見出し画像

夏の夜は切なくて

いつもこの時期に思い出すずっと昔の思い出です。
2年前に書いた記事のリメイクで小説風にしました。
誰にでもある(ないかな?)ひと夏の思い出です。


その季節がやって来ると必ず思い出す、そんな思い出って誰にでもあるはずだ。

シンイチは夏が嫌いである。夏休みは好きで、夏の海は好きで冷や麦もかき氷も冷蔵庫の冷たい麦茶も好きなのに夏は嫌いだった。
両親と兄と家族四人で行った夏祭りがよくなかった。なんでこんなに暑いのに人がたくさん集まるのだろう。シンイチは不思議に思いながら家族のあとをついて歩いた。出店が並び人が群がる。皆、好き勝手に歩いている。シンイチのランニングから出ているまだ肉の付いていない肩に浴衣姿の若い女の蒸れた腕が当たったのだ。汗ばんでいるくせに女の肌は妙に冷たかった。シンイチはその夜夢を見た。それくらい気持ちが悪かったのである。女の汗が肩につき、その女と同化するんじゃないかと怖かった。
ただそれだけでシンイチは夏が嫌いだったのである。

二年後、そんなシンイチは意を決して一人夜店に行ったことがある。持病を持つ兄を一人残して母が仕事でいない晩に夏の夜店に行ったのである。シンイチは綺麗な物が好きだった。父の会社の社宅の2DKには何も無かったが、タンスの上にいくつかのガラス細工の小さな動物が並んでいた。毎夏、両親が兄とシンイチに一つづつ夜店で買ってくれたガラス細工が並んでいた。それを母の夜勤の夜によく一人でながめていた。たまたま近所で夜店をやっているのを思い出したら居ても立ってもいられなくなった。貯金箱の小銭をポッケットに突っ込み、兄を置いて夜店に向かった。

初めて行く一人の夜店はいつもと違った。小学校で禁止されている夜の一人歩きに知った顔がいないかキョロキョロしながら歩けば他人の蒸れた肌に触れることは無かった。見つけたガラス細工屋でしばし時間を忘れながらも残してきた兄が気になりはじめ、言い訳に兄の分の一番小さなガラスのタヌキと自分の白鳥を買った。

さあ帰ろうと振りむくと向かいの出店が金魚すくい屋だったのである。人の途切れた金魚すくい屋のアニキと目があった。吸い込まれるように水槽の前にしゃがみ込んで小さな金魚を目で追った。オレンジの和金と黒の出目金の子が夜店を歩く人のように泳いでいた。シンイチは綺麗な金魚も好きだった。しばらくするとアニキは「お前、一人だったらこっち来てもいいぞ」と自分の隣の木の丸椅子に指さした。頷き黙ってシンイチはその席に座った。出店から見る人通りは違った。低い水面で泳ぐオレンジと黒の金魚の向こうにはあてもなく歩く人の群れがいた。その前に座るシンイチは妙に優越感のようなものを感じていた。いつもはその群れに隠れて目立たぬように生きて来たシンイチにはまったく違う世界に座らせられたように思えた。優しいアニキには知的障害があるのがシンイチにはすぐに分かった。そんなアニキがこんな世界で働くことに違和感を感じ、同時に羨ましさも感じていた。
「帰るよ」と言うシンイチに「また来いよ、」アニキは言って、シンイチは喜び黙って頷き社宅に帰った。

シンイチは後ろ髪を引かれながらもそれから母の夜勤の日に黙って家から出て行った。そして、夜店は終わりアニキに次の場所を聞き、ひと夏アニキを追いかけていた。きっと、今までいなかった兄貴を見ていたのであろう。ずっと憧れていたどこの家にもある兄弟の関係に憧れていたのであろう。でも、シンイチのそんな幸せな時間が続くわけは無かった。ある晩、金魚すくい屋の店に座るシンイチの前に知った顔が立ちはだかったのである。鬼のような顔をした小さな母がそこにいた。アニキに何も告げることは出来ぬままシンイチは社宅に手を引かれて帰った。母は一言も口をきくことは無く、ずっと泣いていた。

シンイチは二度とアニキのところに夏がやって来ても行ったことは無かった。二度と夜店にも夏祭りにも足を向けることは無かった。ひと夏のほろ苦い経験であった。
でも、シンイチは未だに分からないのである。
母を泣かしたことは悪い。
でも、なんで泣くほどシンイチがあの場所にいたのが嫌だったのか、分からなかった。
兄とともに日中の陽の熱さの残ったコンクリートのなかに閉じ込められることがいいことなのか、分からなかった。
なにが正でなにが誤か、不条理のしがらみにシンイチは捕らえられているような気がして仕方なかった。
不可逆の世界におとなしく生きていかなければならないその世界の存在が分からなかった。


夏は私にたくさんの思い出を作ってくれました。
きっと皆さんも同じでしょう。
思い出って、良いことばかりじゃないですよね。
でも、歳を重ねるごとに嫌な思い出、悪い思い出は昇華されます。
そうやってそのうち私も普通の大人になっていくんでしょうね。


🎐また思い出す母の泣き顔金魚の目 

この記事が参加している募集

夏の思い出

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?