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娘が胎児未満だった頃

引き当てた1%

今から2年前。日差しの強くなるこの季節。私は新米妊婦だった。

正式には妊娠未確定、いわゆる心拍確認前である。まだ妊娠が継続できるかわからないため、胎児の心臓の動きを確認できるまでは、母子手帳ももらえず、一般的に周囲の人にも公にできない。

…にも関わらず、私は直属の上司およびチームに「妊娠4週目かもしれないと言われました」と早すぎる段階でさっさと包み隠さず打ち明けた。決して妊娠ハイではない。

理由のひとつは、職場である小学校が炎天下での運動会を控えていたこと。もうひとつは、疑わしかったし、違っていてほしかったし、認めたくなかったが認めざるを得ないほど、はっきりと悪阻(つわり)の症状があったからである。紅組よりも白組よりも、吐き気の圧勝である。

後々、産院の看護師さんに点滴の針を刺されながら「100人に1人くらいそういう人がいる」と言われたが、妊娠確定前にフライングでとんでもない悪阻が直撃する人がいるらしい。その病名、重症妊娠悪阻。平凡な人生で、1%という超少数派に身を置いたのは後にも先にもこのときだけである。今のところ。

中身はゾンビ

まともに歩けないほどの吐き気とめまいを秘めて、よくぞ電車を乗り換えて通勤していたものだと思う。そしてもちろん、マタニティーマークや大きなお腹といった分かりやすい目印を持たない私は単なる通勤中の、動きの鈍い小娘に過ぎなかった。

見た目は小娘、中身はゾンビ、その名も妊娠初期・ニンプ!

…と回らない頭で余計なことを考えながら2日ほど決死の覚悟でホームを踏み締めて通勤していたが、競歩のようなスピードの通勤客の波に何度も吹っ飛ばされそうになり、藁をもつかむ思いでマタニティマークを求めに行った。

妊娠アピールによって少なからず悲しい思いをする人がいることも、信じられないことだが悪意をぶつけてくる人がいることも認識していたが、歩くのが遅くても容赦してほしいし、万が一意識を失ったらどうか助けてほしい。また万が一吐いてしまっても朝から酔っ払いかよと邪険にしないでほしい。そんな「万が一のとき」は十分起こりうることであり、恐ろしかった。そのときには、何が何でも、このおかしな小娘の中身がゾンビであり妊婦だと分かってもらう必要がある。

よろよろと駅の窓口につかまり、「あの…マタニティマークって、ここで、もらえますか…?」と声を絞り出した私は、髪は乱れ頬はこけ、吐くまいと目をカッと見開き、あの幸せそうな妊婦のイラストはかけ離れたヤバいやつだった。

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ついでに、このセリフも「おなかに赤ちゃんがいます」ではなく、「吐くかも知れませんKEEPOUT!!」の方が私には適切だった。

電車の中だって忙しい

授業は毎回崩れるように座って行い、配布物も自力では配りきれず、いよいよ体がヤバいと常に頭の中では警告音が鳴っているような日々だった。しかし職場としては、妊娠が確定できるまでは妊娠に伴う諸々の配慮はできないらしいので、とりあえず校内に存在するためだけに出勤していた。

電車での通勤中、マタニティマークに気付き、厚意で席を譲ってくれる人がいたらありがたいとは思っていた。が。

視界の90%をスマホの画面が占める乗客の目には、マタニティマークは小さすぎた。

責める気など毛頭ない。みんな忙しい。みんな疲れきっている。余裕がなくて当然なのだ。

スマホで明らかに急ぎの仕事をしている人もいる。夕飯の献立を必死に検索しているお母さんもいる。ゲームをしている人だって、ストレスの多い仕事を必死にこなしてきて、今が唯一心が安らぐときなのかも知れない。

みんながみんなちょっとずつ無理をして頑張っている通勤電車。ちょっとしたことが最後の一滴となって心の外壁が決壊してしまいかねない世の中。とても「座らせてください」などと言う勇気はなかった。誰かに気付いてほしい。いやそれはかまってちゃんなのでは。でも私には、妊婦に席を譲る心の余裕がある人を見極める能力も資格もない。

