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クリスマスは来週ですね、そして企業の経営姿勢についての続き

昨日の続きのような事を綴ります。
頂いたコメントを読みながら以前の仕事を思い出していました。
過去にここでも書いたことのある事件です。
勤務していたゼネコン営業マン時代、まだ三十代、駆け出しの頃の話です。

他支店の起こしたある企業への用地仲介が大きなトラブルとなりました。
全国的にお付き合いいただいていた電機メーカーの工場跡地をあるマンションデベロッパーに他支店が仲介したのです。
その用地には土壌汚染があることが土地売買の契約を交わした後に判明し、それをその電機メーカーは会社の姿勢として公表したのです。
決してマンションデベロッパーをだまそうとしたのではなく、契約解除まで含めた対応を用意していた過程で、たまたま担当部署が違うがために起きてしまったトラブルでした。

私がいた会社の処理対応が悪く、電機メーカーからは大目玉を食らってしまいました。
そして、会社の誰もが逃げ出してしまい、電機メーカー本社担当の大阪支店の一番下にいた私に全てのお鉢は回ってきました。
マンションデベロッパーは喧嘩するには十分な相手だと思ったようです。
なんとか解決の形は作れましたが電機メーカーからの不信感は募ったままでした。

今振り返ると不思議ですが、上司は皆知らぬ顔でした。
さらに不思議なのは当時主力銀行だった大阪本社の銀行から移籍していた副社長が一人でその事件の対処のために動いていたのです。
しかし、まったく手を付けることが出来なかった、と本人から後日聞きました。
銀行で役員をしていた頃からの付き合い、切られるわけにはいかなかったと言ってました。

私は最終的には『足で稼ぐしかない』と思い、その副社長もまったく相手にしなかったゼネコンの窓口である施設管財部長のもとへ、謝罪のため毎日通い詰めました。
その部長が私と会ってくれたのは三か月後です。
毎日その電機メーカーの創始者の記念館に必ず立ち寄り、掲示されている文言すべてを記憶しました。
施設管財部長と会えた暁にはそれなりの会話が出来なければと考えての当時無い知恵を絞っての準備でした。

管財部長は「俺も元は営業マンだ。君の立場も君の気持ちもわかる。」と言ってくれました。
「君のような男がいるならば君の会社と縁を切ることは出来ない。」とも。
そこから、関係は復活し、呼びつけられて仕事の発注もしてもらいました。

泥臭いやり方でしたが、知識も経験も、知己も無かった私に出来ることは他にありませんでした。

企業人であるならば、まずは自身の保身を考えることは家族を持つ人間として当たり前なのかも知れません。
ただ、それが重なればその会社は成り立たなくなるかも知れません。
『会社のために』なんて今どき流行らない言葉かも知れませんが、自身が思いを持って入社し、家族と過ごすよりも長く時間を共にする仲間たちもいます。
ある程度は自身を犠牲にし、無い知恵を絞り、小さな勇気を振り絞って前進しなければならないタイミングってのがあると思います。
そんな積み重ねがたくさん出来ているところが『いい会社』なんだと思います。

没後10年ほどのことであり、この会社の創始者の心は直接その薫陶を受けた方もたくさんいて、人を信じ人を大切にする経営姿勢とともに色濃く残っていたんだと思います。

この創始者の言葉に『断崖絶壁に立て、その時初めて新たな風が吹く』というのがあります。
そして、大好きな言葉の中に『青春とは心の若さである』という一文があります。

この言葉を時々思い出しながら私はここまで生きてきました。
お会いしたこともないこの創始者には心から感謝しています。

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