地獄から天国へ

皆さんこんにちは、みちるです。

今回、自分にとって最悪な出来事で最大の人生の分岐点となったお話。
今まで唯一話してこなかったお話。過去のお話です。内容がかなり重いので、暗いお話が苦手な方は閉じてください。
また、かなり長い記事となっておりますので閲覧する際は適度に休憩を取りながらお読みになってください。


今だからこそ思えるお話。


まず、この記事が公開される日は9月1日です。みなさんご存知ですか。
9月1日は自○者が多い日と言われています。
そんな9月1日に皆さんにお届けします本記事。キミの心に少しでも寄り添えたなら幸いです。キミは一人ではないし、自分の安全のために別の場所に身を預けてもいいんです。最初にこれを伝えるために挟みました。
続いてからは本編です。



いじめ

人生が狂い始めたと気づいたのは小学六年生の秋。
当時クラスで1番仲の良かった子からの無視で気づきました。昨日までいつものように楽しく話していたのに、急に、突然何も聞いてくれなくなりました。何度話しかけてもその子の身体は私の方を向かず、別の子の方に向いてそのまま離れていきました。
その瞬間、全てに気づきます。



「あ、私いじめられてる」


前から薄々と違和感はありました。やたら皆自分のことを避けたり、変な雰囲気を出していたりと。その違和感は事実だと確信しました。

それまでの私は友達は少ないけどいた。毎日のように会って、友達の家に遊びに行ったりなんだかんだ楽しんでいた。
そんな私がこうなるとは思ってなかった。どうすればいいのだろうとひたすらに模索していました。

私をいじめてきたのはクラスの全員約40名ほど。明らかに見てわかるほどに私に痛い目を合わす人もいれば、金魚のフンのようにその人たちの後ろにいる人。
無視をし、私を菌のように扱って私とは触れないように、私が触ったところを触れないようにみんな避けていました。

ヤツらからされたのは上記に加えて


全員からの無視、
私のことを悪い菌扱いで私が触れたものは触れないように共有の蛇口は私が使って以降その蛇口を使わない、
教卓に置く自主学習ノートに自分のノートが触れないように数冊下に差し込む、
4人班になったときに机をくっつけないくっつけようとすると離してくる、
給食の配膳で私が来たら全員完全放棄で「自分でよそって?」、
陰口、
机と椅子で私のことを無理矢理挟む、
意地でも私とグループやペアを組もうとせず永遠に揉め事、
クラス全員がグルになってクラス委員にさせられる、
体育でグループ分けされたら大声で「最悪、あいつがいるから負けたわ」などの言葉の暴力、私が教室に入った瞬間全員ガン見&こしょこしょ話、
私が話しかけた途端に何も言わず苦笑いしながら離れる、
勝手に濡れ衣を着せられる…など


正直、こうやって文字にしてみるとだんだん脳裏にされたことが蘇ってきて息苦しくて泣きそうです。(泣いてます)
友人からの無視でいじめられていると明確になった後からより目立つようないじめになっていたような気がします。

クラスでは常に一人黙々と読書をし休み時間が終わるのを望み、授業が終わることだけを考えてました。
いつしか気づかずうちに精神的に追い詰められて嫌なことが目や耳に入ったりすると腹痛に表れるようになりました。保健室に行きお腹を温める。今までほとんど保健室を利用することはなかったため、担任も驚いてましたね。

それ以降、毎日のように保健室と保健の先生にはお世話になります。今思えば大迷惑だったなと思ってますが、スクールカウンセラーなんてものは当時学校にはなかったため必然的でしたね。


人間不信になった

いじめられていることに気づいてから数週間後、私は人間不信に陥ります。
『いじめられている人がいたらどうする?』という問題提起とそれに対する自分のクラス全員が回答した掲示物をふと目にしました。

『見つけたら助けてあげる』

この回答ばかりでした。でも現実はそんなことをしてくれる人は誰一人としていませんでした。みんなが私の敵で、敵側で結束をしている。嘘つきしかいません。それを見た瞬間震えが止まりませんでした。私の中で何かが切れました。人のことを信じることができなくなりました。当たり前です。「この人は私の味方」って自分が思っていた人にも裏切られたんですから。

