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【ポエム】シャカイジンとエンジニアとワタシ

はじめに

今回はポエムを書きました。
私が私のために書いたものであって、誰かの何かに役に立つような記事ではないことを先にお詫びさせていただきます。
長いので読んでいただく際はお暇つぶしになれば嬉しいです。


「社会人」という言葉

私は「立派な社会人」という言葉が嫌いです。
理由は人によって定義が違うからで、使用する際に単なる思想の押し付けに使われることが多いからだと考えているからです。

たいていは会社で上司や先輩に怒られる時に聞きました。
後輩や同僚からは聞いたことがありません。
上司や先輩にひと通り怒られ終わった後に「社会人」って何ですか?と質問していたのですが、誰1人として私が理解できる言葉で教えてくれる人はおらず「申し訳ないのですが、理解できないものに成ることはできないです」と伝えるとため息を吐かれていました。

怒られている時に聞くからなのかな?とアプローチを変え、300人くらいに聞きましたが、明確な答えを手に入れることはできませんでした。
その代わり「人によって社会人という言葉の定義や内容が違う」という事実を得ることができました。
この結果に何だこれ?と思いましたので自分でも調べてみました。
言葉遊びかもしれませんが、仕事を引退した老人も、家庭を維持する主婦も、勉学と遊びに夢中の学生も、生まれたばかりの赤ん坊だって社会を構成する社会人だというのが今の私の考えです。しかしこの考えも、他人の考える社会人と同一ではないという事実があります。

私の知る限りではありますが60歳を超える人で「社会人」を語る人はいませんでした。彼らは私が理解しやすいように「君は立派になったね」とか「君は人間として成長したんだね」という言葉を使ってくれます。
彼らは私よりもずっと人間をやってきた人間のプロで、社会人を否定する私にとって耳に聞こえが良い言葉なのかもしれませんが、私は人間のプロ歴が長い方を信用することにしたいと考えました。

社会人がシャカイジンという言葉に変化してからというもの、私は人間に着目するようになったと思います。
その人が何を考えているのか?その人が何を欲しているのか?その人の好き嫌いなど、人を個別に構成する要素に目がいくようになったのです。
これは私が仲間と仕事をする時、友達と遊びに行く時、家族と一緒にいる時に大いに役に立つことが増えました。
会話が増えましたし、何より自分の周りにいる人のことを知ることができるようになったので、私だけかもしれませんが距離が近くなったように思います。

誰もが同じようにいくとは限りませんが、私は何者かわからないシャカイジンを目指すことを止め、周りにいる人を知って自分の行動を決めることが楽しくなったのです。


「エンジニア」という言葉

私は4年勤めたSIerの会社を辞め、間も無く個人事業主としてエンジニアリングサービス事業を主軸に独立をしました。組織の閉塞感から解き放たれ、クライアントの悩みを解決することが楽しくて毎日技術やビジネスを勉強する日々が続きます。

自分が欲していた情報は多くの場合、熟練者からもたらされました。
熟練者から「エンジニアとしてはこうでなければいけない」と言われれば、「なるほど、確かにエンジニアっぽい」と特別な考えもなく信仰や崇拝のように吸収していきます。エンジニアは感情論よりも理論で話し合いを行うことが多いため、かつての上司や先輩の話よりも理解と納得がしやすかったです。目的が理解できればその通りに行動することはできますので、私はエンジニアになるために更なる行動を進めます。

年月が過ぎ、職歴や経験が増加すると共に、自分が確かにエンジニアっぽい考えで、エンジニアっぽい人になっていることが嬉しく思えるようになりました。他人から認められ、必要とされるよりもエンジニアでいられることを優先していたと思います。
技術力などは仕事と直結するため、出来ることが増えると手に入るお金も増えていきますので「すごい、自分はエンジニアになってよかったのかもしれない」という考えも湧いてきます。
エンジニアという服を着て、エンジニアリングを行い、エンジニアとして歩くことが自分の生きがいに感じていたように思います。

