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[書評] 歌わないキビタキ

梨木香歩『歌わないキビタキ 山庭の自然誌』(毎日新聞出版、2023)

自然観察に共感しつつも人事観察には諸手を挙げかねる

2020年6月から2023年3月にかけて書かれた最新エッセイ集。

梨木香歩は小説とエッセイとでは違う反応を読者から引出しかねない。小説の愛読者ではあっても、エッセイには反感を覚えることがあり得る。

小説は、小説というフィクショナルな時空を拵え、読者もそういうものとして読む。

ところが、エッセイ、特に時事的問題についてのエッセイは、そうも行かないことがある。特に、上記の書かれた時期を見ると、日本の現代史でも未曾有の物騒な事件や流行り病が起きている。ことによると、利害関係者だったり、当事者だったり、ともかく、そうした出来事と適切な距離をとるのが難しいこともある。そんな場合には、著者の見方に反感を覚えることも十分あり得る。

もっとも、エッセイの対象が、例えば、文学だったり、自然だったり、人としての自然な人情に関るものである場合には、そうした反感は起きにくい。

前置きはこれくらいにして、共感を覚えた巻末について記す。

河田桟の絵本『ウマと話すための7つのひみつ』(2022年)について著者は次のように語る。

〈言葉という手づるがなく、文化的コードに頼ることもできないとき、生き物同士はどう付きあったらいいのか。

この絵本で推奨されていることは、何もせず、動かず、目を合わさず、少し遠くにいること。そして、何となくうれしい気分でいること。つまり、どうやら、世界の一部になって、同じく世界の一部である相手を感じつづけることらしいのだ。そうして、ゆっくり、相手に認知されるのを待つ。

こういったことすべてが、馬語の世界でおこなわれていることである。興味深いことに、相手との距離そのものも、馬語にふくまれる、と河田さんは言う。近くに来たり、遠くに行ったり、この距離も馬語なのだと。今の気持ちにちょうどいい距離、というのが馬にはあります。必ずしも近いほうがいいとは限らないのが、おもしろいところ。

人語のほかに馬語のバイリンガルになるということは、ずいぶん世界を広げていくことのように思える。何より楽しい。

まず、相手の存在を認める、ということ。そして、世界ごと、相手の個性をとらえていくということ。相手の属性がオスかメスかより、まず先にそのことがある。知人のヘアースタイルがときにショートになったりロングになったりしても、その人を、その人と認識する、その人らしさには、ほとんど関係がない。そのようにして、人との女性度、男性度が変化していったにしても、その人の本質には、さして関係はないように思う。〉

最初は馬語のことを語りながら、やがて人語に、そして存在そのものへと広がる。この広がり方こそ、梨木香歩の最大の魅力のひとつだ。

#書評 #梨木香歩 #自然誌

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