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みわくの中華料理 その2

人間の三大欲の一つである『食欲』、その食欲への飽くなき探求を行う中華料理に私は多大な興味を寄せる。
私の書く、これからの文章はキュレーション記事ではなく、私の記憶に頼るある意味妄想の文章と思っていただければ幸いである。

『蚊の目玉のスープ』、子どもの頃から本が好きで中学高校では豊橋駅前にある精文館書店をよくウロウロしていた。
料理の本もよく立ち読みした。
その中に出てきたのがこの蚊の目玉のスープである。

漢方であるこのスープ、私の一番の興味は蚊の目玉の採取方法であった。
記憶によると雲南省の洞窟を住み家にするコウモリの糞から採取するという。
ここまで読んで中学生の私にも容易に先は想像できた。

たぶん、広く大きな洞窟はたくさんのコウモリの昼の宿りとなっていて、昼行くと天井に無数にぶら下がるコウモリがキーキーと鳴き、その下は彼らの糞が層になって積もっている。
それを夜間彼らが外で懸命に蚊を捕食している最中にスコップで土を掘るようにその層を掘り出し、洞窟外に運ぶのだ。
発酵した糞の層は洞窟内の温度を上げ、湿った空気とアンモニア臭に包まれた洞窟内での作業は身体になんとも言えない鼻の曲がるような臭いを染み付かせるに違いない。
すべては美食(奇食)に心を奪われた金ですべてを支配できると思う哀れな楽しみを失った、殿上やそれに近いところで暮らす貴人、麗人たちへのためであった。

そんな作業を済ませ大量の糞を洞窟外に運び出し、すがすがしい屋外の空気を吸い、小鳥たちのさえずりを耳にしながら、清流を使い蚊の糞をまるでゴールドラッシュでアメリカに一獲千金を夢見て訪れた人々が一粒の砂金も流さないように慎重に皿の砂金混じりの砂を洗ったように丁寧に洗うのであろう。
そして残滓の流れ去ったあとには、まるで宝石のようにキラキラきらめく目玉だけが残るのであろう。

たぶん、こんな洗い方まで説明はなかった。

あわせてこの時思ったのはコウモリの胃液で消化できないものを人間の胃液は消化するのか、であった。
何に効くのかわからぬが食した翌朝、朝のお勤めを果たしたあかつきに、ふと視線を感じて便器をのぞき込むと水木しげるの描く妖怪百目のような私の分身が横たわっているようで怖かった。

『蚊』、そのものを食べても漢方としての効能は変わらないのではないかとも考えた。
尾頭付きの魚の目玉を好んで食べる方がいらっしゃるが、なんだかチリメンジャコの目玉だけを食べている、そんな感じがした。
そして学生時代、歌舞伎町の飲み屋でアルバイトしていた合気道部の安田先輩が、「昨日来た客の女の子、シシャモの骨外して食ってたぞ」と教えてくれた時に、なぜかこの蚊の目玉のスープが頭に浮かんでいたことを思い出していた。

食欲が微塵も湧いてこないスープである。

昆虫食がさほど珍しくなくなりつつある昨今であるが、部位だけ、それも大量に集めて食べるのはあまり聞いたことが無いような気がする。

私には興味津々の不思議なる中華料理である。

『みわくの中華』最終回、明日は50年前、長く香港で仕事をしていた父から聞いた「ホントかいな」とその時に思った中華料理の話である。

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