親にも当然言えない、先生にも言えない。担任は新任の先生で休み時間はほぼクラスにいない(小学校はほとんどの授業を担任が教えるシステムでしたので)
そんな中、たった1人。私の味方がいました。


唯一の味方

なにかの偶然か私にはクラスでいじめられて居場所がない中、他クラスに唯一の味方がいました。
Aちゃんと仮におきます。彼女とはいじめられる前にクラスで1番仲良かったと冒頭で記した友達が私の友達として紹介してくれて仲良くなりました。
当初はほかの友達も含めて一緒に休み時間に遊んでいたりしてましたが、私のことをいじめてきたことにより、私とAちゃんだけのグループとなりました。

いつもクラスの友達とAちゃんのもとへ遊びに行っていたのが、急に私だけになってAちゃんが驚いていたことをこうやって書いてて思い出しました。

休み時間や放課後だけの味方のAちゃん。いじめられて少し経った頃に私は彼女に「クラス全員からいじめられてる」と打ち明けました。
その後Aちゃんから
「私もクラスのみんなからいじめられてるんだ」
と私に打ち明けてくれました。

いじめられているもの同士、助け合っていこう

そうやって2人で休み時間の度に人があまり通らない場所に行って色んなことを話しました。

今思い返したら彼女がいじめられたのって私といたからなのかなって不安になってきました。真実は分かりませんが、もしそうだとしたらものすごく申し訳ないです……。

授業が終わった瞬間に教室を出ていつもの場所で彼女を待ち、会って10分15分の短い時間で心を休めて「また頑張ろうね」て行って教室に戻っていく。
教室に入ると全員が私の方を向き悪の笑顔を浮かべて約50分間地獄を送る。

そんなサイクルを毎時間送ってました。
彼女がいてくれたからこそ、私は今もこうして生きれていると思ってます。
私が毎日のように通い詰めていた保健室。保健室の先生が天使かのように優しかったため、「保健室の先生優しいから来ない?」と何故か誘ったこともありました。


親と先生に打ち明けた

話の時系列を少し戻します。いじめられてストレスが溜まり、自分が気付かぬうちにだんだんと表情も暗くなっていたんだと思います。学校の話もほとんどすることがなくなったことに違和感を感じた母が

「なにか学校であったの?全部話してくれない?」

と今までで聞いてこなかったことを聞いてきました。最初は「なんでもない」と言いましたが、もう一度母は聞いてきました。
そのとき私は初めて親にいじめられていることを打ち明けました。

それより前にAちゃんには打ち明けてはいたものの打ち明けている相手は親。今までされていたこと、いじめてきている人全員の名前、抱えてきた気持ちを全部話しました。話しているうちに涙が溢れてきました。
それまで私は「泣いたら余計ダメだ」と変に強がって泣くことを堪えてましたが、初めて泣くことができました。そのとき少しだけ心の中で晴れたような気がしました。

母に打ち明けた後
「お父さんが帰ってきたらお母さんから話すね」
と言い父が帰ってくるのを待ちました。
そして父が帰宅。
私は自部屋に籠ってました。
「いじめられるぐらい弱くて惨めで憎たらしい娘で申し訳ない」
そう思ってました。

父が部屋にきて
「気づけなくてごめんなさい」
と今までもそれ以降でも見たことがないような悲しそうで絶望した顔をして父は私のもとへ声をかけてきました。
その様子は今でも脳内にしっかりと残ってます。自分の中でショックが大きかったんです。堅実な父で嫌いなところが多く不満を持っていたりしますが、それでも尊敬をしてます。そんな父を絶望の顔にさせてしまった自分に嫌気がさしました。

その後、両親からいじめの内容や対処のお願いを書いたお手紙を担任に託し学校の先生方やのちに教育委員会の方に対応をお願いしました。

その日以降、毎日私が学校から帰宅後すぐに両親が学校に行き、先生方との会議(話し合い)へ出向いてました。その間私は家で一人の世界に入ってました。
私のストレス発散方法は音楽やラジオを聴きながら、ジグゾーパズルをひたすらしまくるです。ここでのポイントは頭空っぽにして音楽に集中することです。このストレス発散方法はいまだに健在です。