時が過ぎクライアントの都合もあって、個人事業主から法人成りする形でマンハッタンコードという会社を作ります。
私は自分がやってきたことが一定の結果を出しているのでそのまま純粋に「エンジニアにとって良い会社が作りたい」と考えていました。
一緒に働く人にもエンジニアとしての行動や思想を植え付け始めるのです。
弊社は未経験でも採用しますし、若い人の割合が多いです。
私は30代ですが自社では一番の老人です。
その老人からエンジニアとは何かとか、エンジニアとして正しい道のりみたいなものを熱心に語られるのですから若い人は当然エンジニアっぽくなっていくわけです。クライアントからも認められると当人も私も嬉しく思い、「自分と同じように行動していれば」ということが段々と正しいような気持ちになってくるのです。

マンハッタンコードの独立は4人で行いましたが、今では10名を超える所帯になっています。人が増えるということはその分考えが増えます。
エンジニアとして名乗っている人とは出来るだけ知り合いたいと思っているので社外の付き合いも増えていきます。様々な人が考える「エンジニア」を吸収させてもらい、自分の成長が嬉しかったです。
しかし、これは後に私を内側から少しずつ苦しめる要因でした。


ビジネスとエンジニアの相対

会社は利益を追求する集団です。
私は仕事としてエンジニアリングをする前は営業マンをやっていました。
金融系の会社に勤め、法人相手の営業を行なっていましたので様々な会社を渡り歩いていました。自分で立ち上げる会社は是非とも柔軟な時代変化に対応するため、ビジネスに強い会社にするべきだと強く考えていました。
この考えから創業時メンバーと話し合いマンハッタンコードという会社は「ソフトウェアエンジニアリングサービス事業/SESを主体としたビジネスマン集団」であることを根底として活動することを決めました。

社内の人数が増え、付き合う人も多い中でエンジニアという言葉が空回りし始めます。恥ずかしい話ですが「え?こんな程度でエンジニア名乗って良いの?」などのマウントも多くなりましたし、自分より年若の人にそんなことを言っていた自分がいました。
私は営業マンでビジネスを学び、金融機関で会社を学び、SIerでSESを学び、個人事業でエンジニアを学んできました。そんな人間から「ビジネスマンとして」「エンジニアとして」と言われている社員たちがどう思うのか考えることは少なかったように思います。

売上を立てて利益を出さなければ会社が潰れてしまうので、ビジネスができない社員やエンジニアとして行動できない社員を快く思えなかったのも事実です。ただ「社員が悪い」という考えはせずにヒアリングを続けました。
会社として、個人として何か出来ることがないのかと探し回りました。

私がうまく問題解決ができずに辞めていく社員もいます。
ビジネスをしてお金を稼げなければ会社は回らないのにと考える私と、エンジニアとしてずっとコード書いてたいという社員にすれ違いが生じるのは当然だと思います。

自分があれほど好きだった「エンジニア」という言葉が、同じように好きなビジネスと相対するとは思ってもいませんでした。
加えて自分が嫌っている「シャカイジン」という言葉と同じように「エンジニア」という言葉を使っている自分が嫌いになりました。


苦しみに対してのあがき

誰しもそうだと思うのですが、私は苦しいのは嫌いです。
なのでこの状況を打破するために考えて行動することにしました。

まずはじめに行なったのは「会社は洗脳する場所ではない」と言って回ることでした。
問題が発生した時に原因を分析しますが、その中で「意識してなかった」とか「考えてもいなかった」ということを分析結果として報告を受けることがあります。
私はこれを否定しました。
「意識を変える必要も、考えを改める必要もないのでやらなくていい。何に問題があって、今の自分に出来るのは何なのか難しく考えないでやって欲しい。協力できることがあれば全力で協力する」と伝えるようにしました。
最初は特に何も効果がありませんでしたが、徐々に、少しずつですが社員の考えを知れる環境に変化しました。
社員がどう思ってるのかをフラットに聞けるようになったので、叱責というよりもアドバイスという形で会話ができるようになってきたと思います。
シャカイジンを捨てた時と同じように人に着目できるようになったのが私の苦しみを少しだけ救ってくれてる気がしました。

