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フロントメモリー

豪州にて、思い悩んでいる。

先日お世話になっている日本人コミュニティの方が帰国するというのでお別れパーティ的なものにお誘いいただいた。田舎町カブルチャーからブリスベンの街へと電車で繰り出す。少し早く到着したため、別の店でサッポロビールとウィスキーコーラ割りを食らい、パーティの開催地に着いた時には既に出来上がってしまっていた。酔っ払い26歳と10ヶ月。いつもよりハイテンションで現地に来ていた方々と交流する。アルコールの過剰摂取は身体に悪影響だとはよく言われているものの、程良い酒はいつも以上に円滑なコミュニケーション状態を形成する。酒を通しての会話は普段の会話とは少し違い楽しいものだ。

ただそんな高揚状態にあっても、色々な人の話を聞いていてふと我に返ることもある。


俺は、なにをやっとるんだろ


自分が未だに何者でもないことに対する不安が大きくなった。周囲の人たちはやりたいことをこれだ!と定め日々努力している。もう既に一つの大きなゴールをクリアし、新たなゴールを目指している方もいる。そんなキラキラ輝いてるすごい連中がいながら、俺は何も成し遂げてないんじゃないか・・・周りと比べなくていい、自分の中で成長してりゃ万事OK!と理論上はそうだしそう考えた方が楽なのだが、それを飲み込むまでに至らない。どうしても悩んでしまう。封じてあったネガティブが加速する。

こんな時は気持ちをゴッソリ変化させてくれる音楽を聴くに限る。僕にとっての処方箋は、やはり神聖かまってちゃんだ。

酒を食らって衝動的に帰りの電車でかまってちゃんの楽曲を聞き漁った。音楽をガンガンに聴いていい環境下で働いているため、労働時間中はほぼ必ず神聖かまってちゃんを聴く数日を過ごした。いつだってこのバンドは僕の心のお供で、ボーカルのの子さんは僕のヒーローだ。帰国したら即ライブ行ってやる。


彼らのライブの定番、いわゆるアンセム的楽曲の一つに、『フロントメモリー』という曲がある。

元々デモ音源はYoutubeに上がっていたこの曲だが、CD化するにあたって川本真琴さんをゲストボーカルに迎え再発表された。小松菜奈主演の映画、『恋は雨上がりのように』では鈴木瑛美子×亀田誠治にカバーされたものが主題歌として起用されている。

メロディの美しさが素晴らしいのはもちろん、曲の詞について触れないわけにはいかない。この曲で描かれているのは純粋素朴で、そしてどこか足掻いている一人の少年、もしくは少女だ。季節は夏。自分とか人生とか分からない、それになんだか太陽が熱くてうぜぇ。そういった情景が描写されながら、サビへ進行していく。


度々、そして今回もこのサビの詞に救われたような気がする。

ガンバレないよガンバレないよ
Yo, そんなんじゃいけないよ
(『フロントメモリー』 神聖かまってちゃん)


サビになったら何度も登場するフレーズ「ガンバレないよ」


そしてその「ガンバレないよ」に対して「そんなんじゃいけないよ」とは言いつつも、「ガンバレ!」という言葉は一切出てこないのだ。


「ガンバレ」という言葉はシンプルかつ、伝わりやすい励ましの言葉だ。日本人との会話ではかなり頻繁に耳にするだろうし、実際一つの気持ちのこもった「ガンバレ」がモチベーションとなり、実際にガンバることができた、なんて人も多くいらっしゃるだろうとは思う。だが、ガンバるというところにまで行きつくことができないほど弱っている人だっている。そういった人たちにとって「ガンバレ」は苦痛なのだ。ましてや気持ちのこもっていない投げやりのガンバレ、他人事のガンバレ、は陳腐でしかない。

やる気が出るように促すのではなく、ただひたすらに肯定する、それが一番の優しさである場合もあるのだ。


ガンバれない、そんなんじゃいけない


それでも、ガンバらなくて、いい


ありのままで大丈夫


の子さんがこの楽曲を通して伝えるメッセージは、人々を救い続ける。


数日経った今でも心のモヤモヤは完全に晴れたわけではないが、noteに2000字近くの記事を執筆できるほどには現在は元気である。それに、僕は人間として間違いなく向上は、している。元々根暗でどこに行っても人間不信がついて回ったどうしようもない野郎だったのが、今では周りの人を友人として信頼できるようになってきた。これも各コミュニティ含む周囲の環境やそこにいる人たちの影響が大きいのかもしれない。なんだよ、ちょっとずつだけど俺変わってんじゃんか。じゃあそれでいいじゃん。無理にガンバらなくてもね。

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