校長先生とスクールカウンセラーさん

学校側も対応を始めていきました。いじめ問題ということで校長先生や教頭先生にも話がいきました。

当時「義務教育だし、私が休んだらAちゃん1人になっちゃうし、授業も分からなくなるなるから」てことでほぼ毎日学校に行ってましたが、親から「体育休んでいいからね」と先生とも連携をとって、授業を休んでいた時に校長先生が私のことを呼び出してきました。

校長先生と私の二人だけで今までの経緯や今後クラスメイトとの関係をどうしたいのかなどを話した後に校長先生は自分の学生時代の話を始めました。

校長先生も学生時代はクラスメイトから暴力などいじめられていた。でもいじめてきた奴を見返したくて勉強をとにかく頑張ってきて教員になった。そして実際に教育委員会に務めたり校長になって、いじめられている子がいたら救ってあげたい。そう仰っていました。

自分よりもはるかに年上で今偉い立場にたつ人間でもそんな過去を持つのかと驚いた私。
そして校長先生は
「知り合いにカウンセラーさんがいるからその方とお話してみない?心が安らぐかもしれない」
とカウンセリングを勧めてくれました。そのカウンセラーの方とのお話は今でも強烈に覚えてます。

部屋に入ってドアの方を見ると先生方が見守ってくれる顔を見てちょっと緊張しながらカウンセラーさんとお話。
少し経ってカウンセラーさんが
「好きなこととか趣味ってある?」と尋ねてきました。

いじめられていた当時、『ラブライブ』に心を奪われて凄く熱中していました。大好きが強すぎるあまりに気づいたらラブライブの話をカウンセラーさんにマシンガントークするぐらいに夢中で話していて、我に帰った瞬間死ぬほど恥ずかしかったです。
なんならこんなに一気に話すこともだいぶ無かったので、かなり疲れていた記憶があります。それを聞いて

「自分が好きなことを堂々と話せること、とても素晴らしいことだと思う。学校での嫌なことを忘れられるぐらい大好きなことを愛せるのは続けていって」

とカウンセラーの先生は仰ってくれました。後にこの言葉は中学時代での人間関係に繋がっていきます。
困惑させてしまったのでは無いかと内心ビクビクしていたのですが、予想外の言葉をかけられて凄く印象に残ってます。

途中でお伝えしたように当時学校にはスクールカウンセラーやカウンセラー室のようなものがなく、校長先生が直々にカウンセラーさんにお願いをして機会を与えてくださいました。カウンセラーを受けたことで心が確かに安らぎました。本当に校長先生には感謝です。


Aちゃんとの約束

いじめと闘う毎日。今では一日が本当に一瞬に過ぎ去っていきますが、いじめられている時は一日が1年ぐらいの重たさと長さを感じてました。

毎日後輩ちゃんたちを連れて班で学校に行く。私は班長で、一番下は1年生。
心配な顔はさせてはいけないと無理して元気に振舞って先頭を歩く。でも内心学校が近づくに連れて逃げ出したかった。身体がどんどん重たくなっていく。でも学校に着いてしまって後には引けなくて。でも自分のプライドが許さず教室に入るしかない。

階段を上がると自分の教室がある。その階段を上るのが凄くキツい。辛い。
上りながら教室に入る時にみんなが自分を一斉に見てきて笑って陰口を言ってくる姿、私を菌扱いする様子が脳裏によぎる。
あーーーこれ書きながら正に脳裏に浮かんできて息苦しくなってきました笑泣(情緒)

そんな毎日のルーティン。唯一の救いと言っても過言では無いAちゃんとの憩い。
彼女とはある日、こんな約束を交わしたんです


『本当にお互い辛くなったら飛び降り自〇しようね』


今は先生たちの支援だったり自分たちの関係でなんとか生きていますが、よりいじめが悪化したりして死ぬ選択しかなくなった場合の選択肢を私たちは約束してました。
怖い話ですが、本気で約束をしたしここで飛び降りようとかも考えてたような記憶があります。

そんなこと考えるぐらい実は私とAちゃんは常に自分の『死』を考えてました。直接自分の口から『死にたい』と言うことは無かったのですが、心の中ではずっと考えてました。

ただでさえ、親を失望の顔にさせています。先生たちも総出でいじめ問題に取り掛かってて本来ならやらなくてよかった業務も行っている=迷惑 と思ってて、より死にたい欲が強かったです。

