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お茶室

 仕事もようやく落ちつき三時のお茶でもしようとテレビをつけたら、「歴史探偵 茶人・千利休」という番組が流れていた。終わりに近く、どんな内容だったか詳しくはわからない。千利休が豊臣秀吉に切腹を言いつけられたのは、社会的な地位など関係なく人はみな「平等」であるという千利休の目指したお茶が、豊臣秀吉の逆鱗に触れたとことが要因であり、茶器や茶室の設えなどから解き明かしていったようである。
 以前、お茶室につて思いを巡らしていたことがあり、番組を見ていて思い出した。
 
お茶室
 お茶室は子宮で、躙り口は産道である、と聞いたことがあります。それを聞いて、田舎のお墓の納骨する場所も、産道のようになっているのを思い出しました、そういえば茶室は、小さな宇宙であるとも聞いたことがあります。
 そんなお茶室での出来事で豊臣秀吉が千利休に切腹を言いつけたのには、いろんな説があるようですが、権力者の衣装を剥ぎ取られ、おそらく豊臣秀吉はその時、己の姿をまじまじと見たものと思われます。天井の低い狭い場所で、互いに向き合うことによって―太古の洞窟の中で秀吉と利休が焚火を囲み向き合って(いる―豊臣秀吉は千利休に恐怖を覚えたのではないだろうかというのが、私の推測です。そこで見たもの、聞こえたもの、触れたものは、なんだったのでしょう。
 お茶室の設えは、炉(火)、茶器(土)、窯(水)、茶(草木)。そのような質素な自然の素材で構成されています。少し言い慣わされた「侘び・寂び」という解釈よりは、もっと官能的で原初的な関係がそこでは生成、消滅していたのではないでしょうか。
 
●―茶室のためのノート
お茶と合気道
 『考える人』のために先日の麻布の重窓での茶事を「総括」する。
この初体験茶事についてはあらたに発見したことが山のようにあったので、千さんに素人の所見を縷々述べる。
 述べたのは考えてみたら、いずれも上に述べたようなことであった。
茶道では「賓主互換・賓主歴然」ということばがあるそうである。
そこから、主客が自在に入れ替わり、混じり合い、また分離し(中略)という共身体形成プロセスこそが茶事の人類学的本質ではないかという「いつもの話」になる。
 茶事では「躙り口」で四足歩行を強いられ、そのあと無言で炉の火を見つめ、共同で飲食し、濃茶の点前では強烈な体感統御力をもつ亭主の「コンダクト」で身体的同期を経験する。そして、同期から緩やかに解放されたところで「民主的」な薄茶が提供される。
 これって、人類史そのものじゃないですか(中略)という「トンデモ話」になる。(内田樹)
 
考える身体
 パプロ・ペロンの足に。とにかく素晴らしい足だ。顔もいいけど。タンゴは足なんだ、ということが、まっすぐに分かる。・・・足に言われる最初の言葉は、歩いたことがあるか、歩いてみなよ、である。
 
 フェテイシズムなんかじゃない。あくまでも、動く足、歩く足、蹴りあげる足、宙に浮く足、交差する足、走る足への、つまり、ダンスの歓びへの、率直な愛情の表明だからだ。ダンスはいつだって、生きることはとても性的なことであり、それは切ないほどに美しいことだと、端的に教えてくれるのである。(三浦雅士)
 
壷中
 中国の故事に由来するこの言葉には、「小さな壷の中にある別天地」という意味があり、江戸時代には茶道における茶室がこの言葉でたとえられていた。
 四方を壁に囲まれた小さな茶室の中で、壮大な思想が生まれ、無限の宇宙を感じる。
 
起こし絵
 毛綱毅曠という建築家は、よく「起こし絵」を描いていた。中央に間取り(平面図)があり、四方の壁は上下左右に開き十字型、段ボールの箱を製作する前の型紙状態になっている。視点は、天井を取り払われた状態で、閉じるといわゆる空間とよばれるものが生成し、開けると一枚の型紙に帰る。
 
建築家フランク・ロイド・ライト
「茶室の本質は、その実体の中にあるわけではなく、その実体の中に生成された空(くう)の中にこそある」
 
白川静『漢字―生い立ちとその背景』
神の世界は終わり、現実の精神がそれに優位する。文字が神の世界から遠ざかり、思想の手段となったとき、古代文字の世界は終わったといえよう。
 
祝詞を入れた器から
「器」という文字が祝詞を入れた器を清める犬牲をしたことから生まれた字
神へ問う意味の「言」と神が答える意味の「音」の2つの文字の対称性
器にハリ(辛)を指した象形
「言」は器が空で、「音」は器のなかに神の意が入っている(神が音連れてるわけです)
 
