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奪衣婆転生

 その意地悪婆さんは、人生はマネーゲームだと思っていた。
 とにかくお金を稼いだ者が勝ち。非常に分かり易い人生観だった。
 令和の意地悪婆さんは様々な手段で、お金を儲けて来たが、ずっと一人だった。
 無論、警戒しての事だ。誰かと一緒にいたら確実に殺される。そう思って生きてきた。
 お金を持っている事は隠している。世間的にはただの老婆であるように見せていた。
 実は平均的な日本人の生涯年収の100倍以上稼いでいたが、全て資産を海外に分散して隠していた。そして見た目では、地方都市のボロい家屋に住む、独り者の老婆にしか見えない。
 意地悪婆さんは、お金とは増やすものだと思っていたので、ひたすら倹約する事は苦ではなかった。しかし物事には限度というものがあり、この意地悪婆さんの場合、ドケチというレベルにまで達していた。溜めたお金を使う訳でもない。無論、利殖のための投資には使うが。
 意地悪婆さんは人生が楽しくて仕方なかった。数字の0が一桁増える毎に、自分が金の神になったような気がして、世間にマネーゲームの偉大な勝者がいる事を知らせたかった。
 だが手口を教えてはならない。企業秘密だ。意地悪婆さんは、動物的な直観を頼りにひたすら利殖に励んだ。そしていつしかお金を稼ぐ事が目的となり、手段を選ばなくなった。
 最初は、特に違法な事はしていなかったが、より大きく利幅を取るために、流行りの金稼ぎなら、何でも乗って試してみた。そしてリスクとリターンを考察するのが楽しかった。
 もしかしたら、グレーゾーンのスリルも味わっていたのかもしれない。
 地面師が流行った時には、意地悪婆さんは地面師になった。地面師が世間を賑わし、詐欺で捕まる者が出始めると、今度はやたらと壁が薄いマンションのオーナーになって、転売に転売を重ねて利益を出した。関係者は苦しんだ。意地悪婆さんは一種の魔法使いだった。
 また金庫破りの代行業も請け負ったりした。この意地悪婆さんは、金が入った物なら、何でも開けられる能力があった。暗証番号を忘れたとか、物理的に壊れていて、開錠が困難な金庫を開ける事を得意とした。家には大小それぞれ開けられない金庫が山ほどあった。
 だから暇さえあれば、開かなくなった金庫と格闘している。意地悪婆さんは、忙しかった。だが生活のため買い物には行かないといけない。時には買い物代行サービスも使うが、やはりドケチとしては、自分の目で確かめて、確かな品を買いたかった。
 ケチの極みとは、ある種、逆に勤勉になってしまうのかも知れない。
 毎日バスで、駅前のスーパーに行くのが日課になっていた。
 帰り道、たまたま混んでいたバスの中で、その女子大生は意地悪婆さんに声を掛けてきた。
 「……座りますか?」
 親切な女子大生は意地悪婆さんに席を譲った。笑顔が明るい。善行だ。
 意地悪婆さんは善良な振りをして、世間一般の老婆のように振る舞った。東京から来たのだろうか。肩掛け袋を下げている。ネギのようにファンシーなステッキが飛び出している。白猫が待ち受け画面になったスマホを見ながら、何やら小声で話している。少し不思議だった。
 意地悪婆さんは、バスの運転手の近くの席に座った。
 「……そこを右に曲がって、奥まで行くと私の家だよ」
 意地悪婆さんは、バスの運転手に言った。無論、バスは決められた道しか運行しない。
 だが意地悪婆さんは帰り道、毎回いつもバスの運転手にそう言っていた。
 この意地悪婆さんは、ずっと言い続けると人が動く事を知っていた。催眠術だ。
 またバス停の標識を動かす事も忘れない。ちょっとずつ自宅に近づけていた。
 バス会社もそれには気が付いていて、時々元の場所に戻していた。
 意地悪婆さんの近くでは、いつもこのような争い事が絶えなかった。自己中だったからだ。
 翌日、駅前まで行こうとバスに乗ると、その幼い姉妹が、意地悪婆さんに声を掛けてきた。
 「……座りますか?」
 礼儀正しい幼い姉妹は、意地悪婆さんに後部座席を譲った。笑顔が明るい。善行だ。
 意地悪婆さんは善良な振りをして、世間一般の老婆のように振る舞った。若い夫婦が一礼する。四人家族のようだった。バスに乗って、どこかに出掛ける途中のようだった。
 意地悪婆さんは、なぜか四人家族に嫉妬の炎を燃やしていた。それは呪いだった。
 今日の目的地は市役所だった。
 意地悪婆さんは、受付で整理券を取ると、めぼしい人物に目を付けて、その隣に座った。そして神業のような速さで整理券を「交換」した。この間、僅か0,1秒、誰も気づかなかった。
 意地悪婆さんは、大幅に時間を短縮して、窓口にワープしていた。タイムイズマネー。意地悪婆さんにとってこの世は、愉快な世界だった。常に人を出し抜いて、マウントが取れる。
 「納税課の○○です。今日はどうされました?」
 若い男が首から下げたストラップを見せながら、そう自己紹介した。
 意地悪婆さんは、僅かに舌なめずりした。戦闘開始だ。
 「こんな高い税金、納得ができないよ」
 滞納した税金の通知書を出した。それは固定資産税と住民税だった。
 「資産の評価額がおかしいんじゃないか?」
 「……確認しますね」
 その地方公務員は、キーボードに指を走らせた。データを照合する。
 「金額は合っていますね。数値的な間違いはありません」
 「そんな初歩的な事を訊いているんじゃないよ。資産の評価の仕方の話をしているんだよ」
