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小川洋子とマッカラーズ

 日頃読んでいる新聞で目にする人の書籍が書店に並んでいたので購入した。「村上春樹をめぐるメモらんだむ。 2019~202」大井浩一(毎日新聞出版)である。読み進めていくうち目に留まったのが次の箇所である。
 
 もう一つの驚きは、村上作品を思い起こさせる箇所がたくさんあったこ  と。つまり、村上さんの文体は、明らかにマッカラーズから影響を受けた部分があると感じさせる。それは比喩の使い方や描写の呼吸、場面の切り取りといった、なにげない細部にうかがえる。例えば、街のカフェの主人が店内を眺めている次のような描写。
 
 食べている人々。食物が詰め込まれた、大きく開いた口。それはいったい  
何を意味するのか? 少し前に彼が読んだ記事があった。生命とは摂取と滋養と生殖という事柄に過ぎない、とそこには書かれていた。店は混んでいた。ラヅオからはスイング楽団の音楽が流れていた。
 
 同時代の人であるというが、文学部でもなく建築学科の学生だったのでカーソン・マッカラーズなど日常的な会話の中に登場することはなかった。そんなマッカラーズの短い引用だが、なぜか気になりインターネットで検索したら「花ひらく夢――創作をめぐるノート」を見つけ一読した。
 それからが、いつものごとくあっちこっちにシナプッスがつながり、それを列記してみることにした。
 内田樹・川上弘美・小川洋子・マッカラーズ・藤森照信・西沢立衛という面々である。ふと振り返ってみると三人は女性作家、二人は建築家、一人は哲学7者である。
 
自分のヴォイスをみつけるためのエクササイズ 内田研究室ブログ
 今回は「説明をつけないことにした」というO川君の選択が僕には興味深かったです。
 「今回のはなんとなくうまく説明できないなあ」と思ったんじゃないかな。
 それは「意図」によって書き物が制御できなくなってきている徴候です。
 村上春樹さんは自分の作品にいっさい「あとがき」とか「解説」とか付けませんけれど、それは「あれ書いたのオレじゃないし・・・」となんとなく思っているからだと思います。
 書いたものを自分の「所有物」のように扱うことができない。隅から隅まで、全部自分がコントロールしているものだと思えない。自分の書いたものが、自立した、独自の生命をもつもののように思えると、説明できなくなる。
 そして、それを説明するためには「お話をもうひとつ」新しく書く以外になくなる・・・ということじゃないかと思います。
 
選考委員・川上弘美さんも「違和感を覚えます」と苦言…テレ朝「報道ステーション」の芥川賞取材に感じた疑問
 いまだにこんな形で自分の言わせたいことを取材対象者が口にするまで、しつこく質問し続けるメディアがあるのか―。そんなことを思ったテレビ朝日系「報道ステーション」スタッフの取材姿勢だった。
 
 20日、東京・内幸町の帝国ホテルで行われた第167回芥川賞・直木賞発表会見。芥川賞の受賞者は「おいしいごはんが食べられますように」(群像1月号)で2度目のノミネートでの受賞となった高瀬隼子さん(34)。新型コロナ禍のため、選考会の行われた東京・築地の料亭「新喜楽」と約100人の記者の集まったホテル宴会場をリモートで結んでの会見が行われた。
 
 食べ物を軸に職場の人間関係を描いた高瀬さんの作品について、選考委員を代表してリモート画面に登場した川上弘美さん(64)は「高瀬さんは最初の投票から過半数を取りました」とダントツの評価での栄冠だったことを明かした上で「職場、あるいはある人数の中での男女関係、人間関係を立体的に描き得ている作品。いかに書くかと言う技術が非常に優れていると評価されました。人間の中にある多面性が非常にうまく描かれていた」と評した。
 
