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頂戴したハガキに思う

年賀状は書いていない。
両親、兄貴の介護・看病の重なった一大事に乗じてバッサリ止めてしまった。
それでもやって来る年賀状に時間を置いて寒中見舞いとして、そして私の生息のあかしとしてハガキを出している。
そして、それに対してぽつぽつと返事が来る。詳しく近況を教えてくれる。お世話になった方やともに机を並べ仕事をした奴の近況だ。決して皆が平坦ではない。年賀状にはそんなことは書いてない。新年の慶賀にネガティブな事を誰も書かないだろう。

人生の半分以上生きてきて思うのは、月並みな話だが「短いな」である。大学を卒業して40年経っていない。その間に仲間は大会社の役員や自分の夢を果たしつつある。正直ここに至る過程では焦りもあり、「どうして俺だけ、、」と悔やみもあった。でも今はスッキリしている。東京まで行けば泊まる所に困りはしないし、タダで酒をたらふく飲ましてくれる奴がたくさんいていいと思っている。奴らもそこに登り詰めるまでそれなりの苦労をしている。その苦労の場所が違うだけの話なのである。

「短い人生」はやる事の詰まった人生だったからであろう。それが好まぬ家族の介護・看病であってもだ。その間を私は無駄ではなかったと思うし、自分の生きた軌跡を否定したくはない。ここまで退屈な「長い人生」を送らなくてよかったと思うのである。

今日、一通のハガキが来た。ゼネコンを辞めてすぐに、乞われて橋梁の会社に入った。そこの部長がわざわざ自宅までやって来て「来てくれ」と言われたのである。橋梁業界最大手ながら建築部門がさっぱりだから伸ばしてくれと。給料は増え、のどかな会社であったが約束の建築の仕事はさせてもらえず、主力の橋梁の営業をしなければならなかった。そしてその営業はほぼ100%雲の上で決まる営業だったのである。それまでやって来た営業、これからやってくれと言われた営業とはまったく違い退屈だった。建築工事を一つ土産に残して二年間で辞めさせてもらった。
やって来たハガキの送り主はその時の実務を私に教えてくれた上司だった。
「あなたに対して大したこともしてあげられず、申し訳なかったと後悔しています」とあった。
やりたい営業も出来ずに高い給料をもらいストレスはたまっていたが、そこまで思わせるほど悩んでいなかったのになぁ、と申し訳なくなってしまった。

生きて来たことすべてに意味があり、定められていた人生だったように今は思う。
そしてこの先まだまだ退屈させてくれない何かが待ち受けていると思う。

実は、こんな考え方の出来る男ではなかった。典型的な乙女座A型の男、神経質な完璧主義者であった。両親、兄貴の介護・看病がそれを木っ端微塵に打ち砕いてくれたのである。毎年200枚の手書きの年賀状をやめさせたばかりか私の性格まで変えていた。

明日できる事は今日やらない。間違いや失敗は誰にでもあるからとりあえず謝ろう。そんな日々を今は送る。
もらった年賀状の返事の残りは暑中見舞いくらいまでには書こうかな、と思っている。

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