 地方公務員は一瞬、顔を歪めた。だが姿勢はまだ保っていた。
 「皆様には適切な査定をさせて頂いております。よろしければ、詳細をご説明致します」
 「……高齢者への配慮が欠けているね。あたしを煙に巻こうとしてもそうはいかないよ」
 意地悪婆さんは言った。
 「大体、固定資産税8万6200円って何だい?あたしの家が3000万もするのかね?」
 意地悪婆さんは信じられない程、大きな声を出した。窓口に人々の注目が集まる。
 「住民税8万3400円って何だい?あたしに年収200万もないよ。あたしを殺す気かい?」
 無論、嘘だった。どうしても誤魔化し切れなかった収入が計上されている。
 「上司を出しな」
 「……私が担当者です」
 「総務省の行政相談『きくみみ』に電話してもいいが、あたしゃ、議員に顔が効いてね」
 地方公務員は無言だった。意地悪婆さんは片目を閉じて、見ていた。
 「呆れたよ。アタシらの税金で、給料貰っているくせにね」
 地方公務員は沈黙している。だが落ち着きは完全に失っていた。
 「あんた、名前は何て言うんだい?」
 「○○です」
 「○○か。よぉく覚えておくよ」
 地方公務員は額から脂汗を流していた。気分が悪そうだった。
 「ところで、今のここの市長は誰だったっけ?」
 「○○です」
 「ああ、○○か。うだつが上がらない男がよく市長なんかやっているね」
 窓口での話はそれで終わった。市の納税課にクレームを入れてやった。天丼だ。いや、間違えた。天誅だ。意地悪婆さんはほくそ笑んだ。実は彼女には、隠されていた秘密があった。
 帰宅し、寝室の奥に隠された扉を開くと、仏壇のような祭壇があった。
 その中心に黄金裸身像が立っていた。白衣を薄く着て、壺から水を全身に流している。
 そこだけ古代の異教の女神のようであった。美少女の姿が象られている。
 これは意地悪婆さんが特注で作らせた福の神、金の神だった。
 どうしてこうなったのか、自分でも分からないが、心の中で見えたイメージを具象化した像だった。意地悪婆さんは極めて日本的な生活をしているが、この像は日本文化と関係がない。
 そして手を合わせると、恐ろしく熱心に何かを唱え始めた。一瞬、密教の真言のようにも聞こえたが、どうやらそれとも違っていて、意地悪婆さんが勝手に作ったお経のようだった。
 いや、それは読経というより、呪いの言葉を吐き出していただけかも知れない。
 ひたすら他を蹴落とし、自分に利益を引き寄せる事ばかり願っている。ご利益信仰か。
 だがこの行動を取った後、意地悪婆さんはいつも仕事をする。すると当たるのだ。だから金持ちになっている。そういう意味では、福の神。金の神だった。
 しかし意地悪婆さんは気が付いていなかった。一瞬、美少女の像が嫌そうな顔をした事を。
 ある朝、新聞を見ると、追突事故が載っていた。本州を結ぶ海峡の大橋から、ランドクルーザーが海峡に落ちて子供が死んだ。幼い姉妹らしい。飲酒運転の追突と書かれている。
 一瞬、先日バスの後部座席で席を譲ってくれた、幼い姉妹を思い出したが、すぐに忘れた。
 「……あなたはちょっと感心できない」
 不意に声がした方を見ると、フードを被った小柄な人物がそこに立っていた。
 「これはあくまで、あなたのドラマを見て来た一視聴者の意見」
 大きな鎌を持ち、黒衣を纏っている。不吉だ。
 「これまで、あなたに力を与えて、お金を回して来たのは、本当はそんな事をするためではなかったのだけれども、見事に期待を裏切ってくれた。神様との約束が違う」
 神様との約束?何だそれは?そんな約束をした覚えなんてない。言いがかりだ。
 「エンマ様に言われたから来たけど、年貢の納め時。覚悟して」
 その死神は美少女だった。大きく鎌を振りかぶる。
 「……福の神」
 その顔は、あの黄金裸身像にそっくりだった。見目麗しい。
 「そう、私はあなたの福の神。そしてあなたの運命を狩る死神でもある」
 一瞬、ドクロが見えた。また美少女の顔に戻る。
 「ど、どくろ……」
 意地悪婆さんは腰を抜かしていた。逃げられない。
 「ドクロちゃんは嫌、昔そんな名前の撲〇天使がいたじゃない」
 死神美少女はそう言った。どうやら深夜アニメの類らしい。いや、ラノベか。
 「今、三途の川の懸衣翁(けんえおう)と奪衣婆(だつえば)がいなくて困っているのよ」
 その死神美少女は言った。一体何の話をしている?自分に関係ない。
 「あなた、鑑定もできるから、暫くの間、兼任してもらうよ」
 大きな鎌が振り降ろされんとした。意地悪婆さんは、光の速さで命乞いをした。
 「頼む。全部金は返すから、見逃してくれ」
 「ダメ。年貢の納め時。この世でいい思いなら十分したでしょう?」
 死神美少女はすげなく言った。絶望が広がる。血の気が下がった。
 「後生だから……」
 なお意地悪婆さんは命乞いをしたが、死神美少女が鎌を振り下ろすと、何かがプチンと切れて、意地悪婆さんが転がった。あとで死体が発見された時、あまりの形相に警察が嫌がった。
 とりあえず、これが意地悪婆さんの絶叫的最期だった。
 その後、意地悪婆さんは、三途の川の奪衣婆に転生した。
 これは、意地悪婆さんが奪衣婆転生するまでの話である。

          『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』エピソード35

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