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そして今宵も酒を飲む

気がつけば年の瀬を感じる時期となり、気がつけばとうに六十を越えており、あらためて気ぜわしくなったりしている。
年齢とともに生活スタイルは変わり、人ととの出会いは減っている。
とはいうものの、同年代と較べればまだまだ人との出会いは多いのかも知れない。そんな中のお一人、この note で出会ったリアル菊地正夫アニキに東京で今年6月に出会った。

SNS上での付き合いの方に出会うなんて私の常識ではありえないことだったのであるが、なんとなくこの人には会ってみたいな、と思い、ご指定頂いた神楽坂のとある蕎麦屋でお会いし、しこたまご馳走になったのである。
先に着き、店の前で待っていると重い足を引きずるように店に向かう坂を登って来た。菊地アニキはその時、足の具合を悪くされていた。

昼前から酒をご馳走になりながら、昼の営業時間が過ぎても話は尽きず、場所を変えて四谷駅の喫茶店でコーヒーをご馳走になりながら話をした。菊地アニキはお書きになる文章から私が想像するような方だったので驚いた。文章に人格ってのが現れるってことを再認識できた時間だった。そして、自身を偽り、地を隠しながら長きに渡って文章を書くことってのはなかなか根性の要ることなんだろうなぁ、って思ったりもした。
美味い酒を飲み、とにかくいい時間を過ごせたのである。
そして今、菊地アニキは検査入院するかもしれないと言う。

あれからすでに半年が過ぎようとしている。半年って時間は微妙だ、長くも短くも感じる時がある。でもこの半年を人生のうちの回数でカウントすれば残された私の半年は40回無いかも知れない。正月や盆、黄金週間、自身の誕生日は20回も無いのかも知れないのである。なんて考えだすと、やおら忙しくなるような気がしないこともない。でも、変わらぬ時間が流れていくだけなのである。

まだ日々の生活に追われる時間が続く、大学を卒業する40年前に思い描いていた自分の人生とはちょいと違っている。でもいい。それでいいのである。無理やり我が道を突っ走ることも出来なかったことはない。でも私は宮島ひできという個人である前に人である。誰もが死ぬ時に何かを後悔はするのだろうが、その時に後悔してはならぬことをやっては来なかったと思っている。私がここに、この世に存在する理由はそんなところにあるんじゃないかと思う。決して一人でこの世に存在しているわけじゃないんだということに気付くことだと思う。若い頃には自分の存在や環境に公平を感じることは出来ず、天に唾を吐き続け自分の唾の雨で濡れ続けた。でもそれも経験しなければならないことだったのである。

今年もここまでやって来て、年末の気ぜわしさを感じることが出来て良かった。クリスマスがやって来て、正月がやって来て、また新たな一年が始まる。それでいい、それ以上望むことは無い。生きてさえいれば可能性はゼロじゃないのである。

今日は大阪で所属する会の合気道の演武大会が大阪城にある修道館である。
一日冷たいすきま風に吹かれながら座って審査をしなきゃならない。年に一度の大きなイベントである。一人で合気道をやっているわけじゃないから、これにも協力をしなきゃならない。
終わったら、京橋まで歩いて熱い日本酒でも飲んで帰ろうと思う。
今年も酒とともに一年が終わっていく。


菊地先輩、出たとこ勝負で邁進してください。病は気からですよ。今年初めに心筋梗塞を患った竹ネットの理事長は大きなフェニックスのように復活していますよ。酒を飲み、煙草も吸っています。「自分の人生だから」と、我が道を走り続けています。
菊池先輩も、理事長も、私もいずれは同じところに行くんだなぁ、と思って私はいつも安堵しています。

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