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『自分のモノと他人のモノ』写真撮影上達方法の基本。

前回の有料にさせていただきましたnote原稿そのままにやっちゃった系カメラメーカー(SONYとNIKON)、人物(アキラ・****氏)。この企業、個人のことをちゃんと自分の”写真を自分で撮影している”知り合いのフォトグラファーが紹介してくれております。今回はそれを後追いでお伝えしたいと思っていたのですが、その前にボクの敬愛する緊縛ま○こ画家(あっ、そういう意味での愛ではなく・苦)の菱川みひろさんが、これまた面白い記事を書かれておりましたので、素直に今回はそれに乗っからせて頂きたいと思います。

つまりは今回、ボクが立ちで、菱川みひろさん(以下みひろさん)がネコということ(自爆)

さて、冗談はさておき、みひろ画伯のご指摘、お考えの通り、ご自身で撮影なされた写真を下絵に絵画を描くというのはなんら問題はないものと思っております。絵画、写真ともに問題なのは、他人の写真、他人の著作物、知的財産を無断で使う、しかもそれをあたかもその元の作品を含めて自分の作品、著作物として扱う「あつかましさ」という事なのです!

いつものことながら『いきなりの脱線』ではありますが、さすが某有名な美術大学卒業のみひろさんだけあって、上記文中記事の中には「写真機の発祥話は元々はトレース箱であった」という事をご存知だったとは嬉しい限りであります。

写真機材の元々は、小さな穴を通して家の中(ずいぶんと大きなカメラでした・笑)に入ってきた光が風景を映し出していたことに始まるものでした。それが紀元前の話であったとされており、15世紀に入りフランス画家たちの間でこれを「手頃な箱に置き換えて実用としていた絵を描くための装置(カメラ・オブスキュラ)」としたモノが今でいうカメラでした。つまり写真を撮るカメラは元々写生をするための箱から始まり、手で描くのではなく、トレース代わりに銀板に得た光を定着させたものがそれでした。今じゃ化学反応もなくデジタル信号となり1と0だけで表現された世界になってしまっちゃって、お気楽に手間なく安価に扱えるようになったがために”超”一般化しました。しかもご丁寧にプロだと自ら名乗るのは勝手なのですが、写真自体世間一般ではアプリやソフトでいじりまくっているのですから、フィルム時代からしたらそれらは「ドローペインティング」、絵画、絵に戻っちゃった感じなのです(苦)。

かというボクの父親も画家の端くれであり、着物の図案屋(着物の柄を考えて絵の具で描いていた)さんだったので、実家には今でもそれはそれは大きなトレース機械があります。それはついこの前までのコンピューターもコピー機もない時代、言うなれば写真を印画紙にプリントする引き伸ばし機をご存知ならば、それをかなり大きくしたものという感じです。ですので写真と絵描はやはり切っても切り離せない関係。ボク自身、良質な絵画にも写真にも触れてきた図案屋の倅(せがれ)なだけあって、これまで写真で食えてきた身なのであります。

思い起こればその大きなトレース機械のところにクリスマスプレゼントが置いてあって・・・と脱線するのは簡単な50年以上前の最高の人生想い出話まで出て来てしまいます(苦)

余談ですが知識として、「銀板」を使っていたあとの写真としては、板がガラス板に感光剤を塗った「湿板」となり、次に感光剤がゼラチンに代わった「乾板」、この乾板のガラス板がセルロイドに変わって「フィルム」。それ自体かなり燃えやすく、映写機の熱さで火が出てしまったのが映画ニューシネマパラダイス・・・(また脱線しそう・苦)。

この写真を巡る技術的なものが全部60年くらいの期間しかない1800年代のお話というのも凄いことで、このセルロイドになって形が自由に出来るようになったロールフィルムをイーストまんこダック(みひろさん流)が世界で初めて作り、その映画用フィルムを使うためにライカがカメラをつくったフォルムありきなのが35ミリ判というのが「現在のセンサーの標準サイズ」となったという歴史、それこそが壮大な繋がりを持ったロマンなのです!

ちなみにイタリア語で「カメラ」は「部屋」の意味なのは、トレース目的の最初の家に映し出されていたことから来ているか、来ていないか?どうなのかの判断はあなた次第という事でヨロ(爆)。

さて、かなり話が大きく外れ、原型がないくらいになっておりますが、ここで元々のお話に戻そうかとも思いますが、この手の他人の写真、絵を自分のものとして発表したり自慢したりしている輩は、このネット時代には必ずバレるものであり、あとはそれを使用した企業がおバカかどうか!?、ちゃんとその後の対応ができるかどうかが注目していかなければならないと思っています。ただ当の本人も良心の呵責も少しくらいは持ち合わせているのか、反転したり色を変えたりして「いちよの自分のモノとして手を加える努力(苦)」はしているのが特徴のようです。

詳しく書かれているフォトグラファーKento Shiraisiさんのブログ
日本人写真家が外国人の写真を盗用!

