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自ら死ぬことは悪いことなのか?

こんばんは。Mickey★です。
一時期、芸能人の自殺が連続して発生し、また最近も芸能人の自殺報道がありました。
コメントで見かけるのは、何故死んでしまったのかという理由や遺された人の気持ちを考えていないという本人の行動に対する疑問、気付いてあげられなかった、助けてあげられなかったという遺された人が抱く後悔の気持ちが多いと思われます。そして、自殺報道による後追い自殺を防止するための、いのちの電話やヘッドラインの案内が必ずといっていい程、セットで報道されます。

自殺報道の根底として、「自殺すること=悪いこと」という考えがあると感じ、私自身のこれまでの死生観を振り返りながら、そもそも自ら命を絶つことが悪いことなのか?ということについて、自分の考えをまとめてみました。

【注意!!】
 本記事は、1個人の考えであり、決して自殺を推奨するものではありません。

若い頃に抱いていた死への憧れ


自分が高校生の時は、「30歳で死にたい」という思いがありました。
当時、テレビで尾崎豊やX JAPANのhideの死んだ際に多くのファンが葬儀場に押し寄せ、霊柩車を追いかけるシーン等が報道されたのですが、彼らはその当時の若者の一部には、絶大的な人気がありました。
人気の絶頂期に謎の死を遂げたことで話題になり、彼らのCDが売れて、世間にも多く知られるきっかけになりました。
この時に、ふと、彼らが生き続けて80歳で亡くなった場合、社会を巻き起こす程に印象を残すことはできたのだろうか?と思ったのです。
人生の中で、絶頂期がずっと続くことの方が難しく、その最盛期で死ぬのは美しさすら感じられました。
また、小学生の時に祖父が亡くなった時は、ほぼ意識がなく、チューブに繋がれて延命治療のような状態だったので、本人の意志というよりも遺された家族の意志で生かされているように感じました。
自分の人生のピークが何処になるかは、死んだ後の結果でしか分からないのものの、その当時の私は、『若くして何かを成し遂げて死ぬ』というものをカッコよく感じていました。

苦しまず綺麗に死ねる方法


高校生の時、様々な方法で死ぬ方法が書かれた「完全自殺マニュアル」という本を読みました。この本自体は、自殺を推奨している訳ではなく、いざとなれば自殺してしまっても良いと思えば、人生で苦しい時に生きていけることを提唱したものです。
私の理想の死に方は、「苦しまずに確実に死ねること」、「遺体が綺麗であること」、「家族に迷惑をかけないこと」でした。
私が当時、睡眠薬を多量接種する方法が一番楽に死ねると思っていたのですが、この本によると、死に至るには、1回で200錠を飲まなければならず、飲んだとしても吐き出してしまうということが書かれていました。
また、首を吊って死ぬパターンが多いですが、あれは人間の孔から様々な液体が出るそうなので、綺麗に死ぬことができません。
雪山で眠くなって死ぬという方法も考えたのですが、結果的に遺された人が捜索を頼んだりすると、その費用は遺族が負担しなければならず、死んだ後の後処理を考えると、難しいと感じました。

なお、若い頃は、死に対する憧れを持っていたものの、年齢を経るごとに現実的な考えが形成され、現時点では死ぬ気持ちは持っていません。

日本の自殺者の傾向


厚生労働省が出している自殺者の統計を見ると、過去40年で見ると、平成15年(2003年)をピークに平成21年(2009年)までは横ばいで、その後減少していましたが、令和2年(2020年)から微増となっています。
男女比では、男性は女性に対して約2倍の人数となっており、年代で見ると、50代が一番多く、続いて40代という状況になっています。

令和3年中における自殺の状況(厚生労働省自殺対策推進室資料より)

この資料の中には、自殺した要因ごとに区分けされていましたが、そもそも自殺した人にインタビューした訳でもないので、周りからの状況ヒアリングによって区分けされているので、参考にならないと思いますが、データで見る限り、一番は健康問題でした。また、自殺者の半数が無職となっています。10代や60代以上が働いていない人と考えてデータから除外すると、働いていて体や精神を壊して会社を退職した人が自殺者の4人に1人くらいは居るのではないかと想定できます。そして、会社に勤めながら、体や精神を壊した人が自殺した人の半数を占めているということが読み取れます。
そうなると、自殺者の大半のが自分に合わない職場にいることで体や精神を壊していったのではないかと思われます。

環境を変えるのが難しい場合、自分と近しい考えの人と繋がりをもつ


職場の環境、人間関係に起因する問題やそれに伴って体や精神を壊す二次的な要因による健康問題によって、最終的に死ぬことを選ぶことは、死を選ぶよりも前に、仕事を辞める、学校を辞める、人間関係を断つ等の選択肢があるのではないかと思います。
ただし、こうした人は、私も経験がありますが、毎日を生きることで精いっぱいで、他のことを考える余裕がなく、心にも余裕がないため、思考も凝り固まってしまうのだろうと思います。
そして、この思考に陥りやすいのは、真面目な人です。日本人は国民性として真面目な人が多い傾向があると思います。これは、日本の社会や教育は、固定的な考えで一律的であること、自分の考えを持たせるよりも大人のいうことを聞くように育てられており、楽観的な考えを持った人を形成しづらいのではないかと考えます。その結果、周りにいる多くの人が固定的な考え方でモノを見ており、社会のレールから外れた行動を取りづらく、それが生きづらさを形成しているように思います。
昔であれば、地域、学校、職場くらいでしか繋がりが持てませんでしたが、インターネットが普及し、特定の趣味や思考をもった人と繋がりやすくなっているので、自分と近しい考えを持っている人と繋がりを持つことによって、生きやすくなるのではないかと思います。

自殺は唯一自分が選択できる自由の権利

不死の病(がんでステージ4とか)や自分の将来を考えた時に自分の力に限界を感じた時は、親や近親者(夫、妻)が居ない、子どもが成人になっているのであれば、最終的に死を選択しても良いのではないかと私は思います。日本の法律上では、安楽死は禁止されていますが、海外では認められているところもあります。日本は益々、高齢化が進むので、このような選択を取れる余地があっても良いのではないかと感じます。

元々、この世に生まれたいという意思もなく、たまたま生を授かっており、生きるためには、社会のルールを守らねばならず、本当の意味で自由を得られるのは、死ぬ時くらいなのではないかと思います。
その死すらも周りの人の気持ちを考慮すると、なかなか自由に選択すらできない状態です。
人間の考えは、流動的で変化していきますが、『死ぬ時くらいは、自分で選択できる自由があっても良いのではないか』というのが、私の現時点での考えです。

【注意!!】
本記事は、1個人の考えであり、決して自殺を推奨するものではありません。

※当時、書籍としては珍しく、ミリオンヒットした本です


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