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玄奘、ブッダガヤを跪拝

 玄奘は、天竺で、仏教の四大聖地を巡礼するつもりだった。
 すなわち、ルンビニー、ブッダガヤ、サールナート、クシーナガラだ。
 それぞれ、生誕地、降魔成道、初転法輪、入滅地だ。
 全てネパール寄りの土地で、現在のインド北東部にある。
 ルンビニー→クシーナガラ→サールナート→ブッダガヤの順で回る。
 最終的には、ブッダガヤに近いナーランダ僧院に留学するつもりである。
 ナーランダは僧に自治されている。427年設立、1197年終焉の大学だ。
 
 生誕地ルンビニーは、現在のネパール最南端インドとの国境沿いにある。
 近くに王城カピラヴァストゥがあった筈だが跡形もない。ただの野原だ。
 仏陀が産湯に浸かった池があり、近くに菩提樹が生えていた。
 「水は清く鏡のように、とりどりの花は咲き乱れている」(注167)
 と玄奘は『大唐西域記』に記している。聖地の静けさは保たれていた。
 だが玄奘の時代で、すでに1,200年以上経過している。風化が激しかった。
 管理者がいない。荒寺が虚しく残っていた。ストゥーパが立っている。
 この地でマヤ夫人がガウタマ・シッダールタを産み7日後に亡くなった。
 だがシッダールタは生まれてすぐ立ち上がり天上天下唯我独尊と言った。
 伝説であるが、玄奘は、そういう事もあるかも知れない、と思っている。
 
 入滅地クシーナガラは、現在のインドの北西の外れにある。
 アショーカ王(注168)が、立てたストゥーパが立っていた。
 近くに煉瓦の精舎があり、涅槃像が収められている。
 伝説によれば、仏陀は、この世を80年生きたと言われている。
 釈迦は亡くなる前に、実は寿命はもう少し伸ばせると言った。
 だが意味がよく分からなかった仏弟子アーナンダは、答えなかった。
 仏陀は三回問うて、答えがなかったので、そのまま入滅した。
 なぜ「はい!はい!寿命を延ばして!」と答えなかったのか?
 アーナンダは馬鹿なのか?そんな訳ないと思ったのか?勿体ない。
 
 初転法輪の地サールナートは鹿が多く鹿野苑(ろくやおん)と言われる。
 ここで五人の修行仲間に最初の法を説いた事から、初転法輪と呼ばれる。
 苦行を止めて、中道にこそ真の悟りがあると気が付いた。最初の悟りだ。
 苦行を止めた直後、釈迦は村娘スジャータから一杯のミルク粥を求めた。
 仏陀は一口、それを飲んだ時、あまりの甘美さに、涙した。
 もちろん、これが、コーヒーのお供「スジャータ」の始まりである。
 我々も、一杯のミルクコーヒーで、中道の尊さを知った釈迦を偲ぼう。
 
 釈迦が大悟した降魔成道の地、ブッダガヤは、インド北東部にある。
 52mのマハーボーディ寺院が聳え立つ。アショーカ王の石碑もある。
 寺院は出家も在家も集まっている。人が多く、今も栄えている。
 金剛座という仏陀が降魔成道した場所がある。南北に菩薩像がある。
 像が地中に没する時、仏法は滅びると言う。今は胸まで埋まっている。
 釈迦が悟りを開いた時、瞑想に使った木陰がある。菩提樹だ。
 もう何代目か分からないが、仏陀の時代からそこに生えていた。
 広く開けた木の下で、木漏れ日が射し、木陰が心地よい。風もある。
 玄奘は誰もいなかったので、木陰に座ってみた。結跏趺坐する。
 
