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美しい海は地球からの贈りもの

血液が体中を循環して人間が生きていけるのと同じように、地球上の生きとし生けるものを育み続けている大切な水。

その海を汚すのはレジ袋に代表される
プラスチック製品だと思っていた。

私が初めて就いた職業は
ファッションデザイナーだった。
当時はバブル絶頂期。
高価なイタリアブランドが面白いように売れた。
いくつものサンプル生地を取り寄せ
柄見本も色見本も好きなように作った。
サンプルを作り展示会を開き
何度も修正を重ね、ようやく商品となって売り場に並んだ。

華やかな表舞台とは正反対に
私は次第に心が苦しくなっていった。
毎日終電に乗って帰宅するのは午前様だった。

辛かったのはそんなことではなくて
残業を終えて退社する時通る裏の通用口
その脇はゴミ置き場になっていた。

そこには没になった生地が反物のまま
山のように積まれていた。
この生地は何処に行くのだろう。
聞くと、あくまでもサンプル用だから
市場に出すわけにはいかないものなのだとか。

会社全体の各ブランドから
同じように不要になった生地や付属品が出た。
もちろん商品だって全てが売れるわけではない。

全く日の目を見ない真新しい反物も廃棄されていった。
目には見えない何か悲しみのようなものが迫ってくるのを感じた。
次第に私は仕事が耐えられなくなっていった。

その後会社を変えたりしたが
人間関係がとても難しい世界でもあり
結局アパレル業界に関わることをやめてしまった

時代はファストファッションへ流れていった。
以前なら売り場に並ばないような代物が商品となっていた。
誰がどこで作ったのかも判別できない。

とうてい長く大切に着ることは不可能だ。
ワンシーズンで使い捨てのように扱われる。

ガーナではそうした古着を毎週1500万着も輸入し
その内40%が埋め立て地に行くという。
まるで捨てるための生産しているかのよう。
更にそれが海を汚し海洋生物を苦しめている。

今や大量生産、大量消費は経済効率の名の元に
多くの物にみてとれる。
貨幣経済の規制概念に執着する余り
そこから抜け出せないでいる。
そして、そうさせているのはまぎれもなく
私たち人間のエゴにほかならない。

私たちは何一つ自分自身で作り出したものはない。
全て既に地球にあったものを利用してそれで生きている。
もっとその事へ目を向けても良いのではないだろうか。
全ては既に与えられているということ。

そのことへの感謝の思いから
すべてのことを始めていけば
今人類が直面しているあらゆる課題を
改善していくことが出来ると思う。
何故なら全て与えられているのだから。

海はどこまでも青くて、美しくて
波の音を聞くだけで、そこに身を委ねるだけで
体の芯から、心の底から癒されていくのを感じる。
そして何故だか懐かしさを感じる。
それは私たちはこの地球に生かされているから。

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