【書評】ウィズ・ザ・ビートルズ、「ヤクルト・スワローズ詩集」
村上春樹の短篇。連作短編「一人称単数」その4と5。「文學界」8月号。
ウィズ・ザ・ビートルズ
ときは1964年秋。ところはたぶん神戸。
ビートルズの2枚目のアルバム《ウィズ・ザ・ビートルズ》が運命の日 (*) に出てから約1年後、その女子高生がそのアルバムを「大事そうに胸に抱えていた」。
(*) 1963年11月23日。米35代大統領ジョン・F・ケネディが南部ダラスで暗殺された日。
その頃、そのタイトルのアルバムを持っていたとしたら、英国盤以外にあり得ない。
当時は、高校の校舎で輸入盤をふくむLPレコードを抱えた人を見かけることは、あった。なぜ、抱えていたのか。大事なアルバムを、人に聴かせるか、借りて聴かせてもらうか、目的はともかく、特別なことだった。
安価ではない。当時、英国盤なら2,500円くらいはしただろう。だが、値段が問題ではなく、大事なのはレコードそのものが持つ価値だった。
そういう背景をしっかり定位したうえで、この短篇は綴られる。その頃の空気がぎゅっと詰め込まれた瞬間がある。
「ヤクルト・スワローズ詩集」
これはまた、スカスカの作品だ。
スカスカだからといって、おもしろくないわけではない。
大変おもしろい。
村上春樹が1982年に自費出版した詩集『ヤクルト・スワローズ詩集』からの詩を三篇、その後に書かれた詩を一篇おさめ、そのまわりに、詩をめぐる文章が書かれている。
『ヤクルト・スワローズ詩集』の三篇は次のとおり。
「右翼手」
「鳥の影」
「外野手のお尻」
その後の一篇は次の詩。
「海流の中の島」
彼がどうしてヤクルトのファンになったのかを、だれが読んでもビートルズの曲名をあしらったとわかる次の文章で書いている。
いったいどのような長く曲がりくねった道を通って、僕はヤクルト・スワローズと神宮球場の長期的支持者になったのだろう? どのような宇宙を横切った末に、そのような儚く薄暗い星を——夜空で位置を探りあてるのに人より余分に時間がかかるような星を——自らの守護星とすることになったのだろう?
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この二篇が収められた「文學界」の表紙はとてもきれいなみどり色をしている。
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