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一宿一飯の恩義

大学の同窓、同じ合気道部に在籍していた同期生が毎年新米を送ってくれる。
農家と契約しているそうである。
新潟魚沼のコシヒカリがこの時期に届く。
誠にありがたいことである。

彼は大学二年で合気道部をやめてしまっている。
いろんな理由があった。
先輩ともうまくいってなかった。

やめてからからは疎遠だった。
謝恩会で挨拶程度の話をしただけだったと思う。

当時の運動部ではやめてしまうと学校にも行きにくいような雰囲気があった。
学部も違い疎遠になる理由はいくつかあったのである。

そんな彼とは卒業して20年ほどだろうか、もう一人の友人を介して再会した。
私はゼネコンをやめて設計事務所の営業マン、彼はそこそこ大きな税理士事務所を経営していた。

大阪まで仕事でやって来た彼と天満の安い寿司屋で久しぶりに杯を重ね、北新地の外れのスナックで二人とも記憶を無くすまで飲んだ。
二十年は長い時間であるが瞬時に二人とも大学時代に戻っていた。
その間、彼は両親を亡くし、私は両親と兄貴の看病、介護の真っ最中、でもそんなことはどうでもいいことだった。

彼は私の忘れていた多くの記憶を引き出した。

西武池袋線江古田駅、我等が大学の最寄駅である。
一、二年の時、駅から歩いて五分ほどに下宿していた私の部屋に彼は何度も泊まっていった。
横浜の自宅から通う彼は一組のせんべい布団しかない私の部屋を事あるごとに定宿にしていた。

朝は新宿の本部道場で稽古し、大学に戻りまた稽古して、終わればそのまま飲み屋に直行するそんな生活が続いており下宿は寝るだけの部屋であった。

多くの時間を彼と共に過ごし、合気道部での共通の悩みも持ち濃い時間を共に過ごしたのである。

そんな彼が「一宿一飯の恩義」だと数年前にコシヒカリを送って来てずっと続いている。
何度泊まっていったか覚えていないから、彼が死ぬまでこの恩義は続くのかも知れない。

そんなわけで、頂戴した新米を炊いて久しぶりに弁当を作った。

今宵の仕事はどうなるのか想像もつかない。
素人の私の行う介護である。
両親、兄へのしてやれなかった事を懺悔する時間でもある。
そして、この歳で学ぶ事が残っていることに感謝する。
酒は減り、介護の場で考える時間はこの先の私の残りの人生を変えて行くものとも思っている。

今宵はこの新米を噛みしめながら彼に感謝し、仕事に感謝し、残る人生の終着を考えてみたいと思う。

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