申し訳なくて、迷惑で、邪魔な存在。そもそもクラスメイトから菌扱いされてるので、ほんとにいらない存在だなって思ってました。一刻も早くこの世から消えたかったです。

でもそんな中で支えだったのがAちゃんと遊んだり、毎日精神的にやられて腹痛で保健室に行くたびに会える天使のような保健室の先生、自分の趣味の音楽だとかアニメでした。

でも心の中ではずっと『死にたい』があって。思ってるならやってしまおうとある時突然思い立ちました。


自分を刺そうとした

家で親がいない時にふと思った。死んでしまおうと。Aちゃんとの約束は裏切ることになる。けどやっぱり死にたくて。そんなにみんなが私を人間以下に思うならと。

精神的に思い詰めて腹痛を起こし、保健室に行く毎日。いつしかその行為は実は仮病なんじゃないかともクラスメイトから言われるようにもなりました。

信じられる人もほんの僅かで迷惑もかけっぱなし。世の中信じられないし。

で自〇を試みることにしたんです。突然
『〇のう』
って

当時の私は🐿🦟とかODとか全く言葉すらも知らなかったため、選択肢が軽く自分を傷つけるというのはなく、単に自分で自分を〇すしかなかったです。

飛び降りはAちゃんと約束があったため、そもそも選択肢から外して、首吊りは家に首を吊れるようなことが出来なかった。身長が低いためロープがあっても不可能だった。首を絞めるにしても、自分は握力も力が弱いのでこれも不可能。

で結果 自分を刺す 選択にしました。
刺すとこ刺しておけば〇ねるだろうって思って。

親が家にいない時にキッチンにある包丁を手に取ってました。自分でも気づかない間に。
終わらそうって思った。

Aちゃんや親や先生には申し訳ないって思う反面、いじめてきたヤツらへの怒りとかされたことへの悲しみとか溢れてた。涙も止まらなかった。
『ごめんなさい』て思うしかなかった。何がごめんなさいなのかも分からくて。いじめられているってことはこの世界にいる必要ないってことだし。

たくさんの想いを抱えながら私は包丁を自分に刺そうとしました。お腹に刺そうと力を込めて。
でも、その瞬間に推しの姿が脳に浮かんできちゃった。

『ここで〇んだら、応援出来なくなっちゃう』

そんな単純な理由で私は〇ぬことをやめました。『ふざけんな』てこれを見て思う方もいるかもしれませんが、事実です。推しで生かされていましたあの時の私は。

もちろんAちゃんがいなければきっとメンタルだってボロボロで多分とっくに自〇してます。それと同じくらいに推したちの存在が私を生かしてくれてました。

カウンセラーさんが言っていた『大好きなことを愛せることを続けて』 。人のことを信じることを諦めて何が善で何が悪なのかも分からなくなって、生きる理由とかも諦めていた。たった12、3年の命を終わらそうとしていた私。そんな私の救いは『大好きなものたち』だった。

そう悟った私は包丁を持つ手を下ろして、応援をしている推したちのために今は生きてみようって思い立ちました。


いじめの収束と裏切り

そんなこんなで自〇することを1度諦めたものの死にたい欲望は心の中にあったみちる。後にまた話します。

学校では主犯格の人を中心に先生たちが面談をやったり、クラスメイトでの話し合いが行なわれいじめの収束へと向かっていきました。
そしてある日、いじめに区切りを。とクラスメイト全員からの謝罪が先生複数人を挟みながら行われました。
その際何故か私にもコメントを求められて意味が分からないまま「もうやめてください」と蹴りを付けました。

その後前とは少し違った日常が訪れました。本当に改心したのかは分からないけど、私に普通に接してくれる人が数人居ました。
てことでこの文章からある程度お分かりであろう。。。
改心せずいじめ続ける人が大半でした。

それでこそ人のことは簡単に信じるもんじゃないねって学びました本当に。
平気で自分が言ったり書いたりしたことを裏切るし、人のこと騙すし。

この頃から自分の人間関係の見方みたいなものが変わり、嫌いな人は無理で割り切って狭く深い関係でやっていこうと言う考えになってました。
それまでは無理やり全員と仲良くしなきゃと自分でも気づかずうちに勢い任せで関係を作ってました。でもこのいじめを通して、性格が悪くて人の言うことを根っから聞かない人もこの世にはそこら中にいるんだって知りました。