JCASTニュース(Yahoo!)
『有名写真家「パクリ疑惑」で謝罪 海外作品を無断加工、SNSで披露も...本人は盗用否定「他者に投稿任せていた」』

自らDr.と名乗る盗作とされる方の消されたTwitter

アーティストなのだそうな・・・まだ消されていないInstagram

閉鎖された独自ドメインホームページはシラッと復活することを夢見ているのか、削除しないで言い訳だけの一級建築士。

ただ・・・問題となったのモノはTwitterからのようで、そしてそれらの写真だけではなく、Kento Shiraishiさんによると出てくる出てくる!!あの盗作イラストレーター古塔つみ氏以上!?に出てくる出てくる著作権法違反。彼らもたぶん『ネタ切れや撮影限界に潰されそうになり逃げどころとしての犯罪行為』がこうして出てきてしまったのでしょう。犯罪に加担する訳ではないですが、わからないでもない。だって実力がない人が実力あるように扱われ、期待され、言われもない高評価されてしまったプレッシャー。実力が伴わずカッコつけるだけの外面でも依頼は来てしまう。「少しくらいは」「バレなければ」と踏み入れてしまった犯罪。しかし何かのきっかけで1つ出てしまい、あとは出てくる出てくるの身を滅ぼすパターン。不細工東京五輪2020エンブレム(Tになんかくっ付いているもの)盗作使用だけではなく、薬物や美容整形の心理に近い気もしますが、どこまでいってもそんな人の良心が芽生えて改心するなどは期待できず、何も変わることはありません。

みひろさんの記事にもありましたが『切り抜きスクラップ』。若手駆け出し時代に限らずこれはベテランでも日常的に、常に必要な事だと思います。新しいものに刺激を受けながら他人の良いところ(悪いところは観なくてもいいし、ボク自身はその下手さに引っ張られるから見ないw)を自分の中で良いと思える感性を磨くには大切だと思います。もちろん真似てもいい。しかし出所はしっかり胸に刻み自分のモノではないことを自らが想う
実はこれ、スポーツ写真にもいるんです。ひとの真似ばかりするT須クリニックと呼ばれている輩(わかる人だけでいいです・笑)。でも、所詮真似は真似、写真が浅いんです。真似た写真は。

理由は簡単、自分の写真になっていないからなのです。

その人には出来ないこと。それは自分が良いと思った写真を観て(見てではなく)、自らの頭を使って「この写真の何が良いか? 自分ならどうするか!?」を常に日常的に考えるということ。「単に真似は真似であり、オリジナルを超えることが出来ないのです。自らが考えて悩んで撮らないと、いつまで経っても自分のオリジナルのもならないのです」

常に『それ』を撮るにはどうしたら良いかを考えて、納得するまで何度も何度も失敗してみる。そして自分の下手さと理想を比べる(もうその憧れたオリジナル写真は観ないし見ない)。そしていま一度自分の理想の写真を目指す。そうでもしないと自分に甘くなってしまい、妥協が出る。妥協がその撮影者の100%になってしまう。自分の下手さを知らないと上手くはなれないのです。

でも社会的な問題は、プロアマ問わずすべての撮影者として、それを怠って発表した者だけではなく、明らかにされてもその泥棒写真を採用している(実際のところ制作会社に発注出しただけで自社の社員、特にソニーでは見ることもないだけだから)2社にあります。この2つの会社、実際にそのブランドが好きだったり、このカメラが好きだけで使っていたりするひとはどう思っているのでしょう!? 「自分の上手い写真を差し置いてこんな輩を採用しているだと!?と嫉妬しないのでしょうか!?(苦)
そしてこの2社の株価は!?(笑)

SONYホームページ
『アキラ・タカウエ作品展Theoretical Urban-Visionology "RESTARTED"
~ 建築構造/都市風景とファインアートの理論的融合 ~』

Nikonホームページ
『日常の都市景観をアートへと昇華させる、独創的な視点の追求』

なんか、また余談の脱線ですが、この方のNikonに使っているプロフィール写真が他の写真とは違う。よくいるイケメン写真詐欺疑惑を感じてしまったのですが、実際にお逢いすると「えっ!?」となる男版『パネルマジック』!?の方だったりしますかね!? ある有名写真家さんは実際にお会いすると全くの別人だったりして知っていたりもしてますw(あっ、また脱線)。

そして、気になったのは「なぜ悪いことをする輩は政治家みたいなこと、嘘と分かりやすい言い訳?しか言わないのだろう。。。」と言うことでした。

「秘書に任せていたので・・・」

いつまで経ってもなにひとつ上手くならないひとの特徴です。


(汗)… ではなく『完』

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