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たまに書く日記③ イギリスの爺さんのこと

ずいぶん昔……それこそ20年以上前、イングランド南東部のそこそこ大きな街、ブライトンに1年暮らしたことがある。

ガチで英語を学びたかったので、敢えて日本人の生徒がひとりもいない小さな英語学校を選び、ホームステイではなくひとり暮らしをしていた。

最初に住んだのは、400年前に建てられた元消防署、現板金工場の二階というなかなかレアな物件で、リビングのど真ん中に未だに出動用のポールが通っていたし、電気が来ていなかったし、まあ色々といわくつきの住み処だった。その話はまた他日。

渡英ほどないある日、友人の頼みで、彼女がかつて1ヶ月ホームステイしたお宅に手紙とお菓子を届けに行ったことがある。

ブライトンからそう遠くない、でももっとのどかなポートスレイドという街にある目的のお宅は、19世紀に建てられたというとてつもなく素敵なコテージだった。

天井が低くて、変な段差があちこちにあって、でも居心地のいい小さな居間には暖炉があって、窓からは、なだらかな丘と、庭の真ん中に生えたリンゴの木が見えた。

そのコテージの住人は、当時でも既にけっこう年配のご夫婦で、常に各国から来た留学生を下宿させているので、有り体に言えば友人のことはすっかり忘れていた。

でも、私がひとり暮らしだと聞いてとても心配して、「うちには留学生がいてあなたを住まわせる部屋がないから、せめて毎週、サンデーディナーを食べに来なさい」と言ってくれた。

今なら固辞するところだけれど、私は若くて貧乏で人恋しかったので、一も二もなく「そうします!」と頷き(ド厚かましい)、そして本当に、帰国するまでほぼ毎週、その縁もゆかりもない家に通い続けた(本当にド厚かましい)。

そこのお宅であった色々なことも、また別の機会に。

8月だからというわけではないけれど、思い出したことがある。

そこの家の旦那さんは、第二次世界大戦中、空軍のパイロットだった。

戦争中の話をせがむと、いつも、「ドイツ軍と戦うのに忙しかったから、俺は日本に恨みはないよ」とウインクした。戦闘機と一緒に写ったかっこいい写真も、何枚か持っていた。

「とにかく当時は、パイロットというだけでめちゃくちゃもてた」とニヤニヤしていた。実際、写真の中の彼は、けっこう男前だった。

彼はよく私を近所のパブに連れていってくれて、彼が友達とビールを飲むあいだ、私は横でダイエットコークを飲み、ピーナツをぽりぽり齧って、半分くらいしか聞き取れない彼らの会話に何となく耳を傾けていた。

そんなとき、私が退屈していると思ったのか、彼が急に話しかけてきた。

「こいつらとは、同じ連隊にいたんだ」

「へえ、ずっと仲良しなんだね」と言ったら、「そうだよ。学校でも一緒、戦地でも一緒、パブでも一緒だ。まあ、墓だけは別々にしたいけどな」と応じて、みんながどっと笑った。

そのあったかい空気の中で、彼は急にこんなことを言った。

「ここにいるのは気のいいジジイたちだろ。でもな、みんな若い頃、戦地で人を殺してるんだ。それも、何十人、下手すりゃ何百人だ」

みんな、急に真顔になった。何人かは肩を竦めた。

私も、戸惑ったまま「うん」と言った。

「今はいい世の中だ。ひとり殺しただけでニュースになる。裁判にかけられる。それが当たり前なんだ。俺たちは、普通じゃない時代に、当たり前じゃないことをした。でも、みんないい奴等だ。善良な人間なんだよ」

「戦争だったから」

まだ拙い英語で私が言えたのは、それだけだった。

彼は頷いた。

「そうだ。戦争だから仕方ない。悪いことをしたとは今も思わないが、お前たちに同じことをしてほしいとは絶対に思わない。この先はずっとこんなふうに、日本から来た娘っ子にまずいコーラを奢りたい。お前は、俺たちが殺さなかった、俺たちを殺さなかった敵国の兵隊の子供だ」

「孫だよ」

それはたぶん、人生でいちばん気合いが必要なツッコミだったと思う。

「おっとそうだ、俺の子供はお前よりずっと年上だもんな。すぐ自分の歳を若く見積もっちまう」

彼はそう言って笑って、みんなも笑って、そうして話題はフットボールへと移っていった。

私はひとり、楽しそうに盛り上がるお爺ちゃんたちを見ていた。

そっか、みんな人を殺したことがあるんだ。ここは殺人者だらけのパブなんだ。

なんか凄いな。

それしか言葉が思いつけなかった。

私の父方の祖父は軍医だったから、治すほうで手いっぱいだったと言っていた。

でも、母方の祖父は、南方のジャングルでずいぶん酷い目に遭って、マラリアがもとで若くして亡くなった。

警察署長を務めて、みんなから人格者だと言われていたというあの祖父もやはり、人をたくさん殺していたんだなあ。

ぼんやり、そう思った。

祖父は、その事実とどう折り合っていたんだろう。やっぱり、「戦争だから仕方ない」と思っていたんだろうか。

「仕方ない」で済ませてはいけないことだけど、済ませないとそれこそ仕方なかったんだろうな。

そのあと、「日本はフットボールは強いのか?」と訊かれてあたふたしてしまって、それきりそんな話は忘れていた。

急に思い出したのは、8月だからか、新型コロナウイルスのせいで旅に出られないからか。

とにかく、彼はもういないけれど、私は作家になり、彼の孫も作家になり、私たちはオンラインでたまにお喋りする。

実際に人の命を奪ったことがある祖父たちと違って、私も彼の孫も、殺人を経験することなく、伝聞と想像だけで殺人を描いている。

「それでいいんだ。ほんとは全然違うけどな」と、彼なら笑いそうな気がする。

いつか彼の孫に、あの日の話をしてみようか。

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