変な話だけど、いじめのお陰でいじめてきたヤツらよりも1歩大人になれたのかなって今の私は思います。

ここからは収束(?)から後の話。
Aちゃんとは相変わらず休み時間や放課後に会う仲でいじめ収束後も必ず会っていた。収束といってもいじめは続いてたので。

そんなある日、いじめ収束の少し前から教室に来ることがなかった主犯格の1人が久しぶりに教室に姿を現しました。(Bちゃんとする)
その子は女子で3人グループでいつもいて、私のことをいじめる主犯格グループのような立ち位置でした。いつも3人で固まってる感じ。

ただその日は違った。Bちゃんが教室に来ても友達の2人がBちゃんのもとに来ない。それどころかクラスメイトは彼女のことを私にしてたことと同じことをしてました。
そう、クラスでのいじめのターゲットが増えた。それも成り下がりだったのです。
これも裏切りってことですね。

その様子を見た私。1度無視しようって思っちゃったんです。だって自分を傷つけた相手なのだから。
でも、そんなことしたら今度は私がいじめる側になる。それこそ負け犬で、そんなの自分で自分を裏切ることになる。やり返すなんてバカらしいと私は彼女の味方になることを決意します。もちろんいじめをしたことは許しません。彼女本人にも直接言いました。

「本当にごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。」

彼女と2人きりの空間だったときに謝られました。

「いじめたことは一生許さないです。でもいじめられている、自分じゃない誰かが傷つけられているところは見たくない。」

そう返しました。そこからBちゃんとも絡むことが生まれました。
自分がいじめられていた時はクラスに誰も味方になる人がいなかったけど、今度は味方がいる。1つの空間に1人だけでも味方がいるってこんなにも心強いんだなって気づきました。

まあ面白いことにAちゃんとBちゃんが昔クラスが同じで絡みがあったってことで、授業外で時たま3人で保健室で先生とお話したりしましたね。
あとはBちゃんが教頭先生とか校長先生などの先生と給食を別の部屋で食べるからってことで保健室の先生からお誘いを受けて一緒に食べたり(人生のお話を永遠と聞かされた)、その部屋を一緒に掃除したり。

いじめてきてた相手とはいえ、同じクラスにこうやって話せる人がいるのは何ヶ月ぶりとかだったので、辛かった反面心がちょっとだけ和らいできてました。

中学変更

実はいじめが始まったのが小6の9月。親や先生方に話したのが詳しくは覚えていないのですが12月とか1月あたりだった気がします(多分)。でそっからクラスメイトの話し合いがあって……となんだかんだやってたら卒業間際。

私が住んでいる地域はこの中学にだいたいの子が進むよ〜て感じで既に行く中学も決まっていて、制服などの採寸も終えてて……。でもいじめがあったってことで中学の変更をするかどうかの話し合いを持ちかけられました。

A中学(元々行く予定、いじめてきたヤツらがめっちゃ通ってる)
B中学(結果的に行った学校、知り合いほぼゼロ、校長先生からはあんまり治安よくないって言われてた)

この2択で迫られました。どちらにしてもメリットとデメリットがあって凄く迷ったのを覚えてます。

「もしB中学に行って、そこでもいじめがあったら別の学校に転校しよう」

そう親とも話をつけていて。それを聞いた私はどちらの選択肢にしろ、またも自〇を視野に入れてました。

A中学はまたいじめられるのは必然的。Aに行ったら何がなんでも〇んでやるって意気込んでました。
B中学はほぼ知り合いゼロ。知り合いは1人2人。みんな初めましてで何が起きるかは行かないと分からない未知の場所でした。


私は2択で迫られた時……というより複数の選択を迫られた時は本当に時間をめちゃくちゃかけて決める人なんです私。
なのでこの日までに決めてっていう期限の日まで考え込んでました。
何せ自分の死と隣り合わせの選択ですから。

