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140/1096 美しければいいじゃない

吾輩は怠け者である。
しかしこの怠け者は、毎日何かを継続できる自分になりたいと夢見てしまった。夢見てしまったからには、そう夢見る己を幸せにしようと決めた。3年間・1096日の毎日投稿を自分に誓って、今日で140日。

(この毎日投稿では、まず初めに「怠け者が『毎日投稿』に挑戦する」にあたって、日々の心境の変化をレポートしています。そのあと点線の下から「本日の話題」が入っているので、レポートを読みたくないお方は、点線まで飛ばしておくんなましね。)

気づけば100日台も4割が過ぎてしまった。これは最初の40日間を通過したときよりも遥かに早く感じられる。
今日は特に心境の変化もなく、今日も続けよう、それだけしか心に上がってこない。その奥にちょっと、これは病気などをしない限りは3年続くのかもしれないな、という、これまでにあまり認識できていなかった感覚があるのがわかる。

毎日こうして心境の変化を書いていると、明日はどうなるかな、明日は明日の風が吹くだろうな、と思う。自分を通過するものというのは、理由のないもの以外はあまり相手にしなくてもいいような気がしてくる。

なぜかこうしたい!なぜか好きだ!という理由のないものは、きっと自分の本当のことのような気がする。
でも、背が高いから彼が好き、みたいな理由のあるものについては、その場で拾わないと後からどうなるかわからない感覚のように思う。カッコいいと思っていたけど、食べるときに汚い音を出すから嫌いになっちゃった、テヘペロ!というように。

わたしにとって、毎日ここに心境の変化を記していくということは、理由のあるものをどんどん取り去って、なぜだかわからないがこうしたい!というものを洗い出す過程のように思う。

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今日は自分が社会に通用しなかった最たる原因を考えてみていた。いろいろ、本当にいろいろあるのだが、そこからも余計なものを取り払ってみると、原因は主に2つに絞ることができた。

ひとつは、つまらないと思ったことができない。
もうひとつは、空気が読めない。

つまらないことというのは、苦しいことや辛いことではなく、純粋に「うわーつまんねーこれ!」と思うこと、だ。
わたしはこれを続けることができない。頑張ろうと思ったこともあるけれど、1日も持たなくて屍のようになってしまう。とにかくここがどうにもならない。
苦しいのを超えるのは楽しいことだってあるし、辛いのもなにげに闘志が湧いたりするが、つまらないのはどうにもならない。この特徴のために社会に適応することができなかった。

今日書いてみたいと思ったのは、もうひとつの、空気が読めない、ということについてだ。

空気を読むというのは、わたしの理解では、この場でどう行動するべきなのか、ということを誰に聞かずとも理解する、ということだ。と思う。
その場にいる人達の立場を考え、その場の状況を考え、そこでその場を荒らさないようにその場の大多数にとって良いようにする、ということだと思う。

これまでこれができないことを、特に深く考えることもなく自分の欠点としてカウントしてきていた。しかしここにきて、いや、やれるとしてもやりたくないわ、と思った。そこからむしろ、やれなくてよかったと思うに至ったのだ。

まず空気を読むために必要なのが、人の欲しいものを理解するということだけれども、それには他者が何を考えているのか、ということがわからないとならない。

わたしにはそれがわからないことが多々あった。たとえば、あるときこんな事があったのだ。

わたしはその当時クラブで働いていた。
その同僚に、お金持ちのお嬢さまが身分を隠してホステスをしている人物がいた。色が白くてブランド品に身を固めた言葉遣いの綺麗な女性だった。その同僚が、あるときこう言った。

「ねえしおりちゃん(社長に決めてもらった源氏名が、『しおり』というわたしに少しも似合わないさやわかでしおらしいイメージの名だった)、わたしの内科医のお客さまがね、整形している女性のことは見ればすぐに分かるっていうのよ」

