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道は人がひらく

世の中は人が動かしているとつくづく思う。
そんな事を思い出していた。
最近、ある人から頼まれて日本の道路事情を調べていた。
私はゼネコンにいた。設計事務所にもいた。どちらも建築担当の営業マンだったが土木の事も疎くはない。
でも、国道、県道でいろんな理由から通行困難な道を酷道こくどう険道けんどうという言い方があることを知らなかった。
道路法という法律の中、政令で定められる国道、知事が認定する県道がある。
高速道路、一般国道の国道は全国に500ほど、県道に至っては数千もの数があるのだろう。
その中に酷道こくどう(酷い道)険道けんどう(険しい道)と揶揄される道があるのである。
日本の国土の7割が山地である。しかも周囲は海である。そんな中での交通網となる道路には酷道、険道があってもおかしくないと思う。
私の故郷である愛知県豊川市から父の実家の長野県飯田市に向かう国道・県道にもとても個性的な山道が少なくなかった。
狭い道は対向車との行き来を阻み、落石や土砂崩れも珍しくはなかった。狭隘きょうあい道路(狭い道)で続くカーブではクラクションをずっと鳴らし続けなければならなかった。いっそのこと、そんな道では夜間の方がヘッドライトが対向車を知らせてくれて走りやすかった。しかし、それはそれで、漆黒の闇のなかの山道で命懸けであった。
だから、酷道、険道と目にして「へ〜ッ、そうなんだ」と特別にしているのが不思議だったのである。
ある意味、そんなのは当たり前だと思っていた。

もう二十年くらい前になる。
関西の地方都市に仕事で通っていた時にそこの首長から道路の相談を受けた。その町には鉄道駅が無かった。町が所在する広い某府のなか、たぶん一番不便な町だった。もちろん自動車が無ければ身動きは取れない。日本全国にまあまああるような過疎化を加速させる要素を持ち合わせる町だったのである。
首長からの相談は「住民の生活の利便性を高めるためになんとか交通手段を考えれないものか」、であった。
山に囲まれたその町から国道に出るには一本の道、しかも囲まれた山を避けての遠回りの道しかなかった。反対側の山越えの府道を走れば1時間も所要時間を短縮できた。しかしその府道は酷道・険道ならぬ腐道だったのである。
鬱蒼と茂った樹々で日中も薄暗く、道幅はもちろん狭く対向車とすれ違う離合場所もなかったのである。女性や不慣れな人間にはとてもではないが走ることの出来ない腐道だったのである。
実はその近くにトンネルを抜く計画があった。
でも、建築と違い土木工事には計画から設計を経て工事にかかるまでには時間がかかり過ぎるほどかかる。トンネル開通予定は10年後だった。
考えて、ある人に相談すると府まで話をしに行き、緊急措置生活避難道路(たしかそんな名称)なる新しい制度を府に作らせて予算化したのである。ヘアピンカーブの路面を広げ、狭隘部分の補強もした。離合場所も作った。それで皆さんの生活がずいぶん便利になったのは言うまでもない。
今はトンネルが開通している。
だからもうその府道を走る人はいないだろう。

酷道・険道にファンは多い。ブログでもYouTubeでも賑やかである。それはそれでいいと思うが、生活道路として使わなければならない住民には深刻な問題なのである。日本中にそんな道路はたくさんある。費用対効果だけでは考えてはならない、住民にとってはそれこそ生死のかかった道路なのである。
それをよく理解し、自身の儲けなど全く関係ない中を動く人間がいるのである。そんな行政マンがいることに私は驚き、それまでずっと行政で働く人間に色眼鏡を掛けていた自分を恥じた。
それからこの人にいつか返そう、そう思って仕事をしてきた。生きてきた。
世の中には人しかいない。
良くするのも、悪くするのも人なのである。
ならば、この人に付いて世のためになる事をして生きて行こうとその時決めたのである。
それからずいぶん時間が過ぎた。
少しは何かを返せただろうかと思える年齢になった。

いつかは私の思い出の道であるその腐道をその人とともに訪ねてみるつもりである。


今回の写真は文章とまったく関係ありません。
愛知の障害者施設にいる兄貴の顔を見て来ました。
マイペースの兄貴にはいつも肩をすかされ、安堵のもと帰路につきます。
そして、その日は久しぶりに高校の同級生に会って帰りました。
変わらぬ友の顔を見て互いに歳を感じて大阪に戻る新幹線に乗り込みました。

とてもローカルな鉄道です。豊橋(新豊橋駅)から三河田原駅までの豊橋鉄道渥美線、三両編成の一部は「サイクルトレイン」となっていて、自転車を直接持ち込めるサービスを行っています。 
菊地アニキ、一度いかがですか?
私を育ててくれた豊橋の町は変わらず清く正しい町でした。午後4時に開く飲み屋は無く仕方なく駅ビルの寿司屋で数年ぶりの積もる話をしました。
いつもの「濃いめ」、新大阪駅では車掌さんが優しく起こしてくれました。


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