心を亡くすと書いて忙しい。金八先生に最もしてほしくない授業である。

黒光りする両手

その日も、座席はちょっとずつ無理をして頑張っている人達でいっぱいだった。朝からぐったりと眠りこけている人、スマホ上で親指を動かし続けている人、ペンと手帳を両手に持つ人、膝の上にノートパソコンを置いて一心不乱にキーボードを打っている人までいた。通勤時間を勤務時間にカウントできないシステムに理不尽さえ覚えるし、私は私で吐き気に重力があるんじゃないかと錯覚するほど体の自由も利かない。

そのとき、最後に述べた人が立った。膝の上にノートパソコンを開いていた中年の男性。無意識に一番忙しそうな人だと判断していた人がである。ごっそり荷物を抱えて「どぞ」と笑みさえ浮かべている。飛びそうだった意識を引き戻して立ったままお礼を言い、座ってまたお礼を言った。何しろ席を譲られたのなんて人生で初めて。譲られ慣れていない。

立った彼は、何事もなかったかのように片手でパソコンを持ち、片手でキーボードを打ち始めた。

忙しいじゃんこの人!!…と、明らかに不自由な体勢で仕事を続ける彼を前に、事態が理解できずに頭の中がピコピコ点滅した。ちらっと見えた画面には作成中のグラフが3つほど並んでいて、作業のきりがいいはずもない。大事な仕事なのか、確かそう、一心不乱にキーボードを打っていたはず。視界の90%どころか96%はディスプレイだったはず。

それでも彼は、この小さなピンク色のマークに気付いた。

ああ、本当に仕事ができる人ってきっとこうなんだな。と、吐き気に耐えながらピコピコする頭で事態を飲み込んだ。彼は、あのものすごい集中力と処理力の片隅に、忙しさは決して無関心を許容する理由ではないと、灯のような小さな信念を絶やすことなく持ち続けていたのだ、きっと。その信念が灯っていなければ、風で翻る軽さのマタニティマークなど目に入るはずはない。

よく見ると、顔色の悪いOLやサラリーマンの多い中、彼の顔色は……二度見したが見間違うことなく、黒かった。初夏には不似合いなほど、明らかに日焼けしていた。ガチで屋外のスポーツに取り組んでいなければ5月の段階で黒光りしているはずがない。ということは、この男性は、平日は通勤電車で仕事をしながら、お腹も出ていないけど中身はゾンビの妊婦に席を譲り、休日は何かしらの屋外活動に目いっぱい取り組んでいるということになる。

ああ、忙しくても人に親切にはできるし、人生楽しむこともできるんだな。と、黒光りする両手が忙しく動くのを見ながらやはり私は吐き気に耐えていた。

それはこの忙しい社会にも、確率1%のしんどさに気づいてくれる人が必ずいるという安心感であったし、いつか自分が通勤電車で血眼になってクックパッドで幼児食を検索するワーママになっても、それでも人を助けられる存在でありたいと欲張ってもいいという安心感であった。

思い切り頼るということ

そして、自身の忙しさと他人への優しさをいとも簡単に両立させてしまった姿は、私にとって衝撃的でさえあった。心の余裕がないであろう忙しい人には期待してはいけないと、無意識のうちに思っていたから。

この世の全ての忙しい人、ごめん。

他人の忙しさを言い訳にしていたのは私だ。私無理です倒れます助けて!!というのは相当勇気がいるけど、みんな忙しそうだからと勇気を先送りにしてきたのは私だ。

忙しさと優しさは、両立する。

私を助けてくれるのは、この忙しい社会に他ならないのだから。

その日、私は職場である学校に着くなり校長室に駆け込…む力はなかったが、どうにか自力で辿り着いて、母子手帳がもらえたらまとまった妊娠症状対応休暇を取らせてほしいと願い出た。とにかく死なないために、思い切り周りを頼った。結果的には、段取りをつけたその休暇開始を待たずして動くゾンビから生ける屍になってしまったのだが。

我が子のために初めて必死になったのが、この妊娠症状対応休暇の懇願であり、その背中を押したのは、間違いなくその日の日焼けした男性なのだ。そして彼は、思い切り忙しく優しく楽しくあれという生き方を、吐き気で朦朧とする頭に強烈に残してくれた。こうして2年後の同じ季節に反芻するほどに。

全て、心拍確認前、娘が胎児未満の頃の話である。


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