 各新聞、テレビ局の報道、文芸記者による川上さんへの質疑応答の最後に、私が違和感を覚えた一幕が起こった。
 
 司会者の「次が最後の1人です」という声かけに手を挙げてスタンドマイクの前に立った女性は「テレビ朝日『報道ステーション』の〇〇と申します」と名乗ると、こう聞いた。
 
 「高瀬さんの作品は選考の過程では、どんな世相を反映しているという議論があったのでしょうか?」
 
 この質問に川上さんは「どんな世相?」と思わず戸惑いの声を漏らした後、「そういう論じられ方はしませんでした。選考委員は小説をそういう形では読まない。選考の場では、もっと小説自体を論じるような気がします。ごめんなさい。一言でバッと言えるようなことは今は言えません。良かったら(後で)選考委員の皆さんの選評を読んで下さい」
 
 だが、さらに女性は聞いた。
 
 「今の時代に高瀬さんの作品が選ばれた意味は?」―
 
 「世相」を「時代」と言い換えた形の質問に川上さんは「先ほども言いましたように、どの小説も今を書いているんですよ。高瀬さんが今を書いたから選ばれたのではなく、どの小説もそれぞれの作家の今、それぞれの作家の見た現在を書いている。それが自身の作家性と有機的に絡み合って小説ができてくると思う。ですから、ごめんなさい。だから、高瀬さんがこういう世相を切り取っているから受賞したんだとは、どうしても言えません」
 
 川上さんが2度「ごめんなさい」と謝りながら説明したにも関わらず、女性はさらに聞いた。
 
 「実際、現象として、昭和、平成、令和と女性の受賞者が徐々に増えています。その部分の変化について、ご自身はどう感じていますか?」―
 
 今回の芥川賞の候補者5人全員が史上初めて女性だったことを踏まえ、「私も芥川賞を受賞した時、直木賞が乃南アサさんで『初めての女性だけの受賞者の年だ』って、すごく言われたんですね。その後、女性だけの受賞者の年もありましたし、移ってきているんだなとは思います。候補作にどれだけ女性を選ぶか、選考委員にどれだけ女性が入るかということですから、個人的な感想ですけど、(文学界は)風通しがいい場所なんじゃないかなと、ありがたく思ってます」と答えた川上さん。
 
 この答えを受けた女性は「あと一つだけ」と言うと、「女性の方が、男性の方がということはないと思いますが、時代が徐々に変化をしているということを感じられますか?」と聞いた。
 
 あくまで「時代」と絡めた答えを求め続ける女性に「女性です、男性ですって一言で言っちゃうところがもう小説的でないような気がするんで…。ごめんなさい。ご期待に応える答えができないんですけど。一言で言えないところをどうやって表現していくかが小説だと思うので」と、ついに本音を漏らした川上さん。
 
 「男性、女性の(候補者の)数という統計的なことは言えるかも知れないけど、選考委員として、そこに対して何かコメントと言うと、私自身は違和感を覚えます」―。終始、冷静に答え続けたものの最後の「違和感」という言葉に、あくまで「答えてほしい言葉」を質問の形で求め続ける女性へのいら立ちが感じられた。
 
 どうして、女性が「時代」「世相」を絡めた答えを川上さんに求め続けたのか。答えは受賞会見が終了した午後7時半の3時間後に放送された「報道ステーション」にあった。
 
 同番組では、今回、芥川賞の候補5人が全員、女性。直木賞の窪美澄(みすみ)さん(56)と合わせ、受賞者も女性2人だったことを受け、戦後から現在までの芥川賞における女性受賞者のVTRを用意。世相、時代とともに女性が躍進し、変わりつつある文学賞というテーマの報道を既に用意していたのだ。
 
 当然、番組から送り出された形の女性はどうしても用意されたVTRにそぐう「世相とともに女性が活躍する芥川賞」という見方を後押しするコメントを川上さんから引き出すべく同じ質問をし続けたのだった。
 
 私たち取材記者には「こう答えてほしい」という方向に取材対象者を導く「はめ手」のような質問の仕方が確かに存在する。意識して、そういう聞き方をした経験が私にもあるが、それも時と場合による。
 
