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[書評]脳を必要とせず自ら知覚し判断する皮膚

山口創『皮膚という「脳」 心をあやつる神秘の機能』(東京書籍、2010)

皮膚は光を感じ音を聞き、脳の指令を待たず独自の免疫システムを持つ。これだけでも驚きであるが、五感がそもそも皮膚にあり分化したものであるとの仮説も出てくる。それだけではない。アイデンティティとか自己という感覚は皮膚がうみだしているという。そのアイデンティティ同士の距離、コミュニケーション・ギャップを「違和感」と捉えず、分厚い、豊かな「境界領域」の延長上に感じとる。「さわる」と「ふれる」の違いを意識し、「触れ合い」から介護の問題まで考える。手のひらを表す掌はたなごころとも読む。すなわち、「てのこころ」。フロイトが 「自己の感覚は皮膚から生じる 」と述べたことが想起される。著者はいう。

日本人は皮膚の感覚を大切にしてきたといえる。いいかえれば、五感の中で触覚をもっとも大切に慈しんできたといえるだろう。遠い昔の日本人に、「心はどこにあると思うか?」と尋ねたとしたら、「皮膚 」と答えるだろう、とさえ思う。

極端にいえば世の中のことを「皮膚感覚」で捉えなおした本といってよいであろう。「皮膚感覚」的世界観。あるいは「皮膚という脳」を通して見た世界。著者は身体心理学の立場からこうした見解を述べる。

本書のハイライトのうち一つを挙げる。大橋力は

バリ島のガムラン(金を含有した青銅製の打楽器アンサンブル)や、テクテカン(竹管を堅木のバチで激しくたたく打楽器群)の音に、多くの超音波が含まれていることを発見する。

 ガムランは、二十数人の男性が演奏し、主力となる鍵盤楽器では、青銅器が堅木のハンマーで強力に打ち鳴らされ、地球上でもっとも強力な高周波音を紡ぎだすといわれる。またテクテカンは、数十人の上半身裸の男性が竹管をひとつずつもって密集して座り、それぞれの音の組みあわせが16 ビートを構成するよう強烈にたたき続けるもので、竹を激しく叩く破裂音が重層化することによって、超音波を作りだしていた。

大橋の研究によって次のことがわかる。

超音波成分を含む音は、それが含まれない音に比べて、快適性と関係の深い脳波(α波)が増強されると同時に、脳幹や視床といった脳深部の神経活動を劇的に活性化させることがわかった。ただしその効果は、少なくとも音を10数秒以上聞いていないと発生しないが、一度発生すれば、 100秒前後は残留する。

 また、この効果は超音波成分を単独で聞かせても生まれないことも判明している 。音楽に混ぜて聞かないと、効果がないのである。

超音波だけを聞かせても影響がないことから大橋は次のように考える。

大橋は、超音波の効果というのは、これまでにわかっている「聴覚 ─神経系」の反応とは異なるメカニズムがあるのではないかと考え、超音波は皮膚が受信していると考えるに至っている。

皮膚と超音波(や低周波)の関係を考えるとき、人類と他の動物の比較の観点も有効だ。

人類の祖先であるマーモセットやタマリンはコミュニケーションの手段として、鳴き声による超音波を使っている。平静な状態ではその音は人間にも伝わるが、仲間に敵の存在を知らせたり、興奮状態になると、その鳴き声は人間の聞きとれる範囲を越えてしまう。しかし実際には超音波は障害物に弱く、森の中ではあまり役には立たず、チンパンジーになると、単に残存器官として残っているにすぎないようである。これは現在の人間の姿に通じるであろう。

その人間において皮膚での感覚情報処理はいわば分散処理にあたる。篠田裕之はこう述べる。

皮膚感覚情報は、分散的かつ自律的に情報処理されて、処理されたあとの特に重要な情報のみが、中枢神経系に送られてくるのではないだろうか

このほか、リミナリティ(境界性)に関する指摘は示唆に富む。皮膚は内と外を分ける境界だ。それを西欧流に断面と捉えずに、厚みをもった、ふくらみのある領域と捉える。この感覚の延長が人間関係のさまざまな問題を解決する大きな助けになりそうな実感が、本書を何度も熟読するとしてくる。

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