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174/1096 一生懸命に迷うとき

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で174日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

174日目、今日は夕方の6時前になって書き始めている・・ピンチだ。
だが用意周到な私は、日本の日付が変わった途端にアップできるように24時間の猶予をもたせて毎日投稿を書いているため、まだまだ時間はある。

人は必要に迫られれば、こうしてなんとかして策を講じるものなのだと痛烈に感じる。何かに取り組むに当たって時間の猶予を持って、忘れずにやるというのは以前の私には考えられないことだ。
わたしはひどい方向音痴だが、それは自分で道を覚える必要がないからなのだと思う・・・いざとなったら自分だってきっと隣町のいつも行くカフェから中心広場に行けるはずだ・・・人間の火事場のクソ力をなめてはいけない。本当に自分の知らない眠った力というものを、皆持っているのだ!

これを逆にして考えてみると、現在できなくてやる気の起きないこと、挑戦するのになんの怖さもないようなことは、まだやらなくてよいということなのだろう。必要に迫られればやれる(努力が伴うと思う)ということを忘れてはならない。自分の火事場のクソ力を見るというのは良い体験だ・・いざとなったらなんとかしてくれる自分に出会うと、自分への安心と信頼が増す。

毎日投稿からいろいろなことが学べる。これをシェアできることに温かな喜びを感じる。

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バンドメンバーの坂爪圭吾さんがキッチンでG線上のアリアをギターで弾いている。それをBGMにこれを書いているという贅沢な状況だ。
最近、驚いたことに、キーボードを打つ手が突然軽くなって、指を伸ばして上半身をほとんど弛緩させたまま、まるでキーの上を泳ぐように打つことができる。こんなに何年もパソコンを使ってきて、キーボードのストロークにこんな境地があると知るなんて!

わたしは子供の頃に、スケボーに乗るのが好きだった。スケボーで遊んでいるのが好きだったのではない。遊んでいるという意識はなかった。
遊びなのではなくて、わたしにとっては闘いであり挑戦であり、命をかけた仕事であった。仕事と言ってもお金をもらうわけではなく、あれをやることで宇宙からなにか生命エネルギーのようなものが膨大に振り込まれていたような気がする。大量に払って大量に振り込まれて、まるでエネルギーの通る筒になったかのようだった。

スケボーに乗っていて、頑張って前に進む。全身の筋肉を使って必死に進んだ。はじめはドタドタと、慣れてからはスイスイと。そしてある時、練習して練習して練習してスピードをあげようとしていたある瞬間に、いきなり全身の力が抜けた時があった。力まなくても進む・・しかも今までにないスピードで、するすると・・・!!

あの時に、ああ、こんなにも緩んで、こんなにも力を抜いて、ただ進みたい方向に、流れるように進むことができるんだな・・・!と風を切りながら思ったことを覚えている。人間の体の不思議を見たようだった。
深い喜びの中で、ただ気持ちが良かった。

わたしは、なにかを一生懸命やることを否定するすべての理論を自分の人生に採用しなくてもいいと思っている。最後には力を抜いて緩んだままできることだとしても、その途中には一生懸命にそれに夢中になる過程があって良いものだと思う。だから、努力をしないとなにかをやれないと思っている人が努力をするハメになる、という話を聞いた人が、努力を避けるためにその方法ばかりを探しているのは本当に虚しいことだと思う。

頑張っていいのだと思う・・・もしその過程が夢中になれることだったら。
どうしても到達したいなにかがあって、それを達成するのにできるだけ楽にやる方法を探しているくらいなら、すぐに始めたほうがいいのだと思う。あれこれ頑張って、力んで必死になって、そのあとにもしかしたらとても楽に風の中を滑るようにそれをこなせるようになるのかもしれない。

自分がそうなった時にわたしは、これをするのに力なんか要らないんだ、ということだけを伝える人でいたくないと思う。スケボーに乗りながら全身にガチガチに力を入れている人に、力を抜けと言いたくない。それをやってやってやってやると、あるときその瞬間は訪れる。でもそれがいつやってくるのかは誰にもわからないものだ。
わたしは、そこに至る過程で頑張ってる人を惑わせたくも笑いたくもない。努力なしになんでもできる人はきっともうやっている。でも、そうできない人がそうなる必要があるのだろうか。その人はもしかしたら、一生懸命にやる過程を楽しかったと思い返せる人なのかも知れない。だから邪魔をしたくないと思う。