自分の死が分かりきってて目の前にあるお先真っ暗よりちょい冒険してみるかと軽めな感じで決めました。もしかしたらいい出会いがあるかもしれないって。

ちなみに言い忘れてましたが、私が自〇しようと包丁で自分のことを刺そうとしたことは今でも親に言ってません。それどころか多分Aちゃんにも言ってなかったはず。

そして、長い間悩んだ末選んだのがB中学でした。
後に教育委員会のもとへ両親と共に出向き、正式に中学変更を行いました。
そのときの自分は何だかフワフワしてて、不思議な感覚だったことを覚えています。自分で終わらせようとした人生をもう一度歩き出して、人生を選択してそれが全くどうなるか分からない新しい道に進む。
ワクワクドキドキ、不安、怖い色んな感情が混ざりながら教育委員会の担当の方とお話して最終決定をしました。

同時期Aちゃんは中学受験をして見事受かりその学校へ、Bちゃんは元々行く予定の学校をいじめてくるヤツらとはクラスを別にするように中学側に申し出たとそれぞれ話がありました。
Aちゃんとはよく「大丈夫かな怖い」て話してました。お互いが初めましてが多い場所に飛び込むわけだし、ただでさえ人間不信。恐怖です。


ついに卒業

月日が経ちついに卒業式。私はこの日、バカらしいのですが式で号泣しました。
なんで泣いたかって

「やっと、やっとこの地獄の生活から抜けられるんだ」

て嬉しくて泣きました。「よく頑張ったね自分」て。6年間で見たらいじめられていたのってそんなに長くないけど、自分からしたら一日が一年っていうぐらい本当に長い月日だった。それを半年以上耐え抜いてきたことを考えたら号泣しました。

自〇をしようとしたこともあったし、普通にたくさんの人に迷惑かけまくった。辛かった、毎日〇にたいって心の中で思い続けた、勝手に期待を持って裏切られて絶望して、みんなが裏切って、人を信じることができなくなって。
そんな色んなことがあった。いじめが起きる前は友達と遊んだりわちゃわちゃすることが多かった。コミュ障の私でも楽しいって思えてた。けど理由が分からないまま人権以下として扱われて。

毎日死にものぐるいで生きてた日々からの解放。本当に心から嬉しかった。中学がどんな生活になるかはまだ分からなかったけど、いじめてきたヤツらの顔を今後見ることないって考えただけでも嬉しすぎた。

式後はAちゃんBちゃんとお世話になった先生たち一人一人へお礼をしにまわりまくった。先生方がちゃんと動いて下さらなかったら、一生クラスメイト全員からいじめられる始末だったし、そもそも無かったはずの中学変更の話が生まれなかったですし。

そしてようやく地獄の学校生活から開放された私。中学生になりました。


命の恩人

ほぼ知り合いゼロでのスタートの中学生活。春休みにAちゃんと遊んだものの、最後に遊んでから数週間が経ち家ではほぼ無口のまま過した春休み。
校長先生からは周辺の小学校から来る生徒たちがいい評価では無いと聞かされていたため、かなり怯えてました。それどころか緊張のあまりに吐き気もありました。

人間不信、初対面、見るからに自分とは住む世界が違う人間、ただ怖い、帰りたい。そんなことばかり入学式は考えてました。
ちなみに卒業式後すぐに行われた中学での入学テストみたいなやつ。あれは先生がめっちゃ怖かった印象しかなかった。

中一の途中まで小学校でのいじめにより、周りで話している人たちが全部自分への悪口を言っているように聴こえる、幻聴みたいなのを起こしていました。お出かけでショッピングモールなどに行っても全部の声が悪口だと感じてしまうぐらい酷かったです。
しかしそれは『命の恩人』のお陰で和らいでいくことになります。

クラスでの自己紹介。何を言おうかと考えている時にカウンセラーの先生が仰っていた言葉を思い出したんです。それと同時に今1番勢いがあるよねということで頑張って「ラブライブが好きです」と自己紹介しました。
ラブライブが好きって言うと引かれるみたいなのが当時あって。実際小学校のときその経験があって言うのにかなり勇気がいりました。
すると担任が「好きなキャラは?」と会話を引き出して下さって「矢澤にこちゃんです」と答えて。
そしたら後ろから声がしたんです「え?」て。

自己紹介後の休み時間。

「ねえねえ」

声をかけられ振り向くと

「ラブライブ好きなの!?」

と聞かれました。彼女は私の自己紹介を聞いて話しかけてきてくれました。

「う、うん好き」

とたどたどしく答える私。凄く嬉しかったんです。同じラブライブを好きな子がいてくれたことが。ただある事に気づきました。

(あれ、笑顔ってどうするんだっけ……)

