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母と兄の思い出

愛知県豊川市穂ノ原、子どもの頃よく自転車で出かけた懐かしい地です。

その近くで両親と兄、私とで2DKの社宅で暮らし、小学校四年まで過ごしました。

夜勤明けの母が兄と私を連れ穂ノ原の先の赤塚山まで自転車で遠出したのはこの初冬の頃でした。

三人で腰をおろし赤塚山から見渡す穂ノ原は地名のようにススキの多い土地でした。

私にはその穂ノ原のススキが静かな海にさざめく小波のように見えたのでした。

その景色を眺めながら、少し肌寒くなってきた空気の中でまだ魔法瓶と呼ばれていた携行用のポットの少しぬるくなったお茶を三人でまわし飲みしたのを懐かしく思い出します。



(後記)
母の待つグループホームへ向かう途中にもススキはありました。
母が亡くなる2年近く前の10月に消化器内科の担当医に呼びつけられ、「年内ですよ。」と言われてから1年は過ぎ、その間循環器内科の医師には腎臓が通常の10%の機能しか残ってないからと透析を勧められたものの苦しんだ父の最期を思い出し断り、グループホームの担当医にも呼び出され、最期を迎える母親に対しての心構えを諭されながら、医師三人に母の最期を今だ今だと脅されながらオタオタと過ごしていた頃です。
毎週グループホームへ歩く道すがら眺めるススキにこんなことを思い出していました。
母がいなくなってしまったあとも冷たい空気と目にする若いススキはこんな事を思い出させます。
こんな思い出は大切にしまっておきたいと思います。

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