若い世代へのいらだち
 そうした自分たちのあり方を自省し、理論化し、方法化し、デザインとして具現化しようとしているかどうかだ。
 宇宙の意志(中略)小さな自分が、宇宙とか時代とかの自分よりはるかに大きいものの意志を感じ取ったとき、そこから建築 が始まるのである。(日経アーキテクチャ 藤森照信)
 
生態学的建築をめざして
 これは新しい環境―自然環境とは区別される人工環境―ではなく、同じ古い環境が人間によって改変されたのである。まるでニつの環境があるかのように、自然環境と人工環境を分離するのは間違っている。人工物は自然の,物質から造られる必要がある。まるで物質的産物の、世界から区別された精神的産物の世界があるかのように、自然環境と文化環境を分離することも間違っている。いかに多様でも、ひとつの世界しか存在しない。(中略)環境はいわばワンルームなのだ。(中略)未来の生き物、未来の人びとが、 このワンルームにつぎつぎと入居してくるのだ。これは決して比愉ではない。(思想2011年 第5号) 槫沼範久)
 
御影駅からリッツカールトンにゆく途中で考えたこと
 養老孟司先生が書評で取り上げてた月本洋『日本人の脳に主語はいらない』(講談社選書メチエ、2008年)を読む。
 
 月本さんによると、最近の脳科学の実験により、「人間はイメージするときに身体を動かしている」ことがわかった。
 月本さんはこれを「仮想的身体運動」と呼ぶ。
 「人間は言葉を理解する時に、仮想的に身体を動かすことでイメージを作って、言葉を理解している」(4頁)ということである。
 書き手と読み手の「身体的な(要は「脳的な」ということだけれど)同期」が「理解」ということの本質であるという月本説は、「身体で読む」私にはたいへん腑に落ちる説明である。
 ミラーニューロンによって、私たちは他人の行動を見ているときに、それと同じ行動を仮想的に脳内で再演している。
 その仮想身体運動を通じて「他人の心と自分の心」が同期する(ように感じ)、他人の心が理解できる(ように感じる)のである。
子どもの場合は、「母親の身体動作を模倣することで、自分の脳神経回路を母親の脳神経回路と同様なものに組織化してゆく」(121頁)。
 子どもにおける「自己の形成」とはその組織化プロセスのことである。
 「まわりの他人の動作の模倣を繰り返すことによって、子どもは自分の脳神経回路を、まわりの人間(大人と子ども)の脳神経回路と同様にすることによって、自己を形成してゆく。すなわち、まわりの他人の心を部分的に模倣して組み合わせることで、自分の心を作っていくのである。」(121頁)
 こういう書き方をするとまだ「主体と他者」という二元論の枠内であるけれど、実際には、「主体」という機能自体が模倣の効果なわけであるから、最初にあるのは「模倣する主体」ではなく、「模倣それ自体」なのである。
だとすれば、「人間を中心に据えるのではなく、複写(模倣)を中心に据えて考えたほうが適切ではないだろうか。」(126頁)
 他人の心を私たちは仮想身体運動を経由して理解したつもりになっている。私たちは他人の心に直接触れているわけではない。
 しかし、では私たちは自分の心になら直接触れているということは言えるであろうか。
 月本さんは、私たちは結局自分の心についても、「他人の心」の場合と同様に「理解したつもり」になることしかできないのではないかと示唆している。
 「私はどこまで自分を理解できるのであろうか。自分はそんなに自分のことを理解しているのであろうか。あまりよくわかっていないのではなかろうか。さきほどまでの理解によれば、自分というものは、他人の視線、表情、身体動作を模倣し、それを通して、神経回路を訓練してイメージを作るという作業を、何万回も繰り返して作り上げたものである。とすると、自分も、非常に多くの他人の一部を複写して、足し合わせたようなものではなかろうか。
 すると、自分とは多くの他人の一部を複写して作り上げたものなのだから、基本的には他人と同じ程度にしか理解できないのではなかろうか。(・・・)
自分というものは、そんなに秘密なものではない。自分は他人の模倣を通してしか作れないのであるから、その出発点からして社会的なのである。自分とは原理的に社会的なのである。社会的でない自己は、ある意味で壊れた自己である。それは自己として機能しないし、自分にとっても理解不可能な自己となる。」(133-134頁)
 私はこの月本さんの「自己」の定義に深く同意する。(内田樹)
 
竪穴住居が縄文人に「家族」の意識を芽生えさせた。炉から生まれた日本人の心
炉を囲んで 文=小林達雄(考古学者)
 人類と親しいゴリラは毎晩巣作りをする習性がある。しかし、縄文人は定住を決断するや直ちに耐久性のある寝処(ねどこ)を確保した。
 
 炉には神が宿り、家族一同の顔を寄せ集める。炉を囲み、肩を寄せあって暮らすうちに、住居は単なる寝起きの場所ではなく安らぎをもたらす「イエ」となり、家族意識を増長した。
 
