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母を愛していた自分、母から愛されていた自分に気づいて楽になった

私が手放したいのは母へのモヤモヤした気持ち。
否定されたり攻撃されたりするのが怖くて意見できない。
過干渉が嫌で適度に距離を置きたいのに、「冷たくなった」と言われるのが怖くて離れられない。
母への思いやりと自分の気持ちの尊重、このバランスのとり方が分かりません。

電話したり会ったりするときにも神経がすり減ってしまい、イライラしてしまいます。
親に対するネガティブな感情が止まらない…遅れてきた反抗期のようです。

反抗期は、精神的に自立したいという思いの表れ。
怒りは、「もうあなたには頼らない、自分でやっていく!」と自立するためのエネルギー。

根本裕幸先生の『「もう傷つきたくない」あなたが執着を手放して「幸せ」になる本』を頼りに、執着を手放すワークをやってみました。


自分で作り出した「娘としての義務」に縛られていた

最初は「その人にいま伝えたいこと(怒りや悲しみ、感謝、愛情など)」を手紙のように書いてみる→御恨み帳を書く というワーク。
執着している相手をいきなり否定したり、相手に対する激しい怒りをぶつけたりするのはハードルが高いので、その人への感情の全体を洗い出した後に深い恨みを掘り下げていく…というやり方でした。
たしかに、遠慮が要らなくなって、御恨み帳はめちゃくちゃ書けました(笑)

「衣食住を与えてくれて、小さいころから楽しい思い出を作ってくれて、愛情をたっぷり注いで育ててくれてありがとう」というのが最初に思い浮かんだ気持ちでした。
書いていくうちに、やってもらったことを返せていない罪悪感が私を無理させていたんだと気づきました。大学院も休学するほど余裕がなくてバイトもできなくて、社会人になるのも遅かったから経済的自立も遅れて…
せめて精神的に家族の役に立つことで埋め合わせをしようとしていました。
だから母の話を献身的に聞いて、言われたことはきちんとやろうとしていたんです。
娘としてちゃんとしていない自分が許せない、と自分を縛っていたのでした。

「私は家族を愛している」という自信が持てた

次が「愛し方の違いを受け入れる」ワーク。
どんな愛情表現を好むかは人それぞれ。それを理解しないままだと、愛を受け取ってもらえない、または愛されていないという誤解が生じてしまいます。

母の愛情の注ぎ方は、私のことを心配して色々助言したり、定期的に電話してつながりを感じられるようにしたり、「あなたのことを想っている」と意思表示を継続すること。
私の愛し方は、相手の意見を尊重する、自分ができることなら全力で応えるなど ”尽くす” という行為。
全く異なるので、すれ違いが起きても仕方ない状態です。

母に対して少しでもぶっきらぼうに振る舞うと注意されることが多かったような気がします。私の尽くすという愛情表現が当たり前のことのように受け取られていたのかも…
でも、私は必死で頑張って接していたんです。だから一方的な搾取だと思ってしまった。愛情は両方向へ流れていたのに。

私が頑張ってやっていたことはれっきとした愛情表現だったんだ。私が冷たい心の持ち主というわけではなくて、ちゃんと家族を愛してきたんだ。
このワークで気づいて楽になりました。もう十分やっている、親に恩を返しているからもう大丈夫、と。

「自分だって完璧じゃない」と気づく機会を与えてくれたことに感謝

次が「これまでのすべてを肯定する」ワーク。
その人とともに生きたことで学んだことや成長したことを書き出しました。

母との関わりのなかで色々と感じたり考えたりしたことで、謙虚な姿勢が身についたのかもと思います。
私が勝手に期待して、私の理想のギブアンドテイクの形が実現しないことにイライラしていたこと。
私はこんなに頑張っているのに、と母に要求してしまったこと。
これを続けたら、自分も周りも苦しめるだけだということに気づきました。

自分だって、ある部分ではできているかもしれないけど、違う面ではまったく欠けていることがたくさんあるのに。
自分は許されたいのに相手を許せないという気持ちを改めなければと思いました。
いま修正し、訓練する機会が与えられたことが本当によかったです。

最後に書いた「感謝の手紙」

私をこの世に生まれさせてくれてありがとう。
生きる楽しさを最初に教えてくれてありがとう。
家のなかで太陽のように輝いて、パワフルなエネルギーを与えてくれてありがとう。
こういった感謝が自然とあふれてきました。

私は母を尊敬していて大好きだから、つい甘えたくなるんだなと気づきました。

私たちは双方に愛情を送り合っている。だから無理して近づきすぎたり離れたりしなくても大丈夫。
お互いに自立して歩いて行ける。そしてお互い幸せになれる。

土台にある愛を確認できたから、もう私が怖れることは何もありません。


ここに書いた以外のワークも含めて取り組んだのが合計6時間。手帳の20ページを埋めることとなりました。
終わったあとは驚くほど心が軽くて…やってみてよかったです。

吉本ばななさんの『なんくるない』に、「私の人生は両手いっぱいに果物をかかえているようなものだ」という表現があるのですが、まさにそんな気分。
今まで辛かったね。ここで空いて軽くなった両手に、これからは果物でも持って歩きたいな。
今まで執着に費やしていたエネルギーを、私の幸せのために使っていこう。

前回の記事もよろしければどうぞ☺


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