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本屋にもらってきた楽しみ

本が好きである。
でも、実は、もうしばらく本屋に行ってない。
というより、仕事と合気道の稽古以外で家から出ることがあまりない。

この流行り病でご多分に漏れる事なくどの本屋も大変な経営を強いられているのであろう。
それ以前に社会変革であるIT化の波による電子書籍や、書籍の宅送によるシステムが確立したりして、駅前や商店街の本屋が時代に取り残されてしまっているのではと気になっていた。

書籍だけで生き残るのはかなり難しいのであろうと容易に想像できる。 
本屋の中にはカフェや居酒屋を併設して生き残りを賭けて努力しているところもある。
でもそんな書店は資本力のあるチェーン店が多い。

断捨離に悩み、本は電子書籍に、と流行り病のはびこる前に決意したのだが、本屋を彷徨い歩きたまたま出会う本を、電子書籍で同じように見つけることはないであろう。
だから本屋巡りをやめることはないと思う。
それに、本屋にいるのが好きなのもある。
買う買わないはその後の事である。

駅前の個人経営の本屋はたいてい音楽などかかっていない。
無駄なおしゃべりも聞こえてこない。
そんな中で並ぶ背表紙をながめながら、気になる本を手にしてパラパラと目を通す。
そんな時間が好きなのである。
駅前あたりや商店街にある、店主の個性を窺うことの出来る本屋が無くなって欲しくない。

大阪でもミナミにそんな本屋がある。
近くに寄れば必ずのぞく、家族経営の雰囲気の良い店で私の好みの『食』の本がたくさんある。
考えれば、そこは取り扱いがかなり特化されているから一定の需要があり、多分持家で賃料の発生が無いからやっていけるのだろう。

ここで思い出すのは、以前何かの本で目にしたアメリカの書店で個人経営が十分成り立つのは本の価格が日本と比べ倍以上だと書かれていた事である。
それが日本でも出来て成り立つならば、日本の書店も十分やっていけることであろうが、私が思うに今の価格でも納得出来ない本が多すぎるような気がする。
まずは内容のある、質の高い本を創らなければならないという事であろう。
満足できる、内容のある、質の高い本を迷うことなく手に取ることが出来て、相応の対価を支払えれば書店にも、消費者にも何の問題も無い。

飲み屋は文化を作る手助けをしている。
本屋は文化そのものだと思う。
減らしてはならない駅前や商店街の本屋である。
本屋だけの問題ではない、誰もが関係する本の問題であり、未来の子たちに継いでいかねばならない文化の問題なのである。

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