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18年ぶりのお泊まり

人にはいつか別れがくる。私はお舅さんとお姑さんを見送り、大好きな叔父や、まだ還暦にも届かぬうちの従姉妹との別れもしてきた。父と母は仲良く元気にしてくれているが、順番があるとすればいずれ私が見送る時がくる。

今、実家の2階にいる。
畳の上に布団を敷き、母が昼間に陽に干してくれた羽根布団にくるまっている。

結婚してかれこれ18年、月日が経つのは早いものだ。「あなた達、初めて泊まるんじゃない?」両親は夫と私にそう言うが、私には、はっきりとした記憶がない。初めてのような気もするし、いやそれも不自然なんじゃないかな、と記憶をたどるが思い出せない。

両親が言うように、初めてだとしたら、どうして今まで泊まらなかったんだろう。

距離が理由かもしれない。自宅から30数キロ、車で1時間もかからない場所にあるので、日帰りでも充分ゆっくりできてしまう。

娘だけ預けて帰ったことは何度かあった。娘はよく、帰る頃になって、泊まっていきたいと言い出した。私は、仕事があるからという理由で娘を置いて帰ってきたように思う。

お正月も日帰りだった。年末年始は遠方から妹家族が4人で帰省する。滅多に帰省できない妹や姪っ子たちにゆっくりしてもらうという理由でお泊まり券を譲っていた。同居の義母がうちにはいたから、私は多少、義母に気兼ねしていたのかもしれない。

なんだかんだ理由をつけて、私はいつも泊まらなかった。

この家には私が高校生からの思い出が詰まっている。いい思い出もあれば、いやな思い出もある。思春期の頃は両親と派手な喧嘩もした。陰湿な沈黙もあった。その全てを黙って受け止めてきてくれた場所がこの家だ。それがしみついた場所だから、なるべく近づきたくない気持ちもあったのかもしれない。

実家は昔ながらの木造二階建てで、階段の角度が急で犬が躊躇するほどだし、今風の機能的な家とはほど遠い造りだ。ダイニングキッチン以外は全て畳の和室である。玄関、トイレも含めてほとんどが引き戸、部屋は襖や障子で仕切られている。風呂場と勝手口の2箇所のみドアになっている。

格子に曇りガラスがはめ込まれたドアを開け、風呂場に入ると、足元の床には赤や水色や白、色とりどりの小さな丸いタイルが貼られている。懐かしい。一気に時間が巻き戻された。タイルがレトロな雰囲気を醸し出していて、この家のこのタイルが私は好きだった。古い物、古い技術の価値を理解できる年になったせいなのか、今は宝物のように目に映る。

みんなが入った最後の湯にゆっくり浸かりながら、今日の出来事を思い返す。なぜ私はもっと両親に甘えることをしなかったんだろうと問いかけながら。

父も母も、私たちがこうして家族揃って訪問したことを喜んでくれている。母の話が食事中も食後も止まらなかった。父が席をはずすと父の話になった。父がどれほどご近所さんから頼りにされ慕われ、感謝されているかを私に伝えてきた。町の小さなコミュニティにも色んな家族の形がある。認知症の症状が現れてきた一人暮らしの奥さんは、勝手にみんなの畑から作物を取ったり糞尿をして困らせたり、一方ではこちらも一人暮らしのご老人だが、91歳にして書道をたしなんだり自炊の料理の作り方を母に相談に来る旦那さんもいる。父は、ある時は何十個もある植木鉢が重いから手伝って欲しいと言われれば行き、嫌な顔ひとつせずやり、"やってあげた"と恩着せがましくも一切思わないらしい。母の口からは、こうしてみんなと行き来できているのは父のおかげだ、という言葉が何度も出てきた。

母、娘、孫の三世代で餃子を包み、それを眺める夫と父。私は慣れないフライパンで完璧に焼き上げ、皆がそれをおいしいと食べる。ついさっきまでの出来事をそうやって思い出しながら、父と母が元気でいることの幸せを噛み締める。そして、私はこんなにも両親が好きなんだ、その事をはっきりと意識するのが怖くて密に接するのを避けてきたのだということに気付く。だって、好きになればなるほど、別れがつらくなるのだから。


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