見出し画像

鉄道開業から150年

 鉄道の開業が明治から150年と聞いて、まだそんなに時間が経っていなというのが実感である。子供のころは明治などと聞いても遥か彼方のことで、ほとんど存在しないのと同然であった。明治・大正・昭和・平成そして令和、世代でいえば3世代(祖父・父・子)というところである。思えば明治が身近に感じられるようになったのは、明治生まれの祖父母が亡くなり、大正生まれの両親が目の前から去り、私自身も年を重ねるごとに「失って初めて知る」ということを切に思うになったころからである。
 明治期に鉄道が全国に時間を待たず普及していったのは、各地方の富豪たちによる土地の寄贈などがあってのことのようで、実家の裏庭を通る奥羽線も隣の本家が寄贈したものだと祖母が語っていた。現在は、全国的に過疎化が進み採算が取れない鉄道は廃線に追い込まれバスへの転換を迫られている。旧鉄道からは、採算計画などにより算出された20年間の補償が行われているようだが、バスに転換しても採算が取れず10年ほどで使い果たしてしまうと、ある町の町長が語っていた。メディではコンサルタントらしき人が、補助制度などが不備で、もっと国が積極的な支援政策を打ち出すべきであると語っていたが、なぜか、いつものように国頼りで金が欲しい、というだけで自分たちはどうするのか聞いたことがない。言い過ぎだと思うが、どうしても人ごとにしか聞こえないのである。いつしか何事もなかったかのように家々が朽ち果て、砂混じりの寒風が吹いているそんな光景が目の前に浮かんでくる。
 国も地方自治体も私たちも所得倍増で新幹線や高速道路、バイパスのインフラ整備に同意した。それに伴い主要な町は恩恵を受けたが、それ以外の町は、通過するだけの町になり結果的には過疎化に拍車をかけることになった。穿った見方をすれば、近代化とは各場所(空間)を短い時間(速度)で結ぶための移動手段(道具)が発達した時代であり、気が付いたらその手段である鉄道や自動車、飛行機が主体になり人間や町が置き去りにされるという逆説的な倒錯が起きた。自然過程であるといえば自然過程である。だがそのことを現在に至るまで誰一人自省的に語る人に出会ったことがない。高齢化による忘却だろうか、それとも私たちの習性なのであろうか、違和感だけが残っている。以前も書いたことがあるが、新幹線やバイパスは、循環する動脈を人為的に人間の都合に合わせて迂回させ別のルートをつくる外科手術的荒業である。かつての町や村などは暮らしに根差し長い時間をかけ形成されてきた場所であり、標準化や近代化などで済む程度のものではない。それこそその場所の固有性や唯一無二性であり、それを切り刻みついには過疎になり息絶えるのは、当然のことであるような気がする。
 棚田の風景がインスタ映えするとライトアップし盛り上がっているが、農業を営み生活をしてきた営為の積み重ねが棚田の風景であり、その営為が失われれば棚田もいずれは消滅していくだろう。生活や暮らしがあるから風景が醸成されるのであり、私たちはその姿を見て揺り動かされるのである。棚田に何を見るのか、いま私たちは試されているかもしれない。
 近代は、時間を短縮し空間の拡大を望んできた。速度を追いかけ自動車や蒸気機関車、飛行機を生みだし、それに伴い前近代的な職業や移動システムは自然過程として消えていった。可否は別にして、現在の職業や移動システムもいずれは同じように消えていくだろう。少々シニカルな感想になるが、その原因はおそらく近代の「時間」の観念によるものと思われる。俯瞰すれば近代は革命と戦争の世紀であり今も止まることがない。それを駆動していたのは、近代の「時間」であり現在の相対的で虚無的な世界を招いているものである。少し安易すぎるかもしれないが、科学・優生学・進化論・原理主義・純粋主義・予定調和・計画経済・救済などにその痕跡を見ることができる。
 現在の見える世界だけが世界ではなく、もう一つの世界が存在するかもしれないという可能性についても考えてみることが、新たな展望が開けてくる契機になるかもしれない。私たちのすぐそばに存在し、常日頃見慣れた、日常的な暮らしの中に近代とは違う「時間」が手に取るような手触りでかつてから存在していたように感じられるようになってきた。幻想と言われれば幻想かもしれないが、その幻想もリアルであることには変わりはない。
 150年、もう一度失ったものや失ってはいけないものを考えてみたい。
 
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?