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こどもの行動をデザインしない(ように心がけてる)

ついつい子育てしてると

「早く〇〇しなさい」
「この方が良いんだから、こっちを選びなさい」

こんなふうに、子供の行動を意図的な方向へとデザインしちゃってるなと。

ま、親の都合だし、その方が大体は効率的だったりする。
はやく登園完了して、始業したいじゃないですか。

そして時間の余裕があまりない時だと

「いい加減にしてよぉ〜もぉ〜。。。さっさとしなさい!!!」

なんて言ってしまう。

怒りちらした数分後には、罪悪感の海の中へ・・・。

***

そんなこんな、七転八倒の子育てをする中、ふとしたキッカケで「子供へ行動指示するのを減らしたらどうか」となり、いま試みてるのが少しだけうまいこといってる(気がする)のでnoteに綴ってみます。

来月の自分への備忘録も兼ねて(笑)

きっかけは「声かけ変換表」

子育てされてる方で見たことがある方もいるかと思いますが

スクリーンショット 2021-10-20 8.46.16

※画像クリックするとPDF版へリンクされています|出典《楽々かあさん公式HP https://www.rakurakumom.com/tools-share 》

妻からLINEでふと共有されて眺めていたら、目から鱗が落ちすぎて落ちすぎて、しばらくぼーっとしてしまいました。

「beforeの部分どれもが、親の都合による行動のデザインじゃん・・・」

当時そう気づいてびっくり。

もう一方のafterの部分は、子供をきちんと尊重していて「君ならできるって知ってるよ」という気持ちに満ちているように見えました。

驚くと同時に、これまで親目線で物を言い過ぎてたなぁと反省もしました。


そこから、なるべく子供の目線に寄り添ってみた

悪戯が大好きな姉妹。
記念にもらったオルゴールなんかも、すぐ壊しちゃいます。
壁紙も、、、アレします。

とくに好奇心が強く、実験がはじまるとなかなか周囲の声が聞こえない長女に対しては、よく強い口調で「やめなさい!」と言っていました。

とある日にふと

「この子はいま、どんな気持ちでやってるのだろう?」

こう思って長女の目線で何が見えてるのか意識してみると、少しずつ違う景色が見えてきました。

(この構造、どうなってるんだろう?なんでくっつくの?)
(ぶつけると珍しい音がするけど角度変えると…ちょっとちがう・・?!)

驚くことに、そこに悪意を感じなかったんです。
なによりめっちゃ楽しそう。

というか、叱るときにバイアス(偏見)があって、この悪戯には悪意があるはずだと決めつけてる自分に気づいたんです。


ぐにゃぁ〜っとして、ソファで寝そべっちゃうのも
なかなかお着替えできないのも
ご飯中にアサリの殻で遊んでしまうのも

はじめに親の目線ではなく、子供の目線に立ってみると、なかなか「なるほどね笑」と思える点がありました。


こどもにも、子供の都合があるんだなぁと。


意識的に行動のデザインを手放すと
負のループから抜け始めてきた

〇〇をしなさい、という言い方を避けるようにして間もないですが、そのおかげで見えてきたのは「今まで負のループの中にいたな」ということ。

非効率な子供の行動にきづく(なかなか着替えない)

行動をデザインする(「早く着替えなさい」)

さらに行動をデザインする(「いい加減にしないと怒るよ」)

うまくいかず怒る(「コラ!早くしなさいっ!!」)

うまく対処できなかったという実績で凹む(だめだ私)

気持ちが疲れた中で新たな非効率な行動にきづく…

もう少し平たく言えば、夕方になるほどに叱ってしまうループにいました。

これが募りすぎると、
心のダムが崩壊して、

泣くんですよね・・・。

***

今は、子供が非効率な選択をする場面に出会ったとき、なぜそう選択したのか理解しにいってみてます。

そうすると、案外大人でも「その気持ちわかるわぁ〜」となる場合があったり。

アサリの殻がパクパクすると、めっちゃおもろいじゃないですか。

その上で、その行動があんまりいい選択じゃないかもよとデメリットを提示してみてます。判断は任せる感じで。

すると、わりとすんなり「わかったやめるね」となってくれる傾向に。

なるほど、こういうことなのか。


ひとまず、継続してみる

一定の手応えを感じたこともあり、しばらくは子供の行動をなるべくデザインしないように日々心がけていこうとおもってます。

おそらく正しいような、そんな気がしているので。

そして朝の登園とかで手こずってる日に、こんなスローガンを閃きました。

「OK、非効率にいこう」

回り道、バンザイ!


〜終〜


サポートいただけたら、嬉しくて本屋に行くと思います・・・笑