですが、「ワルモノ信仰」の信者たちは、自分が「ワルモノ」の全能と遍在を信じていることを知りません。 

生活者の常識
 
「フランスにおける反ユダヤ主義」は私の研究テーマの一つだったが、研究を通じて骨身にしみた教訓は「発言の責任を取る人間がどこにも存在しない妄想やデマでも、強い現実変成力を持つことができる」という歴史的事実であった。だから、私は空語や妄想を軽んじない。 

「受難」を信仰のよりどころとする
 
神は地上で行われたた不正をただすために介入しなかった。それでもなお神を信じ続けることは可能か?この問いにレヴィナスはこんなふうに答えました。
 「神に対して犯された過ちは神の赦しに属する。だが、人間が人間を傷つけたとき、それを赦すのは神の仕事ではない。」 

歓待するということ
 
戦後のレヴィナスは、他者に対して人間ができることは「家の扉を開くこと、食べ物と飲み物を与えること、裸の人に身にまとうものを与えること」だと繰り返し書いています。・・・他者にどう向き合うかという。のは、机上の議論ではなく、まずは一夜の宿と食事のことなのです。それはホロコーストを生き延びた人にとってまことに切実な言葉だったと思います。
 大戦中のヨーロッパでは、戦乱の中では、夜陰にドアを叩く者がいて、戸を開けると見知らぬ異邦人が青ざめた顔で立ち尽くしているというようなことが現実にありました。そのときに自分の思想や信仰や、社会的な立場とは関わりなしに、とりあえず家に迎え入れ、黙って一宿一飯を提供し、翌朝そっと送り出す。そういうささやかな「惻隠の情」を示した人がたくさんいました。彼らは、見ず知らずの、言葉もろくに通じない異国の人を、貧しい家に迎え入れたのか。自分自身もろくに食えていないのに、そのパンを見ず知らずの飢えた他人に分け与えた。
 ユダヤの古い伝承によれば、アプラハムはその幕屋の四方に扉を設け、東西南北どの方角から旅人がやってきても、すぐに迎え入れる用意を怠らなかったそうです。この「歓待」の伝統は、知る人もいない見知らぬ土地を旅することを生活の基本とした多くの人々がいた古い時代の名残りをとどめているものだと思います。この「歓待」の習慣は、近代になって、人々が私有財産にしがみつき、家の扉を堅く閉じて、異邦人の訪問を拒むようになって消え去りました。
 自分と家族だけは「他者の歓待」によって生き延びることができたというレヴィナスの個人的な経験は「歓待ずる側」ではなく、つねに「歓待される側」からこの間題を考えることをレヴィナスに要求しました。 

邪悪なものが存在する
 
私たちはたいていの場合、原因と結果を取り違える。
 異界からの理解不能のメッセージは、「僕」の住む人間たちの世界に起きている不条理な事件を説明する「鍵」であるに違いない。私はそう思い込んで、物語を読んでいた。
 どうして、そんなふうに信じ込んでしまったのだろう。どうして、意昧の分からないメッセージには「意昧がない」という可能性を吟昧しようとしなかったのだろう。
 それは私たちの精神が「意昧がない」ことに耐えられないからである。
私たちは「意昧がないように見えることにも、必ず隠された意昧がある」と思い込む。私たちが「オカルト」にすがりつくのはそのせいだ。一見意昧がないように見えることにも「実は隠された意昧がある」と言ってもらうと、私たちは安心する。だって、私たちがいちばん聞きたくないのは、「無意昧なものには意昧がない」という言葉だからである。
 これらの物語はすべて「この世には、意昧もなく邪悪なものが存在する」ということを執勘に語っているのである。
 邪悪なものによって損なわれるという経験は、私たちにとって日常的な出来事である。しかし、私たちはその経験を必ず「合理化」しようとする。
私たちは自分たちが受けた傷や損害がまったく「無意昧」であるという事実を直視できない。だから私たちは「システムの欠陥」でも「トラウマ」でも「水子の崇り」でも何でもいいから、自分の身に起きたことは、それなりの因果関係があって生起した「合理的な」出来事であると信じようと望む。
 しかし、心を鎮めて考えれば、誰にでも分かることだが、私たちを傷つけ、損なう「邪悪なもの」のほとんどは、ひとかけらの教化的な要素も、懲戒的な要素もない。それらは、何の必然性もなく私たちを訪れ、まるで冗談のように、何の目的もなく、ただ私たちを傷つけ、損なうためだけに私たちを傷つけ、損なうのである。
 私たちもおそらく例外ではない。「万力にはさまれた猫の手」のような、「無意昧で、ひどすぎる」経験が次の曲がり角で私たちを待っているのかも知れない。
 かなり高い確率で、と村上春樹は言う。
 だから、角を曲がるときは(無駄かも知れないけれど)注意した方がいい。そして、おそらく、そのような危機の予感のうちに生きている人間だけが、「世界の善を少しだけ積み増しする」雪かき的な仕事の大切さを知っており、「気分のよいバーで飲む冷たいビールの美味しさ」のうちにかけがえのない快楽を見出すことができるのだと私は思う。 

