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料理が好きだということ

今の若い人達がまだよく憶えていない頃に料理店で飲酒の出来る時代があった。

美味い料理に舌鼓を打ちながら、ビールや酒が飲めたのである。
街の中華屋で脂っこい肉ニラ炒めやニンニクたっぷりの餃子をビールや紹興酒で胃袋に流し込むのはたまらなかった。


私は料理が好きである。

飲み屋をやっていたくらいだから当たり前だろうと思われる方も多いだろうが、料理の得意でない料理人はいる。
たぶんセンスの問題だと思う。

たとえばこの肉ニラ炒めを作る手順である。
下ごしらえは別として炒める順番や炒め方とかである。
肉は誰もが最初と思うだろう。
次に私はニラを中華鍋に投げつけ、匂いの立ったところで手早くモヤシを入れて味付けをして仕上げる。
ゴマ油で肉に加熱した後、多分1分以内には完成であろう。
その間はもちろんずっと強火である。
モヤシの水分を浸透圧で出さないためである。

そういう事を教えてもらわなくとも何となく分かるのが料理のセンスだと思う。

材料の切り方、火の加え方とかのそんなちょっとした事で味が変わってしまう。
食感が変わってしまう。


よく行った天王寺の街の中華屋の餃子付きの肉ニラ定食がよかった。
私の好みである。
餃子も美味しい、焼き加減もいい。
私はたぶん世の中の食べ物の中でこの焼き餃子が一番好きだ。
野菜と肉のバランスの取れた料理である。
焼き上がった皮と蒸し上がった餡、このバランスが難しい。
そして、この餃子はご飯があると味が倍増する。
小麦粉の皮に包まれた餃子は麺類の仲間として考えるべきだと思う。
だが、美味い餃子に遭遇してしまうとご飯も進んで炭水化物過多となる。
ビールも進み、私たち中年族、高齢者予備軍は気をつけなければならない。

餃子は語れば長くなる。
またの機会にしようと思う。

皆が店内奥にある頭上のテレビに向かい一方向に座り黙々と食事するなか、私の背後のテーブルから『肉ニラ定食、餃子ダブルで!』と女性の声で注文があった。

私が一人前で腹一杯になるのに二人前の餃子と肉ニラとご飯とスープを平らげるガテン系の元気な姉ちゃんかと帰りに横目でチラ見すると、なんとなんと三十代くらいのスーツ姿の仕事帰りの女性であった。

餃子を愛する美しい同志に出会い嬉しくなる瞬間であった。

ビールの一本でも差し入れたかったが、飲酒関連の言葉は店内監視カメラがAIの力で拾い上げる。
即、役所の担当官が飛んでくるから、もちろんしてない。

こんな時代になってしまってわかった。
料理が好きであるのは間違いないが、本当は、私の作る料理を食べながらうまそうに酒を飲むお客さんの顔を見るのが好きだったのかもしれない、、、


缶ビール片手に昼間から町をウロウロ出来たあの大阪の町が懐かしい。

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