きっと、今からハワイに行きたいと思った時に、部屋にいるまま「本気でなにもしなくてもハワイに行けると信じれば、このままなにもしないでハワイに行けるのだ」といって雑念を払おうとして瞑想していることもできるし、それも可能なのだろうけれど、きっと飛行機のチケットを取ってサッサと飛んでしまったほうが早いと思う。

人生は「やりたいことを行動せずに達成しよう」と考えることだけに費やすには、あまりにも短い。行動しよう、経験しよう、一生懸命になることも選択肢に入れよう。それを変態だと笑う人など置いていこう。

誰かに認められるために頑張る必要はない・・・でも、それも味わったっていいと思う。それを見ないと次を見られないのかも知れない。
誰かに認められたいなら、それをやればいい。好きにすればいい。ほんとうの意味で好きに。恋する相手を自分のものにしたい時、執着は捨てよう、自分のものにしようなんてエゴだ、と言ってる暇があったら、相手を振り向かせようとして頑張ればいいんじゃないだろうか。それを経ないと、わからないことがあるんじゃないだろうか。

わたしは今、いろんなことが手探り状態だ。きっと間違って失敗していくだろう。でも、正解なんて聞きたいと思わない。今のわたしがスケボーを練習していたあの頃に戻ったとして、魔法使いが現れて、今すぐいきなりうまくしてやろうか?と言ったとしても、いいえ結構ですと言うだろう。
わたしはあのプロセスのすべてが楽しかった。魔法をかけてもらうより、自力で浮遊するように乗れるようになったあの瞬間の驚きと喜びを知るほうがいい。だから、魔法なんか要らねえよって言ってやるだろうと思う。人はみんな、魔法を持っているんだから。

きっと脳機能学で説明したら、蓄積したバラバラの情報(知識や身体から伝わる神経伝達情報などなんでも)があるときぜんぶ繋がって、それにより突然にそれらの情報すべてが統合されたときのことを言うのだと思う。

今なにかを一生懸命に取り組んでいる人が、もし、努力すること自体が間違っているのかと迷ったときは、そんなときこそ「好きに」「心の向くほうへ」進めばよいのだと思う。それを、誰に間違っていると言われても、そんな意見に耳を傾けなくても良いのだと思う。

自分にそれが許せると、その「間違っている」と言う人のことも、「間違っている」と人に言う時期が必要なのだろうと思えて、放っておける。怒りも湧かないし、惑わされないのだ。

自分に間違いを許そう。それはその先の嬉しい瞬間の元だと思ったっていい。ガンガン間違えよう!わたしは下手くそにしか歌えない。でも、下手くそなことと、うまくなる瞬間と、うまくなった後との間に、重要度の差などまったくないと思う。人間が勝手に、うまくなってよかった、と思うだけのことだと思う。この過程そのものに、わたしは人生の時間を費やしていて、それに優劣なんかないと思うのだ。どの瞬間も同じだけ大切だ。
うまくなったのが嬉しいのは、下手だったからだ。では、どちらかがどちらかより優れた瞬間なのだろうか。鶏と鶏卵は、どちらが重要なのだろう。

自分を愛することだってそうだ。うまくいかない時期、あれこれ思っても瞑想しても本を読んでも何をしてもてんで意味すらわからない時間が、種であり雨であり太陽の光であり空気でありすべてであるのだと思う。
だから、必死こいていいんだ・・・その時間を、自分の人生に織り込んでいることに納得していれば、それでいいのではないだろうか。

命があって、生きているということを謳歌しよう。一生懸命サラリーマンをやって喜怒哀楽を楽しんだ人と、畑作を極めることに夢中になった人と、開眼して悟りを得てその深遠さに感動した人と、それらの人生に優劣はあるのだろうか。人生を楽しんだ、それを三者三様にやったのなら、どれも同じだけ素晴らしいのだと思う。

右往左往しよう。試行錯誤しよう。失敗して間違おう。それらをしているときと、喜んで笑っているときとの間にある気がしてしまう優劣への偏見を捨て去ってしまおう。迷っている人を、不幸だなんて思わなくたっていい!!

今日は失敗しながら一生懸命になることについてのひとつの考え方についてであった。。書いていて、燃えて汗をかいてしまった!
楽しく読めたお方がおられますように。

それではまた、明日!!

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なんと今年の夏、わたしにとっても非常~に楽しみな
コラボイベントを行うことが決定いたしました!

あの一子相伝秘術・クンルンネイゴン他、
古今東西のさまざまな秘術を操る【現代のアルケミスト】と呼ばれ、
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『枠を越えて』いくための
トークライブ&ワーク伝授を行います!!!

その名も、『秘行×神聖幾何調身法』
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