数週間歌うこと以外ほぼ無口だったため、顔の筋肉も使うことがなかった。笑うこともほとんどなかったため、笑顔の仕方を見失ってました。衝撃的でしたね。

あまりにたどたどしい反応をしていたからか彼女はゆっくりと優しく接してくれました。(Cちゃんとする)話している内に「自分たち似てるな」と感じてきたんです。

こんなことがあっていいのかって思いました。ほんの1か月前まで死と隣り合わせで生きてきたのに、こんな幸せになっていいのかと。こんな素敵な人と会えるなんて思ってもみなかった。

私たちは何かと意気投合することが多く、常にCちゃんと一緒にいました。Cちゃんの友達の後に紹介されましたが、みんないい人たちで。
Cちゃんは間違いなく私の命の恩人です。私が引き付けたっていうのもあるけど、そもそも同じクラスじゃなかったらこうなってない。奇跡の重なりで私は地獄から天国へと生活が180度変わりました。

後にCちゃんに今まであったことを打ち明けたのですがその時も優しく聞いてくれたりして本当に心暖かい人です。今では大親友です。

非常に変な話ですが、いじめてきていたヤツらには感謝しています。物騒ですけど。ヤツらが私のことをいじめてなんてこなければこの道は生まれていなかった(先生に感謝したときと同じだけど)ので。本来絶対この道はなかったので。感謝なんてしたくないけど、この点だけは感謝してます。

それから私は確かに嫌なこともありつつも本当に本当に心から楽しいと思える中学生活を送りました。コロナで大事なラストが無念と終わりましたが、卒業式前日では
「中学生活終わらないでほしい」
「生きてて良かった。あの時自〇しなくてよかった」
「この学校にきて本当に良かった」
とありえないぐらいに号泣をかましました。

振り返って言えること

結論▶︎辛いことから学べることもめっちゃある。
環境が変われば180度人生が変わることも全然ある。
自分の味方になってくれる人は絶対必ずいること。
辛かったら「助けて」と素直に言って良い。
案外人間単純。
一人仲間がいるだけでも心強い。
いじめてくるやつは自分に返ってこない限り反省しない。
拡散力は予想以上に恐ろしい。

です。後ろの2点に関しては中学時代での事なのですが、いじめてきてたヤツらのバッタリ帰り道に会うことが2回ほどありまして。私が選ばなかったA中学に通うヤツらは中学にあがっても変わらず、私のことに気づいた途端大声で私のことを笑ってきました。

その時の私は友達もたくさんいたし、もうほとんど会うことがないヤツらだったので華麗にスルーして帰りました。

また、ヤツらはどんなことを大勢の人に振りまいたのか。本当に初対面で誰なのかも知らないA中学の先輩に街中ですれ違ったら笑われることがありました。恐怖でした。
見知らぬ人から嘲笑われるなんてことは今まで無かったことなので、さすがに驚きました。
ネット上の誹謗中傷を3次元に起こしたらこんな感じですを表したようで。怖すぎました。


Aちゃんについて

小学校卒業後、Aちゃんとは年賀状を1、2回送りあった以降本当に連絡を取り合ってません。住所も電話番号も知ってるんですが、全然変わってる可能性もあるので連絡取ろうにも取れず。そもそもAちゃんが今生きているのかも分からない状態です。
今も元気に生きて毎日楽しんでいたら嬉しいな。

Aちゃんがいなければ味方は先生になってたはず。でも先生だって忙しいからひとりぼっちで休み時間を過ごしていたと思うので。一緒に共に頑張って支え合って生き抜いてきた。時にはお互い慰め合うこともあって。何回も言いますが、彼女がいなければ多分とっくのとうに自〇してました。本当に私といてくれてありがとう。頑張ったね。


別の環境に移ったって構わない

最後にここまで見てくれたあなたへ。私の文章力が皆無で所々理解し難い部分もあったかと思いますが、読んで下さりありがとうございました。

本当に人生のどん底だった私だけど、小さな冒険として環境を変えたこととそして今や未来をよりよく生きるためにはどうしていこうか考えて実践してきたからこそ、今もこうして毎日生きています。

中学に上がり立ての時、もう一度あんな風にはなりたくなくてなんでいじめられたんだろうって自分なりの解釈をしました。自分の感情面だったり、表現や性格が関係してたのかなって舐められるような人だったのかなって。

