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187/1096 死体が教えてくれたこと

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で187日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

187日目、今日は土曜日。わたしは仕事に土曜も日曜もないけれど、娘と夫がリラックスしているのが気分が良い。

この毎日投稿は、家族と出かける日も、日本やイタリア国内にイベントをしに行く時も毎日休みなく書くため、どこかで思いっきり数日間なにもしないでいる、という経験を3年間返上することになる。

始めるときは、一行でも、写真一枚でもアップしようと書いていたけれど、毎回のように長文になってしまう。今は猛烈に忙しいのだけれど、しばらく経ってリラックスするときには、そんな日も作ろうかなと思う。

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今日は、わたしが出会った素晴らしい教師との出会いから学んだ貴重なことについて書いてみようと思う!タイトルにある死体の話は、中でも最も大きな学びとなった3つ目のエピソードだ。

わたしは生涯で3人の教師との忘れがたいエピソードを持っている。

ひとつは中学の時の英語の金子先生の授業でのことだ。先生は背が高くて日本人離れした濃い顔の男性で、英語は、好きな歌や、映画の中で思いっきり感情が高まるシーンから覚えよう!と言っていた。その先生が、動詞の原形についての授業の日に話したことが素晴らしかった。
先生は、ある映画の中で、愛する女性がいよいよ去ってしまうというときに、彼女を引き留めようと、その去りゆく背に向かって叫んだ恋人の男性の台詞について話してくれた。

その男性は、彼女への思いあふれるあまり、I LOVE YOU!!と言うところを、I ”DO” LOVE YOU!!と言ったのだそうだ。先生はそのことをとても感激した様子で、ちょっと照れながらも全身で熱を込めて話してくれた。
その映画の中の男性にとって、僕はあなたを心の底から愛しているんだ!と言うときに、本当に思い余って、思わず”DO”をつけてしまったんだ!!と話す先生の顔を、あれから30年経った今も忘れることができない。伝えたいという思いあふれ、先生はあのとき太陽のようだった。

わたしは胸を打たれた。その男性の、”DO"をつけて叫んでしまったほとばしるほどの切なさを想像し、人間の持つ一側面に感動した。
あの時、先生の姿から、人は真の臨場感を持って話した時に、周囲の人をそれに巻き込むことができるのだと知った。教室は独特の空気に包まれ、ほとんどの生徒が微動だにしなかった。わたしが受けたことのある授業のうち、最高のもののひとつだ。

もうひとつは、小学校の頃の大貫先生という女性教師との思い出だ。大貫先生は隣のクラスの担任の先生で、ある日わたしのクラスの先生が不在だった日に、道徳の時間を受け持ってくれた。わたしはそのハキハキ、溌剌とした女性教師をどことなく怖れていた。なんでもズバズバと言いそうな感じがして、怖かったのだ。

授業は退屈だったから、わたしはノートの端に花の絵を描き始めた。始めてみると熱中してしまい、わたしは次々に花びらを描き足して、葉を描き、また一輪、もう一輪、と描き続けて授業をサボっていた。

その授業の途中で先生がみんなの席の間を歩き始めた。わたしは黒板に近い方の席に座っていたため、あっと思ったときにはちょうど先生が斜め前にいて、ノートのお絵描きを見てしまった。わたしは、ヤバい!と思ったが動くことができなかった。しかしそのとき大貫先生は「あら、きれいなお花ね!とっても上手!もっと描いて!」と言ってニッコリして、そのまま授業を進めたのだ。自分のクラスの担任からひどく疎まれていたわたしは、驚きと安堵と喜びで思わず涙が滲んだ。

花を褒められて、心底嬉しかった。信じられない思いだった。わたしは、このときのことが今もこうして忘れられない。あの時、わたしも大人になったら、なにかから外れたことをしている人をダメだと言わないで、素敵なところを見つけたら称賛する人になるぞ・・!と心から思った。

もうひとりは、これも同じ中学の、社会の新倉先生。新倉先生は、霊感のある先生で、しょっちゅう面白い霊体験を話してくれた。それだけでもう面白かったのに、授業を面倒がって「授業サボりたいね・・!」ということをよく言っていた。その正直な姿勢が大好きだった。
さらには、たまにこっそりギターを持ってきて、ギターでこそこそと弾き語りをしてくれた。教頭先生が廊下を歩いてくると、しーっと言って演奏を止め、居なくなるとまた始めるところも大好きだった。

