見出し画像

目玉焼きのはなしと障がい者

玉子が好きである。

餃子とカレーの次に玉子料理が好きである。

目玉焼き、ゆで卵、スクランブルエッグ、オムレツ、オムライス、天津飯、茶わん蒸し、玉子サンド、おでんは好きではないがこの中の玉子(大根とコンニャクもいいかな)、どの玉子も好きである。

中学を卒業する少し前に、両親は最後の生活を送った愛知県宝飯郡小坂井町(現・豊川市と合併)に居を移した。
私は大学へ行くまでの五年間と少しだけそこで生活した。
当時は現在ほど民家は無かった。

今は完全な住宅地へと変わり豊橋・豊川のベッドタウンとなっているが、その頃家から歩いて行ける距離に養鶏場があった。大きな養鶏場だったのを記憶している。母はいつも玉子はそこで買っていた。私もよく使いに行かされた。
鶏舎内を見せてもらったことがあるが、複層階の共同住宅のようなケージに入れられた鶏達は可哀想だった。身動きも出来ないまま餌と水を与えられ、毎日玉子を産み続けるのだ。我が家で飼っていたチャボ達とあまりに違う環境で、そのあと二度と見たいとは思わなかった。

まあ、それは置いておき、新鮮な玉子は美味かった。本当の朝採りの玉子である。生でも食べたが、その頃は目玉焼きに凝っていた。独りで食事するのに一番簡単でよかった。
好きな食べ物を尋ねられるとカレーか餃子といつも返事しているが、その二つを除外されたら、『目玉焼き』と答えるかも知れない。簡単なようでその頃案外難しかったのがこの『目玉焼き』だったと思う。そのまま食べるのか、パンに挟むのかで焼き加減は変わってくる。私は酒のあてに黄身だけ半熟の目玉焼きがいい。ハムは有っても無くてもいい。キャベツの千切りがあったら嬉しい。マヨネーズが千切りキャベツの脇に添えられ、醤油を少しかければ幸せな時間がやって来る。多少の手間はかかるが、私の好みの一品である。

私が小学生の頃母が豊川市民病院に看護師として勤務しており、一時期精神科にいた。その病棟まで数回行ったことがある。なぜ行ったのかは覚えていない。入り口が二重になっていて二枚目の扉は鉄格子だったような気がする。
窓も全て鉄格子がはまっていた。

ちょうど昼時に居合わせた私は昼食の配膳を見ており、席についた患者さんが一つだけの玉子の目玉焼きを見て「目玉焼きじゃない、片目焼きだ」と言って泣いていた。
言っていることは間違いじゃないなと、小学生の私は納得していた。
そんな事を目玉焼きをつつきながら時々思い出している。

六十の声をきき、ゼネコン時代の最後の仕事だった障がい者施設の発注者に声をかけてもらい週三回夜だけ介護の手伝いに行っている。
知的障害、精神障害、身体障害、の方々の夜のお供をしている。
自閉症の方が多い、平成元年生まれの私の息子と同年代も多い。
彼らと話をしながら夜中にひとり考える。

一玉の目玉焼きを片目焼きだと泣く純粋な障がい者ばかりではない。
彼らは彼らなりに、生きにくいこの社会のなかで生き延びる術を身に付けている。
なんだかそれを知った時に安心した。
あぁ、兄貴もこんなふうに一人で切り抜けているんだろうな、と思った。

『障がい』の有る、無しはたまたま『健常』とハンコを押された我々の数が多いだけ、数字が逆転することがあればどうなるのだろうと考えることもある。
私は福祉のプロではない、この歳から目指そうとも思わない。
しかし、データだけ追うと、日本の人口の7%の知的・精神・身体障がい者がいるという。
人口の総数は減少に向かい、65歳以上の高齢者は3割を超していき、この中の多くは寝たきりや認知症となっていく。
障がい者と判定されないグレーゾーンで働きづらい人たちや、引きこもって家でじっとしている人もいる。

そして、それらの人たちを支えているたくさんの家族がいる。

デジタル化も、カーボンニュートラルもいいが同時並行で力を入れなければならないことがあるような気がしてならない。
見たくないものに目を向けなければならない時期をとうに過ぎているとは思うが遅くは無い、やらないわけにはいかない。

じゃあ、何をするか。

まずは知ることだと思う。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?