次に社員から教えてもらった話を聞いていくうちに段々と自分の中の考えが整理されていくようになり、自分の会社が抱える問題とその対策がクリアになっていったような気がします。
弊社はスマートフォンアプリケーションサービス専門の開発会社です。
SESとしてスマホアプリ開発の現場にお邪魔することが主な事業です。
ところがクライアントの仕事ばかりで自分たちで開発していないという大きな問題がありました。
クライアントの問題を解決できるのに、自分たちの問題を解決できないのであれば会社を続けることが難しいのでは?と考えるようになり、自社で行なっていたOKRを見直すことにしました。

出来るだけ業務時間内で出来ることを考え、エンジニアリングやデザインなどの専門分野の情報を集めるように仕組みを作り直しました。
最初は当然うまくいくわけがありません、Oに対してKRの達成率は0です。
しかし失敗と工夫を繰り返していくうちに社員みんなが考えて行動するようになっていきました。
デザイナーだってWEBのフロントコーディングをするようになりました。
今となっては弊社のデザイン部門でgitを使えない人間はいません。
エンジニアが運用のことを考えてヒアリングをするようになりました。
与えられたゴールではなく、チームで話し合ったゴールを作って行動するようになりました。
社員全員が会社のビジネスに対して動くようになってきたのです。


私、エンジニア辞めます

私は現在もクライアントの現場にお邪魔してせっせとスマホアプリサービスを作っています。自社に引きこもってない理由としてはサービスを作るのに環境さえあれば場所なんて問わないからです。
今の私の役割的には設計者なのですが、クライアントのクライアントとのミーティングにも参加しますし、画面デザインもしますし、ソースレビューもしますし、エンジニアの勉強アシスト、成果物のテストも手伝います。
成果物を開発するためであれば、出来る範囲内で何でも行動します。

そんな折に「エンジニア組織論への招待」という偉大な本に出会いました。
エンジニア組織論への招待で「エンジニアリングとは実現の科学だ」という言葉を目にし、自分の今まで考えていたことが人に伝えることのできるレベルで整理することができました。

今の私の状態はビジネスマンとしてエンジニアリングやデザインをする人になっているのです。当然プロジェクトのKPI設計や、ビジネスの方向性デザインもやりますし、ソース書いてリリースすることもしますし、リリース後の運用についても話し合い開発の中に取り入れようとしています。
私がやっていることはエンジニアリングなのですが、世の中で言われてるようなエンジニアではなくなっていることに気づきました。

こうして私は長年自分が好きだったエンジニアを辞めることにしたのです。
会社を辞めるのとは違いますので、まず最初に名乗る名前を変えました。
名前は何でも良かったのでシンプルに「アプリ作る人」として仕事をし始めました。

「アプリ作る人」の仕事は言い換えれば何でも屋なのですが、実に様々な問題に向き合うようになりました。
チケット管理ツールが混戦してタスクが前に進んでいなければ交通整理を行います。クライアントのビジネスが上手く行かなければ収益性を見直し、データを集めて是正提案を行います。アプリ作る人として仕事をしていても相変わらずエンジニアとエンジニアリングというキラキラした言葉たちが目の端でチラつきますが私は前に進むことにしました。
エンジニアを辞めた私は次の何者かにならなければいけないのですから。


2つの出会いと整理の終わり

「素敵な恋人と出会うためにはいつも身綺麗にしていろ」と祖母から教えを受けたことがありますが、新しい出会いというのはどこで発生するかわかりません。本人が出会いを意識しているうちには手に入らないことも多いのが人生というゲームの難しいことかもしれません。

まず1つ目の出会いは「デザインとスタイリングの違い」でした。
世の中のデザイナーさん達にとっては常識かもしれませんが、私には非常に新鮮でした。
とある方のnoteの記事にて拝読させていただいたのですが記事のURLを失念してしまい、再掲・引用することができませんので覚えている限りでいうと「デザインとは設計することで、見た目を整えることはスタイリングと言う」ということでした。長らくエンジニア側にいた私にとってはこの考え方が非常に新鮮で刺激になりました。
デザイナーの仕事はスタイリングばかりじゃないんだと記事に書いてある通りに私の中に新しい風が吹き始めました。

