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多重「人格」のこと(1)

多重人格を扱った本には、1人の中に、名前や年齢や出生地がはっきりした人間達がたくさん存在する、という記述が多くある。最近読んだ、多重人格を持つ方のインタビューでも、同じような状況だった。

私の場合は、ある時から、感情のエレメントが人格のように、1人(一個)ずつ登場してきた。

母親から完全に決別する宣言をした次の日、まず出てきたのは、

「美意識ちゃん」だった。

私に住んでいる人格達に名前は付いていないので、それぞれの特性が分かりやすいよう、ラベルの意味も兼ねてそのまんまじゃないか、という呼び名にした。

「美意識ちゃん」は、芸術や音楽や美しいものが好き。同時に、造形的な美しさ以外にも、心の優しい人達の笑顔や、まっすぐな瞳、心の清らかさなどの美しさも認識する。私の髪をしげしげ眺めてから触れながら、「へえ、綺麗に手入れしてあるじゃない」と言った。「美意識ちゃん」は、少しアゴを上げ目線を相手に落とすように、つまり、ちょっと偉そうに話す。とても自信がありそうだ。その後、彼女は、小一時間ほど私の元カレ達について、つらつら話した。

「あいつは本当クズだったよね。キモいし、なんで付き合ったの?」と、ゲラゲラ笑った。

他の元彼については、

「あの人は良かったよね。才能あるし、目も綺麗。まっすぐで長いふくらはぎ最高だった。言い方は厳しいけど、物事の本質見える人。」と言い、私も賛同した。

家族についても色々述べた。母親の、私を貶める時の歪んだ顔が大嫌いな事。愛情の皮を被った過干渉と蔑みが共存した母が、たまらなく醜い事。他の家族の人間性も容姿も本当に醜く、あのような人達に蹂躙されていたのが本当に腹立たしい、気にする価値もない、などなど。心から軽蔑していたようだった。

「美意識ちゃん」が関心を寄せていたのであろう芸術全般に、私の人生は救われていた。閉じられた心の外側で響く音楽に心震わせ、ひび割れた心の隙間から覗く、優れた絵画やデザイン作品や写真などから、ここにはない調和のとれた世界を夢見た。私の醜い生活と別の世界線には、こうも美しいもの達が存在する、と知ることは、支えだった。その一部になりたいと願った。

他の人格に邪魔されながら、海外の美大に行き卒業できたのは、「美意識ちゃん」がとても強かったからだと、今はわかる。

臨床心理士の先生は、私の経歴を初めて聞いた時、なぜこの人生で美大に留学するバイタリティが持てたのか、本当に分からないと言った。普通の人が私の人生だったら、とっくに自殺していたと思うと。事実、何度も自死を考えた。「美意識ちゃん」の自我は、私を生き長らえさせるのに、非常に大きな役割を担ったのだと、今は思う。

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