わたしは、へえそうなの?と返事をした。すると彼女はこう続けるのだ。

「特に二重まぶたの幅がくっきり平行だったりすると、まず整形らしいのよ~、見る人が見ればわかるのねぇ~」

わたしはそういうものなのだと思い、医者ってすごいな!と返事をした。
その日はそれだけだったが、顔を合わすたびに彼女はその話をした。
そしてある日、わたしにこんなリクエストをするのだ。

「ねえ知ってた?あの売れっ子さんも整形らしいわよ。わたし、しおりちゃんの昔のアルバムを見てみたいわ~、子供の頃の。持ってきてくださる?」

わたしは急に話題を変える人だなと思いながらも、いいよ!と言って次の日に子供の頃のアルバムを持って出勤した。子供の頃が見たいだなんて、可愛い事を言うなと思った。
そして仕事が終わってからいそいそと一緒にジョナサンに行ってアルバムを見せたところ、彼女は意外なリアクションを取った。

「あら~やっぱり今とはぜんぜん違う顔なのね~、そうだと思ったのよ~」

わたしは、そんなに変わったかな?同じ顔だよ?ホラ。と言った。しかし彼女は頑として考えを変えず、でも別人だわよ~見ればわかるもの~~と言うのだ。非常に変わった物の見方をする人だと思ったが、子供の頃を見たいだなんて、本当に友達だと思ってくれているのだろうと嬉しく思い、そのまま帰ってきた。

あとになって、別の同僚の子からこう言われるまでわたしは1ミリも気が付かなかったのだ。

「姉さん・・・あれ、姉さんの整形を疑ってるから言ってるんですよ・・いい加減気づいてください(笑)」

ぬ、ぬ、ぬわぁあああああああと思った。そう考えればすべて説明がつく。なのに、わたしは言葉を額面通りにしか受け取れずに、まったくそれに気がついていなかったのであった。

しかし、その後にわたしは、本人から聞かれてもいないのに、整形をしたことはないよ、と言うのもおかしいのでそのままにした。どう思われても良かった。なんなら整形したいし、と思った。
それにしてもこのとき、とにかく自分の鈍感さには自分でも呆れた。なぜ気が付かなかったのだろう。
しかも、今も同じようなことがあっても気がつく自信はまったくない。暗に何かを含ませた言葉で話されても、それを理解することはできないと思う。

同様に、彼女に「ウフフ、わたしあなたの服のコーディネートも好きよ。安い服もやり方次第よね、参考にはしないけど興味深いわ~~」とか
「あなたって面白いのね~、一般の人って大抵わたしと仲良くできないのよ、あなたと知り合えて嬉しいわ」とか言われても、そりゃ良かったな!と思うだけでわたしが気分を害したことはなかった。

あとから人に嫌味なんだよと説明されても、頭にくることもなかった。だからそのまま、彼女から他の人が皆去ってもわたしは何年もずっと友達でいた。理由はわからないが彼女が好きだった。

他にも、ある会社で営業をしていた頃に、たまたま良い成績をあげたことで、勤続年数や売上に制限のあった海外社員旅行に新人ながらも招待してもらったことがあった。そこでわたしはある朝、先輩たちにこう言われたのだった。
「ねえ、わたしたち、そばの島に行くの。ボートで行くのよ」

わたしは、あ、そうですか!わかりました。と言った。
すると先輩はこう言った。

「どこか行くの?」

わたしは、どこに行くのかを聞いているのだからそれに答えようと思った。まだ決めてはいなかったけれど、アイデアもなくていずれにせよこのあたりをブラブラするしかないと思い、そう答えた。すると、あ、そ。と言って彼女たちは出かけた。

そのあと一人で外にいると、部長がやってきて聞いた。
「お前、どうしてここにひとりでいるんだよ?女子社員たちは島に行ってるはずだろ?一緒に行こうと言われなかったのか?」

