20240413 希死念慮の雑記、考察

4月13日。以下、日記代わりの雑記。希死念慮、自分の自殺企図の止め方、偽善  ※全然遺書じゃない!

これ以上人生を良くしようなんて思ってない。

逆ゲートキーパー

純粋に「死にたい」だけの奴はいない。
仕事が辛くて死にたい奴も、将来が不安で死にたい奴も、いじめられてて死にたい奴も願っているのはその問題の解決であって「死」ではない。

手段としての「死」であって本当はそれが目的ではない。「死んで楽になりたい」という言葉の中で重要なのは死ぬ部分ではなく、楽になりたいの部分。

死にたいときに何故死にたいのかを書いて死を()で囲むだけで本当はどうしたいのかを考えることが出来る。

偶然「死(自死)」を選び、それに成功しているだけ。
そういう人たちも、もう少し他責思考が強ければ他者を攻撃したり何かしら破壊したりして無理やり解決している可能性がある。

「死んで楽になりたい」くらいの希死念慮ならたぶん自力で戻ってこれるが、ここからもう一段階深くなると「死ななければいけない」になる。←これに関しては自分でもどうやって戻ったか覚えていない。運かもしれない。

「死んで楽になりたい」

「(死んで)楽になりたい」

たまに 趣味:自殺行為 みたいな感じで全然死なないアッパーメンヘラが居るが(わたしです)そういう奴らが抱いているのは希死念慮・自殺願望じゃなくて人間の死や無に帰すことへの興味・拘りなんじゃないか?
(アスペルガー女あるある?)

純度100で「死にたい」奴は恐らく居ないが、「殺したい」と思っているパターンは結構ある話かもしれない
(例:「人を殺してみたかった」豊川市主婦殺人事件)

薄い他殺願望を他人に向ける訳にはいかないから、もしくはそれを他人に向ける度胸を持ち合わせていないから自分に向けてしまうのでは?(正気のバグ)(陰キャ)

酒鬼薔薇や佐世保jk程は狂っていないが所謂拡大自殺のようなスタイルは選ばない根暗タイプ

ある意味こういう奴のほうが考え方的が死に近い。しかし逆に生命力が有るため本人はあんまり死なない。
死を繰り返したいだけで、この場合も死ぬ気がない

死に対してポジティブ

死ななくていいんじゃない?とまでは声をかけられるが流石に生きていた方が良いよとは言いきれない。自分の死を止めるコツが分かったが、例えばそれを他人に使うような偽善者ではない。

(それでも世の中的にはやらない善よりやる偽善らしい)

何をどうすれば生きていたほうが良いという発想になるのか

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