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『ボクたちはみんな大人になれなかった』燃え殻

燃え殻さんがなぜ「燃え殻」さんなのかというと、元キリンジの堀込泰行さんが「馬の骨」という名前でリリースした「燃え殻」という曲からきているらしい。
なので、小説を読む前にYouTubeで聴いてみた。
よかった。とてもよかった。好きだと思った。何度も聴いた。
この事前準備は予想以上の効果をもたらした。
19章で構成されているこの小説の、ひとつの章を読み終わるたび
「あーいのー もえがらーをー」
と、エンディングテーマのように脳内でこの曲がかかるのである。
それくらい、「燃え殻」さんの小説に「燃え殻」という曲はぴったりマッチしていた。

主人公「ボク」が、かつての恋人であるかおりのフェイスブックを見つけ、誤操作で友達申請のボタンを押してしまうところから、物語は20年ほど前の過去と現在を行ったり来たりする。

かおりの放つ言葉が、どれもいちいちたまらなく魅力的だった。
いつしか「ボク」が私に移り、彼女をどんどん好きになっていった。
心もとない夜、彼女に電話できたらいいのにと思った。
ボクがそう言われたみたいに、彼女に「キミは大丈夫だよ、おもしろいもん」って言われたら、どれだけぐっすり眠れるだろう。

「うれしい時に、かなしい気持ちになるの」
中でも沁みたセリフだ。
それを読んで「ああ、そうだったね!」と胸がしめつけられた。
言われてみればたしかにそうだ、本当だ。
うれしい時、同時にそれが失われる不安が芽生える。
もしかしたら不安ではなく予感なのかもしれない。
失われるのは対象の人なのか状況なのか、もしくは、「うれしい」という感情そのものなのか。そこまではっきりはしないけれど、とにかくその「うれしい時」が未来永劫ではないことを、私たちは知っている。
それで思うのだ。こんなにうれしい、どうしよう?
うれしいまんまなんて絶対にないって、知らずにいたらよかった。

読みながら何度も思った。
私はこのままページをめくり続けて、この本を読み終わってしまうんだ。
このふたりのエンディングを見届けることになるんだ。
うれしくて、かなしかった。

作品の中で描かれている1995年から1999年はまさに、私が東京・赤羽の小さなアパートでひとり暮らしをしていたストライクな時代。
あの頃に聴いていた(あるいは聴こえてきた)音楽、流行りのアイテム、場所の名前に、ああ、知っている光景だなと既視感を覚えながら、20代だった自分の痛みや赤っ恥も、ひっかかれるように思い出した。
ボクみたいな友達がいたような気もするし、それは私自身だったのかもしれない。

今ではただ、なつかしい。
なつかしさという感情はそれが昔であればあるほど甘美で、これまで生きてきたごほうびみたいなものだと思う。

私たちは、大人になれなくても年を取る。
そしてそれはなかなか悪くないと、私は思うのだ。