 「蛇を踏む」での芥川賞受賞が1996年。30年近く「言葉」を武器として文壇のトップで生きてきた川上さんにそんな「はめ手」が通用するわけもなく、「ごめんなさい」を連発された末に「違和感」まで覚えられてしまった女性は明らかに現場で浮いていた。
 
 真横で質疑応答を見ていた私自身も「どうしても川上さんの言葉を引き出さねばという思いは分かるけど、そのくらいにしておけば…」と思ってしまったのは事実だ。
 
 そう、小説という芸術は、そして作家という存在は世相や時代に影響されて作品を生み出すなんて単純なものではない。書かなければ死んでしまう―。そんな思いで、やむにやまれず書く。その結果、生み出されてきたのが名作と呼ばれる作品の数々だと思う。
 
 川上さんと女性の約5分に及んだやり取りでゴツゴツした異物感だけが残った私の心に一陣の涼しい風を吹かせてくれたのは、川上さんの会見の後、黒のロングスカートで登壇した晴れの受賞者・高瀬さんの言葉だった。
 
 「何とか、この世界で書き続けたい、生き残りたいという気持ちがあるので、(今回は)頑張れという受賞だと思うので、これからも書き続けたいと思います」―。
 
 初々しくも、書かなければ生きていけない作家という生き物ならではの性(さが)を正直に口にした言葉に、やっぱり小説って、そして作家って理屈じゃないんだよな―。そんなことを思わされた夜だった。(記者コラム・中村 健吾)報知新聞社
 
物語の役割 小川洋子
作家は小説の後ろを追いかけている
 フランス人作家フィリップ・ソレルスは「小説と極限の実験」という講演の中で、次のように述べています。
 「書くこと、文章に姿をあらわさせること、それは特権的な知識を並べることではない。それは人皆が知っていながら、誰ひとり言えずにいるこしを発見しようとする試みだ」
 
 作家になるためには想像力、空想の力が必要だと言いますが(もちろんそれも必要なんですけれども)、むしろ現実を見る観察する、そういう視点も非常に重要になってくるし思われます。
 
 「お互いほんとうに現実を生きていくのはいろいろたいへんな、困難なことだけれとも、とにかく僕はここにいるからね」「私もここにいるからね」と言って、声なき声で目配せを交わせるような小説を書きたい。
 
言葉は常に遅れてやってくる
 小説は言葉で書かれるものですから、言葉が浮かんでくることが始まりではないかと最初の頃は思っていたのですが、言葉が浮かんでくるわけではなく、言葉になる以前の段階のものが、まず浮かんでこなくては言嚢にならないのです。言葉は常に後から遅れてやってくるという感触です。
 
テーマは最初から存在していない
 これまでに起こった状態は閃きですので、あまり努力とか、こっちから何か仕掛けるということをしていない。向こうからやってきたものを受け止めただけで、ここからこの二つの島、まったく無関係に見える二つのもの(「双子の老人」と「階段を上る」)に橋を渡す作業をしなければならない。
 
 もっとわかりやすく言えば、テーマなどというものは最初から存在していないということです。主題が何か、について私は一切考えていないのです。
 
 言葉で一行で表現できてしまうならば、別に小説にする必要はない。ここが小説の背負っている難しい矛盾ですが、言葉にできないものを書いているのが小説ではないかと思うのです。一行で表現できないからこそ、人は百枚も二百枚も小説を書いてしまうのです。
 ほんとうに悲しいときは言葉にできないぐらい悲しいといいます。ですから、小説の中で「悲しい」と書いてしまうと、ほんとうの悲しみは描ききれない。言葉が壁になって、その先に心をはばたかせることができなくなるのです。それはほんとうに悲しくないことなのです。人間が悲しいと思ったときに心の中がどうなっているのかということは、ほんとうは言葉では表現できないものです。けれども、それを物語という器を使って言葉で表現しようとして挑戦し続けているのが小説なのです。
 