2つめの出会いは「開発者 / Development」という言葉です。
エンジニアであれば、またはエンジニアリングをしていればこの言葉に出会わない日はないと思われるような言葉です。
エンジニアの目的はエンジニアリングをすることなので、エンジニアの目的は実現の科学をすることとなります。
実現を科学した先に何があるのか?ということが私の興味の先でした。

しかし開発者であれば、目的は何かを開発することになります。
何かを開発するためにデザインし、スタイリングし、エンジニアリングを行います。時にはセールスもするでしょうし、時にはマーケティングも行うでしょう。その時々で行動していることが違くても何かを開発することができるのです。

エンジニアリングする人がエンジニアと呼ばれるように、デベロップメントをする人はデベロッパーと呼ばれます。すぐに調べると日本では不動産業界に「デベロッパー」という言葉が存在していました。
デベロッパーは不動産の開発を行い、地域、文化、価値を考え最大限に引き出し、建設後の管理、運用までを行うとのことで、まさに私がやっている「アプリ作る人」と同じだと思いました。

私の整理は一旦ここで終わりました。
この2つの出会いは特別なものではありませんでしたし、何か新しいものではありませんでした。しかし悩んでいた私にとっては非常に有益で非常に救われる出会いだったのです。

私はアプリエンジニアからアプリ作る人を経て、Application Developerになることにしました。


今後について

私は極力エンジニアという言葉を使わないようにします。
過去に私が生み出してきたものに「エンジニア」という言葉が入っています。巻き戻って全てをコンバートするか?という考えも湧いたのですが、それはそれで私の実績なので戒めの意を込めてそのままにすることにします。
私が作ったものでエンジニアという言葉が入っていたらダサいと笑ってやって頂ければ嬉しいです。

専門家ではない人たちとお話しさせていただくときはエンジニアという言葉を使うことがあるかもしれません。共通言語として長い間エンジニアという言葉を使用してきたため、業界の中でいきなり言葉を変えて理解と納得してもらえるほどの影響力は私にはありません。
私は私に関わる人を混乱させたいわけではありません。

自社では主軸にしている事業はSESです。SESというのはソフトウェアエンジニアリングサービスの略称ですが、これを弊社ではADS/ Application Development Serviceという名称に変えます。
今のうちは中身はSESと同じなのですが、先日のCareerUppersBoostにて発表しましたMHT Tec2.0を使った商品展開を徐々にさせていただきたいと考えています。弊社自慢の精鋭ビジネスマン達が、弊社自慢の商品を携えてお客様先を巡る日々を楽しみにしています。

採用についても大きくは変わりません。
株式会社マンハッタンコードは引き続き開発するビジネスマンを募集し、採用します。各員が得意なこととしてエンジニアリングをやったり、デザインをやったり、スタイリングをやったりしてもらうこととします。
一般的なエンジニアの会社とは徐々に離れていくので最初は混乱もあると思いますが、弊社の社員はまだ誰も見たことがない新しい世界を切り開いていくことを楽しんでおりますので、温かい目で見守って頂けると嬉しいです。


まとめ

私はIT業界に入ってから10年以上が経ち、まさか自分が愛してきたエンジニアというものを卒業するとは思いませんでした。ですが、私は自分の嫌いな自分であり続けることはできないと判断しました。世界を変えるには言葉、行動、考え方を変えて結果を変える必要があります。私が怖がって前に進まなければ、私の世界は前に進まないのです。

猿から人間に進化し、人間になった今、我々は猿に戻ることはできません。
歩行を覚えた人間にとって木の上の生活は便利なものではなくなりました。外敵から身を守ってくれた環境を飛び出すことで、家や武器を手に入れて身を守る手段は多岐にわたって進化してきました。
この進化が良かったのか、悪かったのかを判断することは神様以外にできることではないと思います。

エンジニアを辞めた私の判断と今後の行動がどのような結果をもたらすのかは実は詳しいところは私にはわかりません。しかしこれは決して衝動的ではなく、実験的でありながらも撤退することのない進歩だと考えております。

長々しい個人のポエムに付き合ってくださった方々に感謝します。
私は今後Application Developerとしてマンハッタンコードと周りの方々の役に立てるよう尽力していきたいと考えております。

敬具

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