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世界中のやさしい人たちの話①

どこの国でも涙が出るくらいやさしい人たちと出会えたことは、私の人生を大きく変えてくれたと思います。騙されたり差別されたり嫌なことは当然のようにありますがいい人に会うと忘れられます。

ニュージーランドではワーキングホリデービザで3ヶ月以上同じ会社で働けなかったので、2個目の職場を去るときに一緒に働いてたタイ人の友達は自分のタイコミュニティの力を使い私に仕事を紹介してくれました。

タイ人はみんな助け合うんだと言って、知り合いのレストランを一緒に回って聞きこみをしてくれました。ウェリントンは小さいので本当に隅から隅まで周りました。最後に拾ってくれた人たちはこの人が言うなら問題ないと言って全然知らない日本人の私を引き取ってくれました。

そこでは夜のみ働いたのですが、仕込み中にお腹すいてるでしょといって私の好物のパタイを作ってくれ、閉店後みんなで賄いを食べ、帰りに明日食べなと言って更にパタイをくれるという親切すぎる人たちでした。ここのパタイは絶品です。(パタイは辛くない焼きそばみたいなやつです。)辛いものが食べれたらもっと色々食べれたのにと悔やまれます。

タイの人は本当に働き者というか、誰かのためだから働いてしまうのかもしれません。言葉を聞いたことある方ならわかると思いますがとても柔らかいイメージで人と一緒だなあと思いました。

そこの店長は昼は土木系の仕事、夜は自分の店を週7でこなしていました。

友達は週5で働きながら、更に友達の店を週2くらいで手伝い、週7で働く店長を休ませるため代わりに1日働きに来ました。店長の奥さんは日本に住んだことがあって、日本語も喋れました。そしてキッチンとホールの仕事をこなしていました。

そんなどう見ても忙しすぎる人たちが、私の生活の心配までしてくれていたのです。本当に感謝してもしきれません。

実際、家でインスタントラーメンしか食べないからシェアしてる人たちにもよく心配されてご飯を分けてもらったりしていました。私が小さい頃の夕飯はほとんどチキンラーメンだったのでなにも思わなかったのですが、私は小さくてガリガリの人間なのでみんなには特別不健康に見えたのだと思います。

友達は、タイでは生きていくためにお寺に入るしかなかったと言ってました。でもそこで料理を習ったおかげで今海外で働ける、そしてお金を貯めて自分の店を出すと言っていました。その時年齢は秘密と言われたけど、携帯の文字がすごく大きいやつだったのを覚えています。

ウェリントンは小さいけど食とコーヒーには全く困りません。フランス料理店の人たちと仲良くなったり、イタリアのカフェの人たちと仲良くなったり1年で町中に知り合いができました。

その何年か後に、ウェリントンで一緒に働いて遊んでた友達がこぞってドイツに帰国していた時期、ちょうど私もドイツに引っ越してたのでみんなでベルリンに集合しました。そしてウェリントンで家をシェアしていたニュージーランド人の友達はその1年前くらいにベルリンに引っ越してきてたので、なんか不思議な感覚でした。

ちなみにニュージーランド人の事を彼らはKiwiと呼びます。フルーツはKiwi fruitです。そのkiwiなまりが分からず、つたない英語の私と、同レベルなタイ人の友達でも意思疎通はできていました。ちゃんと喋れることは人との交流にそんな重要ではないと思います。 なんとなく分かるものです。


②へ続きます。

では、よい1日を!


Mia 


読んでいただいてありがとうございます!コロナのロックダウンからギリギリ食べれる生活なのでサポートは私の延命に繋がります。よろしくお願いいたします!