たいへんに長いまえがき
 
長く生きてきて分かったことはいくつかあるけれど、その中の一つは「正しいこと」を言ったからといって、みんなが聞いてくれるわけではない、ということである。
 「フセイン大統領は国民を盾にするような考えを持ってはならない」というのはいかな悪逆無道のフセインが相手でも無体な要求である。
「考えを持つ」のはフセインの頭の中の出来事であり、百パーセント、フセインさんの自由に属する。
 自分自身が相手だって、頭の中で想像してしまうことは誰にも止められない。まして他人の頭の中だ。そこで考想されていることを余人はどうすることもできないし、すべきでもないと私は思う。
 どうすることもできないことを言ってみても始まらない。
 「世界が平和でありますように」という祈りの言葉が善意からのものであることに私は何の疑念も抱かない。「法定速度を守りましょう」でも、「明るい家庭を作りましょう」でも、どのようなものでもいい。それらの主張が「正しい」ことを私は心から認める。しかし、それを繰り返し呼号し、看板にして街角に立て、新聞広告に掲げ、テレピCMで流すことで、何か世界に新しい「善きもの」が作り出されるだろうという見通しには同意できない。  それはメッセージそのものに意味がないからではなく、その「差し出され方」が間違っているからである。
 そのメッセージは誰にも向けられていない。
 誰からの反論も予期しないで語られるメッセージというは、要するに誰にも向けられていなパメッセージである。「百パーセント正しいメッセージ」はしばしば「どこにも聞き手のいないメッセージ」である。
 だから、私は「メッセージを発信する」という行為において、最優先に配慮すべきことは、そのメッセージが「正しい」ことではなく、「聞き手に届く」ことだと思う。
 「正しい意見であれば必ず聞き届けられる」ということを私は信じない。しかし、その逆にある意見が聞き届けられた場合、その意見には「いくばくかの正しさ」が含まれていたということについては、これを信じでいる。
 例えば、「愛している」という言葉がある。
 私たちはこの言葉をずいぶんと濫用する傾向にある。
 私は若いころ、恋人に向かって「愛している」という言葉をあまりにみだりに口にしている自分の軽薄さを反省したことがあった。そして、思い切って自分の「内面」を覗き込んでみた。いったいどういう心理的根拠があって、私は「愛している」という言葉をこれほど濫発できるのだろうか調査してみたのである。
 覗き込んだ私の心の中には、「がらん」とした空洞が広がっていた。
なんと、私が習慣的に口にしていた「愛している」という囁きにはまるで心理的論拠がなかったのである(多少の生理的根拠はあったようだが)。
 私は若かったので、もう二度とこういう「いいかげんな言葉」をロにするのはやめるべきだと考えた。
 「君を愛しているのかどうか、ぼくにはよく分からないんだ。でもね、「君を愛しているかどうかよく分からない」と君に告白するぼくの誠実さだけは信じてほしい。」
 もちろん、彼女は憤然と去ってしまった。
 私はここで再び反省の人となった(若いころはよく反省する人間だったらしい)
 そして、気づいたのである。
 私は「愛している」という気持ちを実定的に所有していたがゆえに「愛している」という言葉を口にしたのではない。そうではなくて、「愛している」という言葉を口にすると、私の身体はそれに呼応するように熱くなり、声が優しくなり、気持ちがなごんでくる。それと同時に、彼女の声も優しくなり、目がきらきら輝き始め、肌がなめらかになる。
 私は「愛している」という言葉のもたらすその効果を「愛していた」のである。
 「愛している」は私の中にすでに存在するある種の感情を形容する言葉ではなく、その言葉を口にするまではそこになかったものを創造する言葉だったのである。
 犬切なのは、「言葉そのものが、発話者において首尾一貫しており、論理的に厳正である」ことよりも、「その言葉が聞き手に届いて、そこから何かが始まる」ことである。
 それほど愛していなくても、「愛している」と言ってしまうと、その言葉の効果で、言っている本人も愛しているような気になり、聞いた相手も気分がよくなって、態度が目に見えて好意的になり、気配りも細やかになり、そうやって二人とも前より仲良くなったとすれば、「愛している」という言葉に現実的な意味はあったということになる。
 逆に、心の中に愛の炎が燃え上がっていようとも、熱情を込めて書いたラプレターを毎日ごみ箱に放り込んでいるだけでは、たぶんその人の身の上には何も起こらない。
 正しい意見だけを述べようと望む人は、「あらかじめ正しいことが分かっていること」だけを語ろうとする。しかし、それは「愛している」という言葉を「百パーセント純粋な愛情」が自分の心の中にあることを確認できた場合だけ口にすることに決めたせいでガールフレンドに逃げられた愚者にどこか似てはいないか。
 正しい意見だけを述べようと望む人は、「誰からも異論が出ないほどに正しいこと」だけを選択的に語るようになる。けれども、その場合に言えるのは、「みんな幸福に暮らせたらいいね」とか「世界が平和であるといいね」というような無難な言葉になるほかない。
 じゃあ、どうやって「みんなが幸福に暮らせる」ようになるのか?どうすれば「世界が平和」になるのか?それを具体的に言ってくれよ、と言われると「正しい意見の人」はとまどってしまう。というのは、具体的な問題になるとたちまち異論が殺到するからだ。
 全面的に否定されることは少しも「正しさ」を損なわない(「世界に平和を」という主張を全面的に否定する立場は「世界に戦火を」だけであり、そのような悪魔的主張を支持する人間は私たちのまわりにはほとんどいない)。しかし、具体的提案(例えば、「アメリカにすべての軍事力を集中させることによって世界に平和を」というような提案)にはただちに異論や対案が出される。
 すると、その主張の「正しさ」は具体的であった分だけ損なわれることになる。
 だから、正しいことだけを言いたがる人は、必然的に「具体的なこと」を言わないようになる。そして、いったい誰が、どういう資格で、誰に向かって言っているのかも不分明になる。 