わたしはその質問にそのまま答えようと考えて、一緒に行こうとはひと言も言われなかったため、「はい。言われてません」と言っ(てしまっ)た。

旅行後の最初の出勤時に、オフィスの空気が異様にピリピリしていると思ったら、女性先輩たちに呼ばれた。

「ねえあなた、わたしたちに仲間はずれにされて島に連れて行ってもらえなかったって言ったらしいじゃない。どういうこと?わたしたちは誘ったでしょ。それを断って自分でひとりで残るって言ったくせに、なんで部長には嘘をついたわけ?」

わたしはその時になって、えーーーーーーーーー!!と思った。その後も、上司に「同情されたいのか先輩たちを嫌いなのか知らないが、社内をもませるような嘘をつくな」と言われてしまった。

わたしは自分が言葉をそのまま機械のように解釈したのが悪かったのだと思い、すみませんでしたと謝った。しかし、そのときに先輩たちとの間にできたしこりはその後も残ってしまった。これも先の例と同様、今ももしかしたら同じシチュエーションに出くわしても、同じ失敗をしてしまう気がする。空気を読み取る能力が欠けているのだと思う。というか、そんな必要性を感じて頭を働かせたことがないのだ。

わたしは、自分にとって人間社会を円滑に渡っていくのは本当に難しいものなのだと思った。悪気は誓ってどこにもないのだけれども、空気が読めない者にとっては、まったく注視していないところから突然パンチが飛んでくるのを避けられないのと同じなのだ。

何が言いたいのかというと、わたしはこんなにもアンポンタンだということだ。本当にくだらないところから大失敗を創作してしまう。

今まではこれを、ひどい欠陥だと思っていた。でも、今になって思えば、もしそこでわたしが相手の心を察知して行動することができていたら、そんな能力が自分にあったとしたら、それは空気を読んで、大多数の人が快適に思うことを先回りしてやることのできる人になったということだ。

しかし果たして、大多数の人に合わせて行動することが自分を幸せにしただろうかと考えると、甚だ疑問である。
きっとこんな事を言ったらこう思われるだろう、こういう風に言えばよく思われるだろう、そんなことを読んで自分の行動を決めていたら、わたしは確実に不満が爆発してしまう。
だいたいそもそも、いつも自分のしたいことは常識人のアイデアとズレている。もし常識を重んじていたら、好きなようにできないことへのストレスを募らせることになっただろうと思う。

だから、空気が読めなくてよかったのだ。むしろ読みたくなどなかったのだと思う。本当にありがたい欠落だった。

もちろんわたしにだって、ああ今みたいな場ではニコニコしておいたほうがいいのだろうな、言うことを聞いておいたほうがいいのだろうな、とわかることもある。でも、わかってもいずれにせよ自分がそうしたくなければその通りにしないのだったら、わかっていても仕方がなかったのだと思うのだ。

以前、夫との言い争いが大きくなったときに、2軒先に住んでいた義父義母が駆けつけて仲裁に入ろうとしたことがあった。
わたしたちが靴を脱いで暮らしている家に、彼らはわかっていながら土足で入ってきて、義母はすぐさま夫を可哀想なアモーレと呼んで腕をナデナデしはじめた。わたしはそれを見てドン引いた。そしてそのまま義母が嫁が我慢しろだとか妻が我慢しろだとか女が我慢しろとわたしに向かって説教をしている最中に堂々と部屋を出た。
まあ、なんということ!!みたいなことを言っていたが、付き合うだけ無駄だと思って放置して出ていった。

義理の親も大切にするべき、家族は仲良くあるべき、ここはぐっと我慢して嫁が言うことを聞いて、・・・・そういう知識がないわけじゃない。
でも、わたしは背筋を伸ばして部屋を突っ切って出ていった。自分の生命の時間をあんな親子劇場を眺めるために費やすわけにいかなかった。わたしは常識を命より重んじることなどできない。
あのとき、ただまったく個人的にではあるが、鼻から金色の光を噴射してしまうんじゃないかと思うほど誇らしかった。自分ひとりの栄誉にガッツポーズをした。正直、ヒヤヒヤしつつもクソ気分が良かった。

