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子どもの感受性

最近、うちの長女のキャラがだいぶ変わってきた。小さいころは、元気で屈託のない天真爛漫なとても子どもらしい子だった。それが、大きくなるにつれて、引っ込み思案な大人しそうで真面目な感じの子になり、どこに出しても褒められるような子になっていた。そうなる間に、あたしの中で気になっていたのは、いつも親の顔色を伺うようなところがあったところ。確かにわたしのことは怖いとどこかで思っていたと思う。あたしはあたしで、初めての子どもということもありこの子が困らないように子どもに対して抑えるところは抑えるという気持ちで力んで子育てしてきたなあと思う。だから子どもが親の顔色を伺うのは嫌だなと思っていたけれど、実際そうなってしまうのはある程度仕方ないのかなとも思っていた。それにだからといって、子どものやることでよくないと思ったことを容認することはできないし、ほかにどのようにしていいのかもわからなかったし、気になってはいるけれどそのまま育児をしてきたと思う。だけど、下に子どもが続々とできてきてほかの子に手がかかるために今まで長女に対してだけ向けていた親の目が減ったのは、お互いによかったのかもしれない。弟や妹ができて、自分に目を向けてくれないさみしさはあっただろうと推測するけれど、解放されたところもあっただろうと思う。

月日は経ち、NYに越してきてそのころの長女と言ったら、一般的に真面目ないい子になっていた。そしてアメリカという誰も友達もいないし、言葉もわからないという環境でもなんなくやってのけたのだけれど、長女はどこか暗い雰囲気を出す子にもなっていた。その頃のあたしといえば、旦那と史上最悪の関係で今まで腹の内に溜めてこんでいた負の感情を大放出キャンペーン中で、その荒波に長女を巻き込んでしまったと思っている。そのときのあたしは、ものすっごい黒くてドロドロとしたものを放出していただろうと思う。もちろん旦那からも同じようなものが出ていたはずだ。それに伴っての長女の暗い感じだったのだろうと思うし、またほかの兄弟たちもとても怒りやすく、キレたりもしていた。そしてあたしはその黒くてドロドロとした怒りと悲しみとやるせなさを含んだなにかを放出しながら、自分に向き合う機会をえた。2年半以上にわたって自分のことをみつめ、いろいろな気付きを得、少しずつ自分のため込んできたものの正体をあばき、本当にしたいことへ力を注ぐことができるようになってきたと思う。

するとなんということでしょう!気が付けば長女が幼少の頃の天真爛漫さを発揮するようになってきているのだ。まじめはまじめなのだけど、本来の輝きを取り戻し、自発的意欲的になってきている。

長女が幼少の頃は少し子どもの良さをなくしてしまうようなところがあたしにあったのだと思う。親心としては何も変わるものはないのだけれど、何が変わったのだろう。変わったものがあるとすれば、自分の自己認識と世界への認識かな。子どもの様子に少し引っかかることがあるならば、その答えはきっと親である私にあるということなのだろう。子供が生きる世界は親の生きる世界そのものなのだろうと思うから。小さいうちは特に。子どもは良くも悪くもいろんなことにダイレクトに影響を受けるのだと思う。親としてできることはきっと子どもにどうこうするということでなく、親自身が自分の中の問題(ブロック)に気づき、あるがままの自分でいられるようにすることなのかなと思う。そして子どもはその親に認知のゆがみを教えてくれる偉大な存在なのだろうと思う。そして旦那も然り。あたしはいろんなことに気が付く必要があったから、いろんなタイプの子どもを4人も授かったのかなとも思う。そしてそれを今とても感謝している。今日もありがとう!

#子育て #自己探求 #日記 #自己認識 #感受性 #長女

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