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アーケード

 結構幼いころから建物と建物の間が気になっていたようで、建築に進んでからも、街の建物を簡略に描いたスケッチなどに、建物と建物の間にニッチらしき空間を見つけては形にならない線を描くのが日常的だった。プラスの空間というよりはマイナスの空間的なものであり凸凹でいえば凹である。いまでも手元に残っているノートを見るといろんな場面が描かれているが、どうにも凸凹が反転しているように見える。関心があったのは凹だったのかもしれない。
 
 道路など歩きながら建物と建物の間を覗くと向こうに風景が見える。小さい頃は、空や太陽、雲、山、林、田畑、川などで、夜になれば、月や星、暗闇などであった、建物で枠取りされ、日常的に見慣れた風景が変容し鮮やかに浮かんで見えた。子供の歩く速度だと隙間から見える風景は、漫画でいえば一コマ漫画で、大きくなるにしたがって、四コマ漫画になり、そのうちノートの端に描いた絵がパラパラめくると動きだすようになり、ついにはアニメになった。アニメとはアニマで魂を吹き込むということらしい。
 
 まだ40代ごろだと思うが母の実家に行く用事があり、地方のローカル線で行った。車窓から見える田畑の中に、ポツリ、ポツリと散在し立っている家々の煙突からは夕餉の準備らしい煙が立ち上り、昔どっかで見たことのある風景のように思え、懐かしさがこみあげてきた。それがいつかは不確である。
 
 「アントニ・ガウディの作品群~空から見た奇才ガウディの建築」(世界遺産)という番組を時間がある時に見ようと思って録画しておいた。空から見るバルセロナの町は無秩序な街区と近代の始まりだろう整然と区画された街区とが混在していた。映像を見ながら、気になったのは各々の建物に必ずといっていいほどスクエアな中庭(コートハウス)があり、位相幾何学的にはドーナツ形で「穴ぼこ」である。そういえば日本にだって京の町家に坪庭がある。そんなことを思っているうち、いよいよガウディの中庭が映し出された。中庭は、曲線で楕円に近くうねるようで見えるのはバルセロナの空であり、まるで遠くに思いをはせるための望遠鏡であり、もしかしたら万華鏡の世界ではないかと錯覚させる光景であった。
 
 ガウディのサクラダ・ファミリアやコロニア・グエル教会には、地下聖堂がある。雑誌などで見たような記憶があるが、映像で見たのは初めてである。地下聖堂には地上を支えるためであろう武骨で力強い太い石の柱が起立している。数日前「幻の原爆慰霊碑」イサム・ノグチの映像を見ながら原爆慰霊碑の彫刻の地下部分と縄文のヴィーナスのふくよかで大地を踏みしめているような太ももをふと思いだした。
 
小川洋子さん:連作短編集『最果てアーケード』刊行 黙っているものに語らせるのが物語 毎日新聞 2012年08月06日 東京夕刊
 ◇死者との交感鮮やかに
 東日本大震災の後で、物語は私たちにどんな喜びをもたらしてくれるのか。連作短編集『最果てアーケード』(講談社)が刊行された小川洋子さんに語ってもらった。【重里徹也】
 
 『最果てアーケード』の舞台は、世界の片隅にひっそりとたたずむ小さな商店街。風変わりな店々が並んでいる。主人公はこの街の大家の娘で、配達係をしている。
 
 「他の作品と同じで、場所が先にありました。アーケードを描きたかったのです。それを必要としている人は世界にたった一人かもしれないようなものを売る商店が並んでいる。後はどんなお店にすればいいか、店主はどんな人か、と小説を組み立てていきました」
 
 「子供の頃から、建物と建物の間にある、すき間のような空間が好きなんです。人々の通り道なんだけれど、異界への入り口にもなっている。時間の流れ方が外と違っていて、取り残されたような感じもある」
 
 このアーケードで売っているのは、ささやかなものばかり。使用済みの絵はがき、義眼、勲章、遺髪のレース、ドアのノブ。亡くなった人の記憶を刻んだものが多い。
 
 「アーケード街自体が死者たちのすぐ近くにあるのですね。生者と死者が共存できる場所といえばいいか」
 
 それは小川さんにとって、物語が生まれる場所だ。
 
京都の平熱 哲学者の都市案内 鷲田清一
 古い寺社は多いが歴史意識は薄い。
 自然そのものより技巧・虚構に親しむ。
 けったいなもんオモロイもんを好み、町々に三奇人がいる。
 「あっち」の世界への孔がいっぱいの「きょうと」のからくり。
 古い町にあっていまの郊外のニュータウンにないものが3つある。1つは大木、1つは宗教施設、いま1つは場末だ。この3つには共通するものがある。  世界が口を空けている場だということだ。
 京都という街には、こうした世界が口を空けているところが、まだまだたっぷりある。
 ドラマで描かれるよりはるかに、形而上学的に、妖しい街なのである。
 
 <聖>と<性>と<学>と<遊>が入れ子/つつましくきまじめに生きてきた京都人の日常のそのただ中に、さらに「別の世界」につづく孔~法悦の世界(神社仏閣)、推論の世界(大学)、陶酔の世界(花街)/「奥、内、影」といった見えない魂の空間があちらこちらに口を開けている。
 
 

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