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温故知新

夕焼け
昔の人はいった。
西の夕焼けをみて、明日は、晴れるね。
子供だった私は、いぶかしく聞いていた。
インターネットやGPSが発達し、なぜ晴れるか理解できるようになったが、時々天気予報も外れる。
人間の小賢しさにも限度がある。
温故知新というが、なんといえばよいだろう。
温故知新という言葉さえ忘れ去られた。
 
 つい最近、本屋さんをプラプラしていて、目に留まった本があった。高橋源一郎の「これは、アレだ な」である。帯にはこんなことが書かれてあった。 
「故(ふる)きを温(たず)ねて、新しきを知れば世界が違って見えてくる!」
 
イノベーションは成長ではなく変化 能楽師・安田登さん
 能において、続く“仕掛け”とはどんなものだったのか。その大きな要素のひとつとして、安田さんは「初心」という言葉を上げました。初心と言うと、一般に多くの人は「始めたばかりの頃の初々しさ」といったニュアンスを想像されると思いますが、能におけるその言葉の意味は、少し異なるようです。
 
 「能で使われる『初心』は、“古い自分を切り捨て、新たな自己として生まれ変わること”という意味を持っています。身につけてきたものを臆することなく捨てることで、人は初めて次のステージへ上がっていける。誤解されがちですが、大事なのは“成長”でも“進歩”でもなく、環境に応じた“変化”です。この点については、また後で言及しましょう」
 
 変化を恐れるなという教えが、体系的に組み込まれていること。この要素をもって、能はこれまで幾多の“存続の危機”を乗り越えてきました。

館 萩焼 三輪休雪の世界
 秘伝などない。一生懸命やればよい。伝統をつみ「重ねる」
 花器をつくるという作為があると、いいものはできない。最終的にくりぬいて残ったものが花器になる。やっとわかってきた。最後に残ったものが花器であればよい。
 原初の手触り、始まり
 粘土をこねて何になかわからない。器は事後的に使って器になる。だから器をつくるという後先が逆ではないだろう。
 茶の道具とは、原初的な仕方に向き合っている。
 
西岡棟梁の弟子の言葉
 日本文化や、日本の伝統の継承など言う人間は、そもそも一度として現場に足を運び、ものをつくる現場など見たこともない、まがいものである。物がまがいものであるというよりも人間がまがいものである方が手に負えない。
 
歴史という教養 片山杜秀
 歴史を学ぶことは、リベラルアーツ、つまりすべての学問の基礎であり教養であるという。基本姿勢は論語で言う「温故知新」、読み下すと「ふるきをたずねて新しきを知ればもってしたるべし」。・・・荻生徂徠は「過去の出来事の由来を知ることで、新しく起きることにも対処できる」。いずれにしても、過去の歴史を正しく知って、由来を理解することで、新しく起きることに対処することができる、というのが温故知新で、歴史を学ぶ理由となる。
 
 温故知新の態度で歴史に学ぶうえで重要なことがある。
1.歴史の道は似たもの探し。相似形を見つけることで、そこに理由を考えるヒントが有る。
2.歴史小説は愛しても、それは作家が巧みに仕込んだ、読者自身の投影でしかない、ことを理解する。
3.「偉人」を主語にしない。歴史が一人の偉人によって動くことなどないからであり、多くの人々の象徴としての偉人である。また、「時と所を得る」ことで偉人になった人物が、異なる時代に偉人になれるとは言えない。つまり現代に信長が生まれてきても、天下統一は起きない、だろう。
4.歴史のものさしを変えてみると、見えるものが変わってくる。文明の到達を遅らせた鎖国政策でさえ、江戸文化繁栄に寄与し、幕末の危機感と明治維新以降の急激な文明開化につながった、のかもしれない。
5.歴史を語る、という場合には、客観性は難しく、必ず語り手の立場、思い、理想論が入ってくることを認識する。
6.歴史は炭鉱におけるカナリアである。
歴史観にはいくつかのパターンがある。右肩下がり史観、右肩上がり史観、盛者必衰史観、一番勢いのあるのは誰かを気にする史観、断絶点を起点にする史観。こうした歴史の特性を知った上で、学んだ歴史を現在と未来に投影し、温故知新を心がけることが、歴史を教養とする意味となる。本書内容は以上。

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