神学と神話学--本居・平田と高木敏雄・津田左右吉

神学と神話学
 「神話は神学の基礎である。雑然と統一のない神の物語が系統づけられて、そこに神話があり、それを基礎として神学ができる。神学の為に神話はあるのである。従って神学のない所に神話はない」「我々の過去の神話を包含し、整頓・整理して、筋道正しく表れたものが、正しい宗教としての姿をとってくるのである」(⑳41。「宮廷生活の幻想――天子即神論是非」、⑳465)というのは折口信夫の言であるが、本居と平田の学問はそういう意味での神道神学である。
 ところが日本の近代の学問は、このような「神学」「神道神学」それ自体を否定すべきものと考えた。たとえば、津田左右吉は宣長に「古語に関する学問的研究の道を開いた」功績があることを認めるが、「宣長においては着実な学問の一面と神の道を説く非学問的な他の一面とが、不調和形で併存していたが、篤胤とその追従者とには後の方の一面が伝えられ、それがますます極端化したとみることができよう」という(津田『日本の神道』第七章「国学者の思想について」)。また、一部では「日本神話学の祖」とまでいわれる高木敏雄は「維新以来ここに三十有余年、かって野蛮蒙昧を以て笑われし極東の帝国は、今や進んでその文化を以って世界の耳目を聳動せんとす」という立場から。「(国学者の)根本的誤謬は国学そのものの主義において存す」として、そもそも本居と平田が神道の信仰をもとに研究すること自体を「科学的にあらざる学問」「独断的の原理に拠りて教うる宗教のごときもの」といった。これは明治国家の「欧化」政策の中で活動した立場からの一方的な決めつけであろう(三五三)。
 もちろん、「神学の為に神話はあるのである」という折口の断言は神道神学にとっては当然のことであるにしても、歴史神話学にとっては逆に「神話学のために神学はある」ことになる。神話の神学的な究明によってえられる見通しは神話学の基礎になる。しかし、それでも、学術の発展の客観的順序からいっても神学を条件として神話学は生まれたのである。そもそも日本の民族宗教である神道に共感がなくては、その神道発生の地盤となった倭国神話は理解できない。「神学」が人文学にとって大事なものであることは、ヨーロッパにおいて近代的な人文科学が神学を地盤として始まったことを想起するまでもなく、当然のことである。しかし、日本の知識人の多くはヨーロッパのキリスト教神学というと何か特別な価値のあるように考え、日本にも神学があることを考えてみようともしない。これは率直にいって「西洋崇拝」である。
 そういう考え方から本居と平田の神学の中心をなす産霊の概念について詳しく復元しようとすると、その中心はどうしても平田になる。平田神学の前提は、本居によるは『古事記』の地道な注釈にもとづきタカミムスヒを神道神学の中心にすえるという大転換にあったが、小林秀雄がいうように本居の学問の中心はあくまでも注釈学による『古事記』世界への没入にあった。その起点はタカミムスヒの発見にあったのだが、本居にはそれを体系的な神学的思考に展開する余力はなかった。それは師を批判しつつ平田が行ったのである。本居神学は平田を通じてでなければ受けとめることはできない。

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