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小学生がびっくりしない

小学生を9人連れて、
さかなの剥製を見に行った。

春休みなので、日々がっつり、よその小学生
のこどもとあそんでます。

さかなの剥製は、たぶんとても、作るのが
難しく、この技術を持っているひとは
日本中さがしても、あんまりいない。

本物のさかなの、皮以外を全部抜いて、替わりに砂みたいなものを詰め、特殊な液に付けて、
自然乾燥させ、また特殊な樹脂でテカテカに
かため、また中の砂とかを抜いて、
できあがり、だそうだ。
かんたんに言えば。
だから、なかみはもちろん空洞。

何百種類、あるんだろう。
圧巻だ。
めちゃくちゃにでっかいサメやマグロもあるし
ウミガメも、リュウグウノツカイも。
カニだけでも何十種ある。

形を真似てつくるレプリカと、
またわけが、違う。

とんでもねぇことすんなあ。

とわたしが感心しているそばで、
何人かのこどもたちは、
シュッ。と5分ほど見て回ったあと、
もういいや、てなり、
グダグダとソファに寝転がってしまった。

しっかりと、剥製を見て回ったのは、9人中
たった2人の高学年の子たちだった。

なんだなんだ。おい。

わあ!さかながこんなにたくさん!
ほんもののさかななの?
くうどうっ。
でっかいねー。
すごいねー。

という反応があるかと思って、はるばる
1時間かけてきたのに。
ちぇっ。

感動しないんだな。
これ、すごいのになあ。
なんでだろ。

と、ソファをゴロゴロするこどもを見ながら
なぜ、感動するのか。
なぜ、感動しないのか。
について考えていた。

人がなんかを見て、
スゲー
と思うのはなんでだろう。

すごい技術をもつなにかの名人。
その人が作ったもの。
普通は人がしないことをする人。
アスリート。
圧巻のステージをする歌手。
モノマネ芸人。

などなど。
なんで、
スゲー。
と思うのか、と考えると、ひとつには、
それが自分にはできそうにないから。

人並み以上のことをしないと、
めちゃくちゃ努力をしないと、
これはできないぞ。
と、背景に思いを馳せる。
つまり想像力が裏打ちされての
スゲー。

これは自分には、できなさそうだから
スゲーな。

と思うのならば、どこまでが自分ができる
かもしれなくて、どこからはちょっとむり
なのか、
という、「自分のこと」も
知っておかなくてはならない。

それがわからなければ、何を見ても、
「ふーん」
と思って終わる。

わたしが連れて行ったこどもたちは、
すこし、想像力に欠ける特性があるにしても、
こどもは総じて、やっぱり10歳くらいまでは、
目の前にある「物」について、
それができるまでに何があったか、を
想像することが難しいのかもしれない。

例えば、さかなを捕まえることの苦労。
おもいだろうな。

皮だけにする事がどんなに大変か。
くさるだろうな。
くさいだろうな。

実際に、自分でさかなをさばいてみないと
想像できないこともある。

今のこどもたちの中には、水族館に泳いでいる魚と、自分が食べている切り身の魚が
=イコール、だと思っていない子も
いるらしい。

でも、昔って、
こどもって、もっと
スゲー!!
て言ってなかったか?

今の子たち、というくくりで話したくはない
のだけど、こどもが、
不思議。
と思うことが少なくなってない?
びっくりしなくなってない?
と感じる。

踊るはずのない、本物のネコが踊る映像が
見られたり、
CGで精巧に作った映像。
フェイクみたいな画像。
そういうビックリするようなものが
見られてしまう。
いつでも。

世の中に、ビックリさせたいひとが多すぎる。
で、見る方のビックリハードルも
どんどん上がってる。
ちょっとやそっとじゃ、ビックリしてやる
もんか。

なんか、目の前にあるものへの
不思議さ。
みたいなのがなあ。
ほんとはあるはずなんだけど。
麻痺しちゃうよなあ。
刺激が多すぎてさ。

と、切なくなりながら帰路についた。
それはおとなだって、そうなっているけど。

世界は不思議なことばっかりなんだが?
すべては、想像力だ。
で、それは経験でしか、つちかわれない。

とにかく経験をつづけよう。
手を、ぶいーん、と振り回した範囲で、
ほんとうの自分の手でつかむことのできる
経験だよ。

おとなも、こどもも。





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