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あの頃見上げた青空

もう四年も前のことである。
コロナがやって来る前のことだった。
何もないことが幸せであると振り返り気づかせてくれる時期であった。

合気道の稽古を行っているのは大阪市阿倍野区にある大阪市が再開発を行ったエリア内に建てられた市が分譲した住宅棟の隣の商業棟のレンタルスタジオである。本来であれば、畳の道場で皆に稽古をしてもらいたいが現在では各区に設けられた大阪市のスポーツセンターの道場を定期的に使うことは不可能になってしまった。レンタルスタジオを借りることができただけ幸せなのである。

そこで子どもも大人と一緒に稽古してもらっている。子どもも大人も混在に稽古することでそれぞれが考えることもあり、こんなやり方もあってもよいと思っている。
少なからずの子ども達がやって来て少なからずの子ども達がここから旅立っていった。子どもも大人もこの道場に来る目的はさまざまである。子どもは親の意志が大きな場合が多い。でも、初めはいやいや来ていた子どもが熱を上げて受験時期にやめたくないと言い出すこともある。その逆もある。そのケースは様々なのである。合気道はなんとなく入りやすく、礼儀正しくなる、なんて感じが親としたらいいのだろう。近所のマンションから通って来ていた彼もそんな中の一人だった。

道場のルールとして小学生は保護者と一緒に来てもらっている。暗くなってからの時間もあれば、交通事故も怖い、スポーツ保険には加入させるものの、私には責任を取りきることはできないからだ。でも彼は時々金曜日の夜、一人でやって来た。お父さまかお母さまが一緒の時には嬉しそうな顔を見せていた。他の子たちには必ずご両親のどちらかが一緒だったからだろう。彼のご両親はいつも彼を見ていなかった。いつもスマホをのぞき込んでいた。でも彼はいつもご両親を見ていたのを私は知っていた。彼は受験が近づいた時期でもないのにある時急にやって来なくなった。気になって連絡を取ると「やめさせたい」とお母さまが言った。
各家の事情にまで私は立ち入ることは出来ないし、しようとも思わない。でもその翌週彼は一人でやって来たのだ。

「あれ」と思い、「今日は一人か」と聞くとボソボソと「黙って出て来た」と言った。私がお母さまと話をしたことは知らなかったのだろう。少しだけ稽古をさせて「心配するから今日は帰りなさい」と早く帰らせたのである。彼とはそれっきりなのである。どんな思いがあってこそっと道着に着替えて一人マンションから抜け出てやって来たのだろうと時々思い出すのである。

ちょうど桜が二分咲き、三分咲きくらいの頃だった。稽古の帰りに、若い連中と途中の公園にコンビニで買ったビールを持ち込み花見をして帰った時だった。気がつくと私の横に彼が黙って座っていた。彼のマンションの近くの公園だった。日曜日のその日、お父さまと二人で留守番をしていて公園までやって来たと言う。お父さまは彼の指さす方向を見ると芝生の上で昼寝をしていた。一緒にポテチを食い、ジュースを美味そうに飲みしばらく話をしてお父さまのそばに戻っていった。

彼が道場に来なくなったのはそのあとくらいだったように思う。何かご事情があったのか、ご両親が付き添いに難儀されたのか分からない。でも、すべてはなるがままでいいと思っている。
所詮、私の道場は通過点なのである。ここにきて何を考え、感じるのかはそれぞれである。子どもも大人も関係無い。何一つ「こうでなければならない」なんてものは無い。ただ、全ては自身の血肉になる。どんな時間であろうと無駄に過ごしてしまったなんて時間は無い。必ずそれには意味があり、将来のひらめきの基となり、自身を形成する何かになるのである。

日曜日、合気道の稽古の帰りに久しぶりにのぞかせてくれた青空を見てまた彼を思い出していた。
公園で彼と一緒にいたお父さまは青空の下で寝ていたなあと思い出していた。

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