 炉はやがて囲炉裏に引き継がれ、日本人の心とともに歴史を歩んできた。
 
村上春樹をめぐるメモらんだむ。 2019~2021
〝洞窟感覚〟で紡ぐ物語
 村上さんは授賞式が行われたイタリア北西部のアルバで「洞窟の中の小さなかがり火」と題して講演した。共同通信の報道によると、この中で、彼は「小説―すなわち物語を語るこーの起源ははるか昔、人間が洞窟に住んでいた古代までさかのぼります」と述べ、「物語」の根源的な普遍性について語っている。以下、要約しつつ共同通信の記事を引用する。
 その昔、太陽が沈むと人々は危険な暗闇を避けて洞窟に隠れ、長い夜を過ごした。そこでは小さな火が燃えていて、誰かが物語を語り始める。
 
 物語は、恐怖や空腹をたとえ一時的であるにせよ忘れさせてくれます。語り手はみんなの反応を見ながら、少しずつ物語の流れを変えていく。(中略)恐らく、世界中の洞窟で同じことが行われていたのでしょう。
 
 それから長い時を経て、小説という表現が生まれ、今ではデジタル画面で小説が読まれるようこなった。
 
 しかし、そこで語られている物語は、本質的には洞窟の火の周りで語られた物語と同じ成り立ちのものです。私たち小説家は、洞窟の語り手の子孫なのです。(大井浩一)
 
孤独の発明 または言語の政治学
 母がまず子の身になって、子の身になったその母の身になった子が、私という現象なのだ。語はこの原初的な入れ子構造―他者の成立基盤―から始まったのであり、そうである以上、入れ子構造いわゆるリカーションをその性質の第一とするのは当然のことなのだ。
 したがって、相手の身になることができるようになった瞬間、人はこの入れ子構造が無限に続きうるということー母、その母、その母の母、つまり自己の背後には無数の死者がいるというをも会得してしまっているはずなのだ。現実にはしかし、この会得は、ただ、私という現象が、私から離れた視点、第三の視点なしには成立しえないという事態に代替されてしまっている。
 
 一人称、三人称と違って、二人称は抽象を嫌う。二人称は向き合っている具体的な現場にしか属さないからだ。向き合うときのその向きとは、左右をもっということであり、左右をもっとは現場にあるということ、いまここにこのようにしてあるということ、個別性としてあるということにほかならないからだ。
 私という現象はいまやきわめて抽象的な現象―地を這いながらも空を飛ぶーになったわけだが、しかしもとはまさに具体的な現象としてあったというそのことを、二人称は思い出させるのである。(三浦雅士)
 
 この問題と対面授乳、対面性交の問題はおそらく密接に関連している。相手の身になることは、その両極に、愛すなわち授乳と、死すなわち性交を持つわけだが、愛と死というその両極が綯い交ぜになって、相手の身になることである第三の視点が、いわば自立してしまったのだ。この自立の対象化、すなわち自覚が、儀式であり舞踊であり音楽であり詩であり演劇であると、私には思われる。(三浦雅士)
 
われらの獲物は、一滴の分泌液
 臭覚が衰えた人間は、こうして冷ややかな観察者になってしまう。現代は、五感のうち、見ることが異様に肥大した社会のように感じる。見るためにはまず、距離が必要だが、嗅ぐためには、その距離が障壁になる。いつまでもその距離を保持していたのでは、人生というものには入れない、のではないか、と考えてみたら、匂いというものが、その観察者を、人生のなかへひっぱりこむものとして見えてきた。つまり、わたしたちは見ることでなく、嗅ぐことによって、ようやく人生の当事者となる。
 
 「われらの獲物は一滴の光」・・・しびれる言葉だが、これを、開高健流に直せば、われらの獲物は一滴の分泌液。汗でも性液でも唾液でもいい。それは濃度高く、濁ってもいるが、朝の光が射すときらっと光り、見た者は、清冽な朝露にもみまがう。その一瞬の体液を搾り取ろうと、この作家は、絢欄たる洪水のような、言葉を費やした。
 
楕円思考と開高健
 盛岡の書店での出来事。何かの用事があり一泊して新幹線の時刻まで時間があったので、書店で時間つぶしをしていた時に目に入った開高健の本。
本は、買わずそこに書かれてあった文章だけ覚えて帰途に就いた。
 「ええか、男はナ、上を見て生き、下を見て暮らさないかんや、そういうこちゃ。」
 
芸術原論
 路上の無為の物件を見ていきながら、それに対する自分の感覚反応をも同時に観察していくことになる。つまり自分の中に組み込まれている自然のカを観察するわけである。だから私自身の眼を貫く一本の視線が、その先では外の路上を観察しながら、もう一方の先では私の中の自然を観察している。
 
 「こういう路上のゴミみたいなものを採集してきてはパカみたいに感動しているおれたちの気持って、欠けた茶碗をいいなんて感動していた利休たちの気持に似てるんじゃない」(赤瀬川原平)
 
 

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