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家族を見て考えた認知症と障がい

日曜日、仕事を終えて阿倍野まで合気道の稽古に行ってきました。
明日は休み、本来であれば稽古帰りにひとりぶらりと立ち飲み屋にでも寄りたいのですが、それもままならぬあと一週間、仕方なくまっすぐ帰りました。

毎週、同じ曜日同じ時間に合気道の稽古に行く、この当たり前が当たり前でない十数年間でした。
世の中にはもっと大変な思いをして生きている方がたくさんいらっしゃることは重々承知しています。
でも、そんなことがあるから何でもない幸せを幸せと感じることが出来ることを両親と兄から教えてもらいました。

唐突にレバニラと餃子。

いつもこれだけかと思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、高校時代中華のコックを目指していた私にはこの二品が中華料理の最強です。
餃子は肉に野菜、そして炭水化物の皮に包まれた完成された逸品です。
レバニラにはビタミン、鉄分が豊富に含まれ身体の疲れを癒すには最適です。

かと言って胃袋に収まったらすぐに元気になるかと言ったらそうではありません。
気持ちの問題も大きいですね。

そして、疲れた頭で考えました。
障害者でも健常者でも歳を重ねて認知症になれば同じではないかと。
介護保険法と障害者の法律の中には明確な定義があり区分があるのでしょうが行き着く先はあまり変わらないような気がします。
認知症にも障害にもいろんなタイプがあります。
より良く生きていってもらうために介護やら支援があります。
最後は『食べる・寝る・出す』です。
それを苦痛無く行えるようにする。
それだけだと思います。

生きてきた過程は違えども、最後は同じになっていく、ならば人間として生まれてきて公平のような気もします。
障害を望んで身に付けこの世にいる人間はいないでしょう。
認知症も同じでしょう。
最後は皆で仲良く生きる時間があってもいいと思います。

なんだかおかしな事を書いてあるような気もしますが、両親と兄を見てきて思う実際です。

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