上から書いてきたことをまとめると、わたしはつまらないことが少しもできないし、空気が読めないのをそれで良いと思っているし、気に食わないことも受け入れない、という内容になってしまったが、つまりは勝手だということだ。人に嫌われるタイプ、なのだろう・・・・・・・・・

でも、わたしは我慢して生きています、と言う人を求める人とつながる気もないからこれでちょうどいいのだ。そういう人は自分も我慢をしていて、だから他者にも我慢を求める。ウザさMAXだ。

先日お会いしたときに、坂爪さんが、そのままでいてくださいと言ってくれた。本当に嬉しかった。わたしが尊敬するのは自由を愛する人だとつくづく思った。そういう人をかっこいいと思う。かっこよくて、優しくて。

そしてふと今日は、かっこよさのために生きるのっていいなと思った。
お金のためでもなく、地位や名誉のためでもなく、ただ、かっこよくあるために生きる。男も女もかっこよく、セクシーで、優しく。

「どうしてあなたはそうしたの?」と聞かれたときに、世間ではそれを求められるので、とか、常識に照らし合わせて、とか、信頼を得るために、とか、その方が人格者だと思ったので、とか、ましてや我慢してそうしました、という理由だったなんてカッコ悪い。そこに自分がないのがダサい。
いい悪いじゃなくて、正しい間違ってるじゃなくて、マジでダセーと思う。
そんなときに、「その方がカッコいいと思ったからです!」と言いたい。
そう言える人でありたい!!!!

東京大学物語の中で、主人公の遥ちゃんが、「美しければいいじゃない」と言う場面がある。そのとおりだと思う。自分の美学に従って美しい解答だと思えればいいんじゃないかな。
ならば美しくなければ駄目なのかという話になってしまうけれど、ここはスピリチュアル的な物分りの良い答えを書きたくなどない。
やっぱり美しいほうがいい。ダセーのは嫌だ。
自分の答えはそれに尽きると思う。

自分はまだまだダサい。それが悔しい。もう余計なことなど何も考えないで、ただダサいのを嫌って、美しくカッコいいのに憧れて生きたいと思う。
生まれつき気の小さい、ダサい自分がどこまで行けるかな。人からどう見えても、自分の採点が10.00を叩き出せればいい。
この楽しい挑戦を、いつも胸においていこう。

今日は空気なんか読まなくてもカッコよければいいよねという話であった。
それではまた、明日!!

【夏の特別イベントのお知らせ!!】

なんと今年の夏、わたしにとっても非常~に楽しみな
コラボイベントを行うことが決定いたしました!

あの一子相伝秘術・クンルンネイゴン他、
古今東西のさまざまな秘術を操る【現代のアルケミスト】と呼ばれる
清蓮くん(裕也くん)との

『枠を越えて』いくための
トークライブ&ワーク伝授を行います!!!

その名も、『秘行×神聖幾何調身法』
〜ワクワクが枠枠になっていないかい?〜

2時間のトークライブのあと、1時間のワーク伝授もあるという
愛の太っ腹企画です!!

彼に会って同じ磁場で呼吸できるだけでも
すでにお釣りのくる貴重な体験。

わたし自身も真に嬉しい大興奮の企画で、
ワクワクがバクバクになってます。

早期割引を適用するために
今からの募集となりますが、

お席が早めに埋まることを考えてぜひお申し込みはお早めにーー!!

みなさまに実際にお目にかかれるのを楽しみにしています!

 
お申込みはこちら↓
(お申込みが定員オーバーし、会場を変更することとなりました。ありがとうございます!!)
https://paurosa.com/items/5c4d7b7f687024798f37a499?fbclid=IwAR3vEVFSH1OXbszV61CsXxI7jGSj1eEZymS9qE823ZW3EV8Lm5PYqXW-pmI

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こちらは、わたしの伝えている秘行という思い込みを解くためのシンプルなワークのオフィシャルサイトです。
ワークのやり方がよく分かるようになっています。
よければご訪問くださいませ!
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