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起きっぱなしジャーマン

自分が意識的に行動している、と感じることでも
よくよく調べると、そうでないことがわかる。

「そんなことないよ。腕をあげてみようか。
ほら。いま意識的に腕を上げたよ。」

どれどれ、調べてみよう。
まず腕を上げようと思ったその思考は
ほんとうに自分が意図して生み出したものだろうか?
その思考は「自分が意識的に行動している、と感じることでも、よくよく調べると、そうでないことがわかる。」と言われたことへの反応として意図なしに生じた思考ではないか?
ゼロベースから「腕を上げよう」という意図で生じたわけではない。
起きていることへの自然な反応として、そのような思考が生じ、そこから腕を上げたというところが実際ではなかろうか。

自動的な反応

自分がしている行為、思考は、現象の流れの中で自動的に反応した結果であるが「自分が意図して行為している」と錯覚しているのが実際ではなかろうか?

彼女から「自意識が強いよね。自己中だよね。」と言われ
「いやいや、お前に言われたくないわ。」という言葉と怒りの感情が心に湧いた場合、これも現象の流れの中で自動的に反応した結果であって、意思によって起こした反応ではないですね。
そのあと瞬時に動揺を見抜かれないよう平静を装い「そう?」などと落ち着いたトーンで返すという反応も意図した振る舞いではなく、自動的な反応として起きたものですね。

あなたが、とある悟り系のブログを読んで「あー、僕もこのように覚醒して無限なる自分で生きたい。でもどんなに学んでも覚醒は起こらないし、限られた人にしかそれは訪れないのだろうか。」と自分に落胆するのも自動的な反応。
あるいは「私は悟った。この悟りで人生が楽になった。自分と同じよなプロセスで困っている人を助けよう。お金をもらって。」と思うことも、過去からの流れの中での自動的な反応として起きているわけです。

このように、思考や行為は、次々と起きる出来事に対して、自動的に反応し続けるもので、そこに「自分の意志」が介入して操作やコントロールできるものではないのが実際です。
仮に「いえ、自分の意志で出来事をコントロールしています。努力でこの結果を勝ち取りました。」と思ったとしても、それも流れの中で起きた自動的な思考と行為の結果です。

つまり本質的に自分がゼロベースから生み出している思考や行為などは、存在しないのが実際です。すべては流れの中で、その時々の環境との関係で、それぞれの精神や肉体の特性を通じて起こる自動的な反応です。

これが理解され、腑に落ちるとどうなるか?

基本的には何も変わりません(笑
これまでも自動反応で生きてきたし、今後もそうなので。

相変わらず嫌いなものは嫌いだし、好きなものは好きだし、執着は消えないし、大変な時は大変です。

が、気楽にはなります。

関係の中で起きてくる自身の反応への「自分の」という錯覚がなくなり、自己否定感や自己優越感も湧かなくなり、2次的な心理反応が起こらなくなります。
同じように、他者に対しても「他者の」という個人感が薄れ、他者にも自動反応が起きているのだ、という理解が起こるので、後を引かず、思考や行為がその時その時で完結するようになります。

投げっぱなしジャーマンならず
起きっぱなしジャーマン状態です。
※「ジャーマン」とはジャーマンスープレックスというプロレスの投げ技の略称。

ピンと来ない方は、ぜひ日常の自分の思考の反応や行動で検証してみてください。葛藤しても良いですし、激しい反応が起きていてもよいですし、とにかくそのまんま起きている反応と共にいてみて下さい。そのまんまでよいので何も気を使う必要はありませんし、いつものようにふつうにこれまでの自分でよいので。
流れの中で、自然に、自動的に反応が起きていることが理解できるとおもいます。

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