中国とアメリカ
 
「チベットは中国になる前は、奴隷社会でありそれを解放したのは中国である。」
 かつてアメリカはベトナム、キューバ、ハワイそしてメキシコ(現カルフォルニア)を、中国と同じような論理や名目で侵略、自国化していった。
 そして今、イラクでは終わりのない侵略戦争が続いている。
 中国もアメリカも連邦共和国という国の成り立ちである。
 日本は一国総日本化した均一な国家であり、それこそのっぺりした風体をしている(沖縄やアイヌは表面化しない程度に)。
 わたしが眼にした発言は日本の大学で教鞭をとる中国の知識人である(たしか)。
 緩やかなわたしたちの基底に横たわる天皇への回帰的心性とは・・・ 

怒りと日本人
 
気鬱なときに、人間は「怒りっぽく」なりますでしょう。気鬱なときに、空腹を感じたり、眠気を感じたり、エロティックな欲望を感じたりすることはあまりありません。つまり、生命力が衰えているときに、身体資源が乏しくなっているときに、それでも作動する感情が怒りなんだと思います。
 たぶん怒りはいちばん「安い」身体資源で物質化できる感情なんです。身体資源の貧しい人間にはそれを燃料にして作動できる感情が「怒り」しかない。「悲しみ」や「喜び」でさえ、もっと身体資源の供出を要求しますから。日本人は身体の豊穣性を失いつつあるということなのでしょう。
 名越康文先生の『自分を支える心の技法』(医学書院)を読了。日本文化は解離的な怒りに弱いという指摘にのけぞりました。無文脈的に怒り出すものを前にすると日本人はとりあえず「拝む」。そ、そうですよね。名越先生はこう書かれております。
 「ブログやツイッターの炎上、あるいは口論などをみてもそうです。文脈を超えて、過剰に怒っている人のほうが支持を得る、ということが往々にして起きる。冷静な議論よりも、怒っている人、感情的な人のほうが場の空気を支配してしまう傾向がある。
 (承前)「この背景にはやはり、僕らが文化的に、解離的なあり方を好んできたし、許容してきたということがあるんだと思います。ある種の”トラウマ”を抱えている(ようにみえる)人が、抑圧された感情を爆発させる。そうした『解離的な怒り』を僕らの文化はもてはやしてきた部分がある。
 あのね、るんちゃん、怒りが簡単に無気力に転化してしまうのは、怒りが「身体に悪い」からなんだと思います。戦うためには怒り続けているわけにはゆきません。過去の成功した革命家たちは総じて楽天家でロマンチストで、怒りより虐げられた人々への共感に突き動かされていたように見えます。

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