字が汚くて、黒板につづる字がナメクジ、じゃなくて、ネズミじゃなくて、なんだっけ・・・たまに日本語が抜けてしょうもないことを思い出せない。ああ、ミミズだ!ミミズが這ったような字を書いて、ここだけ終わったらもう残りの時間は面白いお話をしよう!みんなノート書いたかな、大丈夫かな、などと言うので、こちらは黒板の字をなんとか読み取って早く書いて済ませようと集中したせいか、逆に授業の内容を覚えてしまったりした。

その新倉先生は、優しそうな青ざめた顔で、白くて猫背でヒョロヒョロに痩せていて、色素が薄くて、ホヤホヤのくせ毛の髪を全爆発させて学校に来ていた。その姿もまた好きだった。愛すべき可愛い人だった。

その新倉先生が、ある時変な話をした。

近所を歩いている時に、目の前から真っ白な髪に真っ白な顔をして、真っ白な着物を着たお婆さんが歩いてきた。すれ違う前に、新倉先生は忘れ物に気づいて戻ろうと振り返って歩きだしたら、そのお婆さんがまた前方から歩いてきた。幽霊だった。という話だった。
彼は、彼女はいるのだという。死んで「いる」のだと。生きている人も、生きて「いる」し、死んだ人も死んではいるけれども、「いる」のだと言っていた。身体があるかないかの差は大きいけれど、生きている人みたいに見えるのだとか。先生はこの話を、穏やかに、楽しいエピソードのように話した。

わたしはそれを聞いて、そのお婆さんはこの世界で、なにをしているんだろうと思った。それから、この痩せ細った弱々しい教師の、死や霊についてまったく嫌悪感のないピースフルな感覚に触れて、自分の中のなにかが書き換わるような感覚を覚えた。いくら幽霊の話をしても、不思議と新倉先生の話はまったく怖くなかった。あれはきっと、新倉先生自身が恐怖を持っていないからだったろうと思う。

わたしは、この話をときどき大人になっても思い出すことがあった。思い出したときはついネットでオカルトなことを調べてしまい、そのまま怪談を読んでは震えていた。ところがそんなあるとき、わたしは変なウェブサイトを見つけてしまったのだ。それは、死体の写真をたくさん載せているサイトだった。わたしはそれを見て、最初はおっかなびっくりだったのだけれど、不思議と惹かれて見続けてしまう自分を発見した。

こんなことを書いたら、ヤバい人だと思われてしまいそうだけれど、死体は、わたしにとってどうにも、気持ちの悪いものには見えなかった。
さらにさらに、この単語を使うともっとヤバい人に見えそうだけれど、死体には共通してある種の「美しさ」があった。わたしはひとつひとつの写真を見ながら、人体について思いを巡らせたり、もう仏様になって天国にいるその人のことを思った。

もちろん死んでいる身体からはもう生気は抜けているのだけれど、でもわたしはそこに、どういうわけかリスペクトを感じた。それはその生命がこの世に生まれ出て生きていた証であり、生命を終えるまでの間、魂に寄り添っていた完璧なシステムがその活動を卒業した姿だった。

いろんな年齢の、いろんな身体。若い身体、まだ幼さの残る身体、老い始めた身体。。見るうちに、ある時そこになんだかとてつもない愛しさが湧きはじめ、たまらなくなった。「身体よ、身体よ、人間の身体よ、生きていたね、今は止まったんだね、すごいね、かわいいね、素晴らしかったね、えらかったね・・!!」という気持ちがあふれてきて、涙が出てきた。

その亡くなった人への感情ではなく、もう静かに停止してじっとしている、それまで一生懸命に育ち活動していた、身体への愛があふれてきた。
動いていた。送っていた。流れていた。結びつき、受け渡し、運んで、創り、分泌し、受信し、生きていた。燃えていた。
悲しいのとも違う、可哀想だというのとも違う、人間愛とも違う、動物愛とも違う、とても言葉にできない感覚だ。

人はみんな、そんな「身体」という無垢な乗り物を持っていることに気づいているという感覚が、あれ以来わたしに加わった。いや、加わったのではない。身体への愛を曇らせていたなにかが剥がれて、顕になったのだと思う。

死は決して醜いものでも、おぞましいものでもないのだとわたしは思っている。とても切なくて、愛にあふれているのだと。それを死体が教えてくれた。そのキッカケをくれたのは、新倉先生だ。

わたしは3人の教師から、

臨場感は人を感化する最高の方法だということ、
外れたものを迫害しない愛の形、
死は生命のひとつのプロセスだということを、それぞれに教わった。
先生たちに感謝している。

人生に役立っている素晴らしいメモリーたちだ。

書きながら、涙してしまった~・・!!
というわけで今日は、久しぶりに思い出した学生時代の思い出についてであった。学校は大嫌いだったけれど、本当に素晴らしき思い出だ。

それではまた、明日!

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