 ――日が傾き、夜が訪れた。玄奘は独り瞑想を続けた。
 「……なぜ大乗の教えを選んだ?」
 不意に声がした。暗闇の中から人影が立ち上る。
 「誰だ?」
 「……我は名も無き修行僧。小乗教の者だ」
 光を帯びているが、透けて見える。生者ではない。一体何者か?
 「なぜそれを問う?」
 「……大乗は戒律を破るからだ」
 「そんな事はない。戒律は守っている」
 どちらかと言うと、小乗より厳しく守る場合もある。
 「……不殺生戒だ。これを破るのは重大な違反だ」
 それはそうだが、玄奘は誰も殺していない。一体何を言っている?
 「……大乗教だと、これから破る可能性がある」
 「それはどういう意味で、どういう状況か?」
 「……戦争だ。カピラヴァストゥの落城だ。釈迦族殲滅戦だ」
 玄奘は沈黙した。この問いかけは危険だ。何か落とし穴が待っている。
 「……汝は言った。小乗は個の悟り、大乗は全体の悟りと」
 それはそうだ。変わらない。大乗は一切衆生救済を目的とする。
 「……そして個の悟りが守れても、全体が滅びては意味がないと」
 それもそうだ。確かにそういう話はした。
 「……だが個の悟りなくして、全体の悟りが成り立つのか?」
 「個の悟りなくして、全体の悟りもまたない」
 悟りは個人から始まる。それは間違いない。認めよう。
 「……であるならば、個の悟りを守らねばならない」
 玄奘は沈黙した。一体何が言いたい?
 「……カピラヴァストゥの落城は悲劇だった。だが正しい」
 小乗仏教としては、そうなのかも知れない。
 「……彼らは不殺生戒を守った。だから正しい」
 「だが殺されている。国が滅ぼされている」
 玄奘は指摘した。だがその光を帯びた人影は言った。
 「……仏道修行者は、戦において、黙って、死を選ぶ事が正しい」
 「それは中道ではない」
 玄奘は再び指摘した。どうしてもそれは違うと心が叫んでいる。
 「正しい者が弱くあってはならない。暴力に屈してはならない」
 「……では不殺生戒を破り、武器を手に取って戦えと?」
 「誰かを守るための戦いは正義である」
 「……それはどの経典に書いてある?」
 その光を帯びた人影は問うた。
 「経典に書いていない」
 玄奘は素直に認めた。
 「……釈迦の直説・金口でないなら、従う理由がない」
 それだ。原理主義の問題点は。最初の教えの外に出て行こうとしない。
 「違う。法とはまず正しいという事である」
 その光を帯びた人影は、黙ってこちらを見た。
 「法を解釈し、敷衍させる事、応用させる事は可能だし、必要な事だ」
 仏陀とて、限られた時間の中で、全てを語り切れた訳ではない。
 「教えられた事から、新たに考える事も、弟子の仕事だ」
 「……それはもう最初の仏教ではない。原始釈迦仏教ではない」
 それはそうかも知れない。だから大乗教は、後世多様な教えが出た。
 「人を救う事が目的だ。自分を救い、他者も救う。何も違いはない」
 「……各人が己を救う事が修行の道の筈」
 「では他者は?他者はどうする?」
 「……各人で修行するだけだ。戒律を守り、戦において死んで逝く」
 「汝はマーラだな」
 玄奘は言った。この者は悪魔だ。インドの悪魔だ。惑わしに来た。
 「……少し結論を急ぎ過ぎたか」
 不意に炎の魔人が現われた。激しい煩悩の炎で燃え盛っている。
 「……玄奘よ。中々に修行が進んだな。以前なら堕とせたものを」
 マーラは哄笑した。確かに旅をして変わった。確実に成長している。
 「……だがな。玄奘よ。賢いお前なら、問題点に気が付いている筈だ」
 その天竺の悪魔は、糞掃衣(ふんぞうえ)、カーシャーヤを着ていた。
 「人を殺すために不殺生戒を破るのではない」
 玄奘は静かに言った。
 「人を生かすために敢えて不殺生戒を破るのだ」
 マーラは微笑んでいる。だから玄奘は言った。
 「一殺多生」
 「……それは弟子の言葉だぞ。仏陀の言葉ではない」
 悪魔は指摘した。『瑜伽師地論(ゆがしじろん)』からだ。
 「だが他にない」
 確かに釈迦の直説・金口ではない。
 「……いいだろう。その言葉、口にした事を今に後悔するぞ」
 悪魔は高笑いしながら、立ち去って行った。
 玄奘に敗北感はない。だが高揚感もまたない。
 解決不能な問題に立ち入ってしまったかも知れない。
 確かに不殺生戒は守るべき基本中の基本、三帰五戒の一つだ。
 だがその戒律を守るために、自己が滅びるのは中道に反している。
 正当防衛、自衛権はある。正しき者が安易に滅びてよい訳がない。
 お前は釈迦族か?と問われて、正直に答えて、殺された者たちがいる。
 釈迦族殲滅戦は、不殺生戒と不妄語戒によって、招かれた。
 戒律を逆手に取るのは、悪魔の常套手段だ。罠に嵌ってはならない。
 一殺多生は一つの解だが、それもまた問題がある。万能ではない。
 それが玄奘、ブッダガヤを跪拝だった。降魔成道には程遠い朝だった。
 
 注167 『大唐西域記2』玄奘著 水谷真成訳 平凡社 東洋文庫 p287
 注168 अशोकः Asoka無憂(BC268~BC232) インドを統一し仏教に帰依した

            『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』補遺048

『玄奘、ナーランダに留学』 玄奘の旅 14/20話 以下リンク

『玄奘、西天取経の旅に出る』 玄奘の旅 1/20話 以下リンク

『仏の顔も三度まで、釈迦族殲滅戦』 関連したエピソード


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