小学生のときは喜怒哀楽の怒るがなくて誰にでも優しくしていたこともあっていじめに繋がってしまったのかもしれないと自分で考えて。中学では思ったことをそのまま出せるようにちょっとずつちょっとずつ表現していきました。

そうやってただいじめられましたで終わりにするんじゃなくて、そこから学んで改善しました。

よく「逃げ」みたいに言われますけど、1つの手段だと思ってます。ただ本来は加害者が逃げる立場だよなと。母が私によく言ってくれました。「何もやってないのに仲間はずれにしていじめて。それで被害者が別の場所に行かなきゃ行けないのはおかしい。本当は加害者側じゃん。いつかああやって人のことを傷つける人はバチが当たって返ってくるから。」と。

どうしようもないんです今の世の中は。加害者側の対処が明らかに足りないよなと思ってます。加害者が意地でも動かなければ被害者が動くしか地獄から逃れられない。

ただその逃げが本当に自〇に繋がってしまうことは決して少なくは無いのが現状。

辛いなとかしんどいと思ったら誰か1人本当の本当の本当の本当に心から自分が1番信頼している人に「助けて」て助けを求めるべきだと私は思ってます。
迷惑かけるとかマイナスなことを思うのはめっっっちゃ分かります。でも言わない限りよりしんどくなる一方です。
逆に信頼していたと思った人が思うような対応をしてくれなかった、または逆手に取られた場合はすぐに身をその人から引きましょう。自分にマイナスなことしか起きません。

私の経験を踏まえてですが、やっぱり周りの環境が変われば全て変わるは有り得る話
たしかにこの世は全てがいいこと悪いことで埋め尽くされている訳ではなく、混在しています。その『いい』ことがどのくらい自分の中で占めているかで自分の心地良さとか楽しさが変わります。

私がB中学に行ってそれでもダメならと代替校の話が出たのもそれです。

自分が心地よいと感じれる場所はきっとどこかにあります。それを探してみるのも冒険になるんじゃないかな。
人間単純。私みたいに突然コロッと切り替えられたりします。人それぞれですが。

それに絶対どこかに自分のことを理解してくれる心暖かい人がいるはず。全員が悪い人ではないので。

「生きてて良かった」と心から本当に思ってます。今生きているお陰でこうして中学生、高校生、大学生までなれて、憧れていた歌い手も挑戦ができて、応援して下さるみなさんに囲まれて凄く幸せです。

今生きることに迷ったり辛かったりしている方へ

自分が好きだと思っていることを自分の思うままに好きでい続けてください。その好きでいることも自分の生きる力になっているんじゃないかな?
嫌なことがあったら自分の好きと全力で向き合ってみてもいいし、新しく何かを好きになって嫌なことを少しでも忘れられるくらい楽しんでみてもいいと思います。

今は暗くて辛くて苦しいと思うけど、いつかゆっくりと明るくて楽しくて笑顔になれるような瞬間がきっとくるはずです。
無責任な言葉ってなるかもしれないけど、先程も言った別の環境に移ってみて知らない景色を見たら、もしかしたらそれがその明るい景色かもしれない。人生本当にどうなるか分からないですよ。
少しだけでも頑張ってみようって気持ちがあればきっとキミの道はもう既に開けていますよ。
どんな人がこの記事を読んでくださっているか分からないけど、応援していますよ!

私も未来に向けて毎日頑張っています。一緒に毎日頑張っていきましょう!

今回、突然こんな暗いお話をたくさんしたけどそこから私がどうやって今生きてきたかというのもお話をして、少しでもキミの力になれていたら凄く嬉しいです。

あとこれだけ言いたい。

人のことをいじめたり、平気で傷つけるような人は全無視でいいです。ああゆう人たちはマジで何言っても永遠に反省しないし、そんな人たちと一緒にいたら自分も傷つける側にまわっていいことなんて何もありません。

以上です。

ここまで14000字以上でお送り致しました。
お疲れ様でした。
今後ともみちるをよろしくお願い致します。

そして、アナタの毎日が少しでも楽しく生きられますように。

生きてていいんだよ。
いつもありがとう。
お疲れ様。
頑張っててえらいえらい。

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