 テーマは後から読んだ人が勝手にそれぞれ感じたり、文芸評論家の方が論じてくださるものであって、自ら書いた本人がプラカードに書いて掲げ持つものではないと考えております。
 
花ひらく夢――創作をめぐるノート カーソン・マッカラーズ
 芸術作品が完成する前に、作家がその特徴を十分に理解することはめったにない。それは花をひらかせる夢に似ている。アイデアは静かに芽を出して膨らみ、作品が進むにつれて、日ごとに何千もの啓示が訪れる。ちょうど自然界で種が育つのと同じように、創作の過程で種は育っていく。そしてアイデアの種は、努力と無意識の両方と、その間の葛藤によって成長する。
 
 私にわかっているのは断片だけだ。登場人物のことは理解しているけれど、小説そのものが鮮明に見えているわけではない。ふとした瞬間に見えるようになるが、それがいつなのかは誰にもわからない(とりわけ作者にはわかっていない)。私の場合、そうした瞬間は懸命に努力したあとにやってくる。私にとって、そうして啓示の瞬間が訪れるのは、骨折り仕事の賜物だ。私の作品はすべてそんなふうにして生まれた。作家が啓示に頼らなければならないのは危険でもあり、素晴らしいことでもある。何ヶ月も頭を悩ませ、努力を重ねていくと、アイデアは花を咲かせ始める。それは神聖な瞬間だ。そうした瞬間はいつも潜在意識からやってくるので、操作することはできない。私は一年間ずっと、何を書いているかわからないまま、『心は孤独な狩人』に取り組んでいた。
 
意識的に考えたモノにローカリティはない 藤森照信
 モダニズムが誕生する十九世紀末から二〇世紀。…つまり、「ゼロから何かが生まれる時」は、「意識の器」と「無意識の器」は一緒につくり出すしかないわけです。
 最初のインターナショナリズムは、土や石、草、木など身の回りにあった自然素材を使って、どうやって建築をつくればよいかを考えた。二度目のインターナショナリズムは、科学技術が生み出した鉄とガラスとコンクリートを使って建築をつくることを考えた。
 
 ロッテルダムの町を歩いた時もそう感じたけれど…「建築築家が意識的につくるモノには、ローカリティがない」というのが、私の基本的な立場です。
 
 建築家という職業は大人になってから選ぶもので、それまでは普通の人なんだから。つまり、無意識でなく、意識的に建築家になる。だから、集団的な無意識でつくられた民家的な世界を、意識的につくるのは自己矛盾なんです。もしそれをやったら、意識的な表現にならざるを得ない。もちろん、建築独特の「意識の世界」から離れて、自分の中を覗き込んで「普通の人だった頃に溜まっていた無意識」に触れることも普通はできません。例え建築に反映されていたとしても、それはただの無意識。
 
今、建築について考えていること 西沢立衛
 形式が重要なのは、たぶん建築だけでなく、あらゆる分野でそうなのでは、と思います。・・・多様な物が集まって構築されて建築になるわけで、その集合の秩序が世界観みたいなものになる。どう集まったっていいやという建築家はあまりいなくて、「こう集まるべきだ」という意思がそこにもるのです。「物がどう集まるべきか」というのは、全体構成の問題でもあり,納まりややディテールの問題でもありますね。
 
 そうです。ひと昔前の建築、コンピュータ登場以前の建築を見ると安心するのは、人間が考えて工夫して組み立てているから、全体にディテールが感じられて、見ていてほっとするんですね。
 
 いろいろな工夫が建築全体に現れる。建築全体に人間の考えというものが出る。ぼくは、建築の生命感、ダイナミズムというのは、形態的な造形力よりも、逮築全体に現れる人間の考えのことだろうと思います。
 
 人間が面白いのは、ほぼ毎日のように何事かを企てているからです。人間は物語をつくりながら生きていると思うんですね。・・・機械は物語をつくらないし、必要ともしない。コンピュータ麻雀が今ひとつ面白くないのは、向こうは物語を全然つくらないから、対戦していてつまらないんです。
 
 
 
 
 

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